『サピエンス全史』で早合点してはいけなかった!『交雑する人類 ― 古代DNAが解き明かす新サピエンス史』

 『サピエンス全史』上・下(著/ユヴァル・ノア・ハラリ 河出書房新社)で「歴史上の痕跡を眺めると、ホモ・サピエンスは、生態系の連続殺人犯に見えてくる」と書かれていて、なんだか暗い気持ちになっていました。

 しかし、違っていたのです。

 『サピエンス全史』のベースにあったのは、ミトコンドリアDNA解析をもとにした説だったと思われます。こうした説は技術革新で否定され始めています。

 『交雑する人類 ― 古代DNAが解き明かす新サピエンス史』(著/デイヴィッド・ライク NHK出版)では、全ゲノム解析のデータをもとに、私たちの祖先はネアンデルタール人やデニソワ人など、さまざまな人類と交雑して子孫を残してきたと書かれています。つまり「連続殺人犯」ではなく、混じり合いで自然と今の形になってきたわけです。

 『サピエンス全史』はベストセラーになったうえ、内容もおもしろかったために、ついそのまま信じ込んでしまったわけです。いけませんね。


 上の図も実際は違っていて、私たちの祖先は最初からしっかりと二足歩行を行っていたようです。




 以下は、『交雑する人類』を読んだ感想などのまとめです。

 化石となった古代人の人骨からDNAを取り出して解析することができるようになった「ゲノム革命」。以前はミトコンドリアDNA解析でしたが、2009年以降は全ゲノム解析が可能になったわけです。
 ミトコンドリアDNAによってたどれる過去は約16万年前までですが、全ゲノム解析では100〜500万年前にまでさかのぼることができるとのこと。


○ゲノム革命以前の考え方

 旧来は、ホモ・エレクトス(原人)が180万年ほど前にアフリカからユーラシアに拡散し、各地で進化して新人になったという「多地域進化説」が中心でした。

 その後、現生人類(サピエンス)の祖先はアフリカで誕生し、その後、ユーラシア大陸に広がっていったという「アフリカ起源説」が有力になりました。人類の進化の中心地はアフリカ。現生人類はサハラ以南のアフリカのサバンナで誕生し、約5万年前に東アフリカの大地溝帯から紅海を渡ってアフリカを出た(「出アフリカ」)とされていたのです。
 「出アフリカ」後に北に向かった現生人類が、ヨーロッパのネアンデルタール人と交雑したと考えられていました
 人類はアフリカで誕生し、約180万年前にホモ・エレクトスがユーラシア大陸に進出した後も、ネアンデルタール人の祖先や現生人類など、さまざまな人類がアフリカで誕生しては繰り返し、「出アフリカ」したことになっていました。

 1980年代後半、ミトコンドリアDNA解析による「ミトコンドリア・イブ」説が登場。ホモ・サピエンスは、約16万年にアフリカにいた1人の女性から分岐したとする説です。
 しかし、これは誤解で、ミトコンドリアのDNAしか解析できなかった技術的な制約によるものでした。 

 ミトコンドリアのDNAは、母親からの遺伝情報しか受け継いでいません。ですから、私のお母さん、おばあちゃん、ひいおばあちゃん、ひいひいおばあちゃん……という形でしか、たどっていけないのです。


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人類の場合、両性間には大きな生物学的な違いがあり、男性のほうが遥かに多くの子どもを残せる。
---331ページ


 妊娠期間があるうえ子育てに時間を取られる女性よりも、男性のほうが自分の子どもをたくさん残せるわけです(「性的バイアス」)。加えて、貧しい男性よりも豊かで権力のあるエリート男性のほうが子どもを残せます。

 ですから、ミトコンドリアDNA解析の結果だけで物事を語るのは、あまりにも偏りすぎているわけです。
 ミトコンドリア・イブ説も過去のものといえます。


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現代の人々がおよそ32万年前以降に祖先を共有していたことを示す部位は1つも見つからなかった。
---52ページ


