仕事で自己実現を図るべきだという思想と、自己搾取   『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』

 『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(著/三宅 香帆 集英社)には、印象深い記述がいくつもありました(以下、引用の太字はクラナリ)。

 趣味で自己実現してもいい。子育てで自己実現してもいい。いいはずなのに、現代の自己実現という言葉には、どこか「仕事で」というニュアンスがつきまとう

 「好き」を活かした「仕事」。そのような幻想ができたのは、1990年代から2000年代のことだった。その背景には、日本にもやってきた新自由主義改革があった。

 労働者の実存は、労働によって埋め合わされるようになってしまった。これ以前だと、本書で見たように、学歴のない人々が本を読んだりカルチャーセンターに通ったりして「教養」を高めることで自分の階級を上げようとする動きもあった。だが、新自由主義改革のもとではじまった教育で、私たちは教養ではなく「労働」によって、その自己実現を図るべきだという思想が与えられるようになってしまった。


 著者の三宅 香帆氏は、1994年生まれのゆとり世代です。

 1998年に文部科学省が学習指導要領の改訂を行って、ゆとり教育が2002年に開始されて、約10年間続きました。「生きる力」を育むことが目標だったゆとり教育では、競争や順位付けをなるべく行わないという方針がありました。
 こうしたゆとり教育は、バブル期に構想されたものでした。

 しかし、ゆとり教育が始まる前の1990年に、株価が下がってバブル経済が崩壊します。
 不況が深刻になっていき、政策担当者や経済学者を中心に、新自由主義が導入されました。
 その流れで、1996年11月に、第2次橋本龍太郎内閣は「金融ビッグバン」という呼び名で、金融・証券市場制度を変更しました。このとき、「投資にはリスクが伴う」という意味で広まった「自己責任論」。これが、さまざまな場面で独り歩きしていきます。
『実録・橋本龍太郎』

 2001年に始まる小泉純一郎内閣では、経済財政政策担当大臣に竹中平蔵氏が起用されました。
『自民党を壊した男小泉政権1500日の真実』

『平成の教訓 改革と愚策の30年』


 新自由主義のトレンドで、仕事についても「自己責任論」という言葉が使われるようになりました。「努力をしないから、成果が出ていない。収入が増えないのは、あなた自身の責任だ」とする、本来の意味とは違った自己責任論が広まったのです。こうして成果主義・能力主義がもてはやされました。

 たとえ仕事で生活費は十分に稼げていても、資格取得や語学習得などの自己研鑽を重ねるだけでなく、人脈作りなどに努め、もっともっと上を目指す……

 三宅 香帆氏がゆとり教育を受けている間に、社会には新自由主義の考え方が広まり、彼女が社会人になったときには、2012年に始まる第2次安倍晋三内閣のアベノミクスの真っただ中だったのでしょう。

 ただ、ふと思ったのです。「新自由主義改革のもとではじまった教育」よりも、かなり前の時代から、すでにこの傾向があったのではないかと。

 理由の一つは、ロスジェネ世代のクラナリが、「教養ではなく『労働』によって、その自己実現を図るべきだという思想」を持っている点。自分の仕事観はまさに「仕事=自己実現」でした。
 10年ほど前に仕事が続けられない状態に陥ったときには、「こんな自分が生きるなんて、無価値だ」と思い詰めていました。「実存」が仕事で埋められなくなったのでしょうか。
 当時、路上で偶然会った知人から「ど、どうしたの!」「どこか悪いの?」と驚かれるほど、病的にやせこけていました。今思うと、まあ、病んでいたんですね。

 また、『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』がベストセラーになったのが、もう一つの理由です。この出版不況の中、発売1週間で累計発行部数が10万部を突破しています。異常な数字。そのため、かなり幅広い世代が自分と同様に、この本に共感したと考えられるのです。

 あくまでも個人的な考えなのですが、江戸時代の身分制度が取り払われた明治以降に、ホワイトカラーの仕事に就く人々の間で、「『労働』によって、その自己実現を図るべきだという思想」がジワジワと広まったのではないでしょうか。『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』の以下の記述がヒントです。 

明治時代、まだ読書はインテリ層の男性のものだった。

『西国立志編』– イギリスのスマイルズの著作を中村正直が翻訳した書籍が、明治初期に大ベストセラーとなる。(中略)明治末までに100万部は売ったらしい。

 

 『西国立志編』は、現在では『自助論』というタイトルで出版されています。序文の「天は自ら助くる者を助く(Heaven helps those who help themselves)」のとおり「自助努力」がテーマで、300人以上のさまざまなサクセスストーリーが収められています。

『超訳 自助論 自分を磨く言葉 エッセンシャル版』

 今から270年ほど前に産業革命が起こった時代には、資本家が「もっとできるだろう」「もっと働け」と労働者を搾取していました。また、「やるべき」といった義務やルールは、外部から押し付けられていました。

 その後、社会の構造が変わって、「男なら外で働くべきだ」「女なら家を守るべきだ」などといった義務やルールの多くは撤廃されてきました。自由がもたらされ、法に触れなければ何をやってもいいのです、極論をいうと。
 女性がホワイトカラーの仕事に就き、男性も育児休暇を取得できます。

 それで、どうなったのでしょうか。
 見回すと、資本家ではなく労働者が「自分はもっとできる」「自分はもっと働く」と、自分自身を搾取しています。
 また、義務やルールも、自分で自分に押し付けています。

 健康的で幸せな人生を送るべきだ。
 毎日を充実させるべきだ。
 なにより、自己実現を達成すべきだ。

 『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』で書かれているとおり、自己実現を仕事や生産性と結びつけている人は珍しくありません。「仕事をすることで、自分らしく生きられる」と考え、生産性を高めるために過剰なまでに時間を費やしています。

 過剰な生産。
 過剰なプロモーション。
 過剰なパフォーマンス。

 私たちは、いつまでも、いつまでも、「自分はできる人間だ」と証明し続けなければならない ― そんな強迫観念に駆られています。「できる」という、実に肯定的な言葉によって新たな義務やルールを自分に課すわけです。

 それで思い出すのが、2015年の電通過労死事件。
『過労死ゼロの社会を―高橋まつりさんはなぜ亡くなったのか』


 三宅 香帆氏は「働きながら本を読める社会」の実現を望みつつ、この本を締めくくっています。
 働きながら本を読まなくてもいい人でも、自己搾取に陥っていないかを確かめるために、一読をお勧めしたい本です。
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