お金は、減らすことによって価値が得られる 『お金の減らし方』

『お金の減らし方』(著/森 博嗣 SBクリエイティブ)

 変な本です。
 タイトルは『お金の減らし方』なのですが、冒頭で、執筆を依頼されたテーマは「お金の増やし方」だったという説明をしているのです。

 全体的にこんな調子なのですが、読み進めると「なるほど」となぜか納得できる点が散らばっていました。その理由は、自分・お金・仕事で、ここ数年、スッキリしない思いを抱いてきたからなのかもしれません。

 『お金の減らし方』(SBクリエイティブ)の著者の森 博嗣氏は、大学の教員として働く傍ら、小説などを書いていたのですが、執筆は趣味や楽しみではなく、お金が欲しかったからだと述べています。本書の書き出しは「自分から本を書きたいと思うことはない」でした。

森 博嗣
1957年愛知県生まれ。工学博士。
某国立大学の工学部助教授の傍ら1996年、『すべてがFになる』(講談社文庫)で第1回メフィスト賞を受賞し、衝撃デビュー。以後、犀川助教授・西之園萌絵のS&Mシリーズや瀬在丸紅子たちのVシリーズ、『φ(ファイ)は壊れたね』から始まるGシリーズ、『イナイ×イナイ』からのXシリーズがある。
ほかに『女王の百年密室』(幻冬舎文庫・新潮文庫)、映画化されて話題になった『スカイ・クロラ』(中公文庫)、『トーマの心臓 Lost heart for Thoma』(メディアファクトリー)などの小説のほか、『森博嗣のミステリィ工作室』(講談社文庫)、『森博嗣の半熟セミナ博士、質問があります!』(講談社)などのエッセィ、ささきすばる氏との絵本『悪戯王子と猫の物語』(講談社文庫)、庭園鉄道敷設レポート『ミニチュア庭園鉄道』1~3(中公新書ラクレ)、『自由をつくる 自在に生きる』(集英社新書)など新書の著作も多数ある。

 自分・お金・仕事でスッキリしない思いを抱いている私は、現在は個人投資家として、慎ましく生活を送るには困らないお金が得られています。
 その一方で、10年ほど続けてきたフリーランスの編集者・ブックライターとして、仕事でお金を得たいと思ってしまうのです。なにか情報を検索しているときにも、「おお、これなら、こういうまとめ方で、こういうタイトルで1冊作れるかもしれない」「あの人に企画提案をしようかな」などと、つい考えがちです。
 純粋に本が作りたいだけなのであれば、自費で作って、欲しいと思ってくれる人に無料で配ればいいはずです。しかし、それだと自分の作った本に価値がないような気がして、なんだか嫌なのです。

 生活には困らないお金、なんなら欲しいものは手に入れられる程度のお金を投資で得ているのに、本を作る仕事でお金を得たい……

 自分・お金・仕事の3つの距離感で悶々としているから、次の文言が響いたのかもしれません。
 値段がすなわち価値だ、という安直な認識に長く浸かっていると、高価なものは価値がある、高価なものを持っていれば周囲から尊敬される、というような歪んだ価値観へシフトしてしまうかもしれない。何が間違っているのかといえば、自分の欲しいものがわからない人間になっている、という点である。簡単にいえば、自分の人生を見失っていることに等しいだろう。自分が何を好きなのか、何がしたいのか、ということを感じられないほど、感覚が麻痺してしまう。一種の病気だといっても良い。


 「値段がすなわち価値」であれば、報酬が0円の仕事には価値がないという認識になります。報酬が高い仕事ほど価値があるし、そんな仕事に携わると周囲からも尊敬されるという価値観を、私は抱いてきたのでしょう(きっと私だけではない)。


 私の場合、本が身近な存在でした。専業主婦だった母親が新刊書店を起業したために体感的に本の流通を知り、幼稚園児の頃から漫画も雑誌も書籍も読み放題で、大学卒業後に出版社に就職して30年ほど仕事で本を作ってきて、今も本を日常的に読んでいるという状況。そのために、「本を作ることは自分の楽しみ」と思い込んでいたのかもしれません。

  人間の楽しみというのは、結局は自己満足なのだ。

結局は、ものの価値は自分の欲求の大きさによって決定するものだ 


 「本を作ることは自分の楽しみ」であれば、自分のお金で作って、自分で読んで、自分のために保管して、自己完結で楽しめるはずです。
 しかし実際には、報酬0円で本を作りたくないことから、「本を作ることは自分の楽しみ」ではなかったと判明するのです。


時間とお金というのは、やりたいことをするための手段であり、そのためにエネルギィを使って、その両者をまず手に入れた。そのため、目的であった好きなことができるようになった、ということである。けっして逆の順番ではない。

 やりたいことがあるから、仕事をしてお金を稼ぎ、そのお金を自分の楽しみに使って満足するというのが、本来の道すじです。
 私の場合は、やりたいことはさておき、本を作る仕事をしてお金を稼ぐ過程で、参考資料として本を読むために、本を作る作業を自分の楽しみと錯覚したのかもしれません。あるいは、若い頃は本を作るのがとてもつらくて大変だったために、強いストレスの下で、「私は本作りが好き」「愛してる」というようなストックホルム症候群的心理状況になったとも思われます。