 父母両方の遺伝情報を調べられる全ゲノム解析によって、ネアンデルタール人と現生人類が分岐したのは約77万~55万年前だとわかったのです。


○ゲノム革命以降

 過去の異なる集団の混じり合いで、今の人類は進化してきたと考えられています。現生人類については、混じり合いの中で、アフリカではなくユーラシアで誕生したという説も出てきました。
 そして、考古学的発掘で発見できていないだけでなく、現在では消えてしまった謎の人類集団「ゴースト集団」がいるとされています。

 遺伝学的には、現生人類はアフリカ系と非アフリカ系に分かれます。

 2008年、ロシアのデ二ソワ地方の洞窟で約4万年前の人類の骨が発見されました(デニソワ人)。
 そしてアフリカ系と非アフリカ系のDNAを比較すると、ネアンデルタール人、デニソワ人とは別系統のDNAをもつ集団がいたと推測され、この幻の古代人を「超旧人類」と名づけました。超旧人類は、デニソワ人よりも古い時代に枝分かれしています。そしてデニソワ人と交雑し、その後、絶滅したとされています。

 「出アフリカ」のときに、ユーラシアには少なくともネアンデルタール人とデニソワ人という人類がいました。現生人類は彼らと各地で遭遇し、交雑しています。
 交雑は極めて近い血統でなければ起こらない、つまりは子孫を残せません。ですから、現生人類、ネアンデルタール人、デニソワ人が交雑したということは、三者が極めて近い血統ということになります。

 ネアンデルタール人とデニソワ人は、どちらもユーラシアに住み、47万~38万年前に分岐したとされています。従来の説のように、現生人類が77万~55万年前に分岐し、アフリカで70万年も独自の進化を遂げてきたのならば、現生人類はネアンデルタール人とデニソワ人と交雑できないことになります。

 「これはおかしい」ということで、現生人類もユーラシアで誕生したという説が生まれたのです。

 ユーラシアに進出したホモ・エレクトスから超旧人類が分岐し、さらに現生人類、ネアンデルタール人、デニソワ人と分岐。デニソワ人は東ユーラシアから南ユーラシアに、ネアンデルタール人はヨーロッパを中心に西ユーラシアに分布。
 現生人類はひ弱だったため、ネアンデルタール人に圧迫され中東で暮らしていました。その後、ネアンデルタール人が中東に進出したことで、約30万年前には北アフリカや東アフリカまで撤退。
 ところが5万年前に、現生人類が北アフリカや東アフリカを出て、ユーラシア中に広がりました。中東でネアンデルタール人と交雑した現生人類の一部が東に向かい、北ユーラシアでデニソワ人と、南ユーラシアでアウストラロ・デニソワ人と遭遇して交雑。
 こう考えると、アフリカ系にネアンデルタール人のDNAがなく、東アジア系がヨーロッパ系と同程度にネアンデルタール人と交雑していることが説明できるということです。

 ネアンデルタール人などは現生人類に食べられる・殺されるなどして消されたのではなく、交雑したことや感染症で自然消滅したと考えられます。

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現生人類、ネアンデルタール人、デニソワ人の祖先集団が実はユーラシアに住んでいて、それはアフリカから最初に拡散したホモ・エレクトスの子孫だったという可能性だ。このシナリオでは、その後ユーラシアからアフリカへ戻る移住があって、それが、のちに現生人類に進化する集団の始祖となったと考えられる。この説の魅力はその無駄のなさにある。データを説明するために必要なアフリカとユーラシアの間の大規模な移住が1つ少なくてすむのだ。超旧人類集団と、現生人類・デニソワ人・ネアンデルタール人3者の祖先集団はどちらもユーラシア内で生まれたことになり、さらに2回も出アフリカ移住をする必要がなくなる。アフリカへ1回だけ戻って、現生人類との共通系統をそこで確立すればいい。
---119ページ



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多くの系統と多くの混じり合いが明らかになったことで、これまで大半の人が何の疑いも持たずに信じていた、人類の進化の中心地はアフリカだったという大前提が大きく揺らいだ。骨格資料に基づいて考えれば、アフリカが200万年前以前の人類の進化に中心的な役割を果たしたのは間違いない。ホモ属の何百万年も前にアフリカに住んでいた直立歩行の猿人が発見されて以来、それは常識となっている。また、解剖学的に現生人類の特徴を持つ少なくとも30万年前ごろの骨格がアフリカで発見されており、最近5万年の間にアフリカや中東からの拡散があったという遺伝学的な証拠もあるため、そうした現生人類の誕生にアフリカが中心的な役割を演じたのも確かだ。しかし、200万年間と約30万年前の間の期間については、どうなのだろう? この期間の大部分については、アフリカで発見された骨格がユーラシアで発見された骨格に比べて明らかに現生人類に近いわけではない。わたしたちの系統が200万年前と30万年前にアフリカにいたのだから、祖先もずっとアフリカにいたに違いないという考え方が、過去20年にわたって優勢だった。だがユーラシアは豊かで多様な巨大大陸であり、現生人類に至る系統がかなりの期間そこで過ごしてからアフリカに戻ったと考えても、大きな不都合はない。
---119ページ



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現生人類の系統がアフリカの外に何十万年もの間とどまっていた可能性はあるだろうか? 従来のモデルでは人類の系統は常にアフリカで進化したことになっており、現在の骨格研究や遺伝学のデータを説明するには、少なくとも4回の出アフリカ移住が必要となる。しかし、わたしたちの祖先が180万年前から30万年前までアフリカの外に住んでいたと考えれば、大規模な移住は3回で済む。
---120ページ 脚注



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現生人類集団の相互関係を考える場合には、樹木にたとえるのは危険だ。
---129ページ
 人類は、分かれた枝先が再び混じり合う可能性があるからです。



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樹木よりも格子のほうがぴったりなのではないだろうか。
---135ページ
 単純化された説や図、そして権威を、安易に信じ込んではいけません。



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人類の過去についての疑問に対して、こうに違いないという強い期待を持って取り組むくせを改める必要がある。わたしたちは何者なのか。それを理解するには、謙虚な気持ちと開かれた精神で過去に向き合わなければならない。厳然たるデータを尊重し、考えを変える用意ができていなければならない。
---344ページ



 人間の歴史においては、いわれなき「人種差別」があったため、その強い反省から系統立てて遺伝情報を整理することを批判する動きがあるそうです。「系統」という言葉すら、使うなという意見も出ているとのこと。

 それに対し、著者は「差異を考察するための正確な言葉」として「系統」を使っています。

 この言葉は使ってよい・悪いという些末な口論から、本質が見えにくくなっていることを指摘していました。このような状況は、いろいろな場面で多数目撃しますよね(特に政治の世界で……)。


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わたしたちは社会全体として、個人間に存在する差異に関係なく、誰にでも同じ権利を与えなければならない。
---372ページ



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 あらゆる人を等しく尊重することは大事だが、さらに、人間の特性の多様性を心に留めておくことも忘れてはならない。
---372ページ

 運動能力や学習能力、共感の力量など、遺伝的な系統によって違いが出てくるものです。それぞれの個性、差異を認めたうえで、社会にいるすべての人を尊重することはできると著者は語ります。

 つまり「人間はすべて同じ」と思い込まなくても、あるいは子どもたちに思い込ませなくても、互いを尊重できるはずなのです。



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交雑が人類の本質であり、どの集団も「純血」ではないし、その可能性もない。
---375ページ



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 個々の人の祖先が誰かは、重要ではない。ゲノム革命はわたしたちに共通の歴史を差し出す。もし、わたしたちがきちんと注意を払うなら、それは人種差別主義やナショナリズムという悪しき伝統の代わりになるものを与えてくれ、わたしたちすべてが、人類の遺産を引き継ぐ資格を等しく持っているのだとわからせてくれるはずだ。
---383ページ



 私たちは「真実はこれだ!」と決めつけられるのがとても好きだし「何かしら意味があると感じられるような結果を提供し(378ページ)」喜んでほしいと思ってしまって、サービス精神で断定口調を使うこともあります(マスコミにありがち……)。あるいは間違った解釈を提供することもあります。

 ある意味、思考の癖のようなものを克服していくことが、課題なのでしょうね。

 
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