 本作りにおいて、「多くの人に買ってもらいたい」「読んでもらいたい」「褒めてもらいたい」といった「多くの人」、つまり他者が関係してくるのであれば、当たり前の話ですが自己満足ではありません。

 ポイントは他者です。 

 自分を、他者との関係で評価しようと焦るあまり、自分の気持ちが見えなくなってしまう。人から褒められないと自分は嬉しくない。人と一緒でないと自分は笑えない。人に見てもらわないと意味がない。そういった価値観が、自分という存在を消してしまうのである。

 通信手段が発達するにつれて、他者と容易につながりを持てるようになります。手紙しかなかった頃に比べて、スマホを持ち歩く現代は、即時に多数の他者と接触が持てます。結果として、自分と他者との距離感がわかりにくくなるのです。

 問題は、自分がどう感じているか、自分は何をしたいのか、という基本的なことが、今の情報化社会では見えにくくなっている、という点である。


 自分の楽しみは何か、何によって自分は満足するのか、自分がどう感じるかをじっくりと把握する前に、「いいね」「スキ」を他者にもらえるかどうかを気にしてしまい、「自分の人生を見失っている」状態になるのでしょう。

 そんな「いいね」「スキ」以上に、もらえるかどうかが気になるのが、お金。

最も多いのは、高い値段がついたものに価値がある、という思い違いである。それでは、他者が勝手につけた数字で、自分の価値観が左右されていることになってしまうだろう。

 

 繰り返しますが、やりたいことがあるから、仕事をしてお金を稼ぎ、時間とお金を自分の楽しみに使うというのが、本来の道すじ。
 つまり、自分の楽しみに使うから、お金には価値があるのです。たくさん貯金しても、そのまま死んでしまったのなら価値はありません。著者は、「お金の価値とは、自分がやりたいことを実現するための可能性なのだ」と述べています。 

 多額のお金を持っていても、なにも良いことはない。そのお金を、自分が欲しいもの、やりたいことと交換しなければ、価値は生まれない。お金を失うことで、価値が得られるのだ。

 これを勘違いしていると、貯金が沢山あれば嬉しい、高給であれば偉い、高価なものを持っていれば立派だ、という間違った価値観に支配される。これは、お金に支配された状態だといっても良いだろう。


 使い道もないのに、仕事をしてお金を稼ぎ、貯金が増えることが楽しいのであれば、「一種の病気だといっても良い」ということです。


仕事は、お金を稼ぐための手段である。しかし、お金が生み出されるからといって、仕事を愛してしまうというのでは、お金を愛することと同じである。

一種の倒錯といえる。


 大勢がやりたがらないこと、いわゆる3K(臭い・汚い・きつい)だから、仕事が成立するのかもしれません。

楽しそうなものは、大勢がやりたがる。大勢がやっていては、競争になり、効率が悪い。仕事にならない。面倒なもの、人がやりたがらないもの、格好の悪いもの、嫌な思いをしなければならないもの、そういうものだからこそ、対価として利益が出る。この仕事の大原則といえる交換を忘れてはいけない。これも、目先の交換で小さな得をしたくなって手を出すと、のちのち大きな損をするパターンといえる。

 そして、仕事をすることで褒められたり感謝されたりするわけではなく、むしろ、対価としてお金をもらうのだから、仕事をする側の人間が感謝をするものとのこと。

多くの仕事は、相手を褒める側に立つものである。頭を下げ、相手の機嫌を取らなければならない。

 仕事に「やり甲斐」を求める若者が多いみたいだが、彼らの「やり甲斐」とは、仕事をした客から感謝される、というものらしい。だが、世の中の常識というのか、社会の基本的な法則として、お金をもらう側が感謝するのであるから、仕事で感謝されようとするのは明らかに筋違いである。(中略)
 どうしても感謝されたい場合は、お金を受け取らなければ良い。非常に簡単に感謝されることができるだろう。

 人から褒めてもらいたい、優しくしてもらいたい、といった欲求は、お金でそういう演技をしてくれる役者を雇うことをおすすめする

仕事というのは「嫌な思い」と「お金」を交換する行為なのである。この基本をときどき思い出そう。「良い思い」や「楽しい思い」をして給料がもらえるような職場は、奇跡的な場でしかない。そういう幻想を抱かない方が健全である。

 人から褒めてもらいたい、優しくしてもらいたい、といった欲求は、確かにホステスやホストが満たしてくれます。彼らも、お金で演技をしてくれる役者のような仕事をしています。

 さらには、「好きを仕事に」ではなく、「自分は好きではないし、なんなら嫌なんだけど、周りよりも優れ、周りから求められていることを仕事に」が世の道理のようです。

 仕事の基本は、自分が好きなものを作ることではない。「良いものを作れば売れる」というのも嘘だと思う。買い手が欲しいもの、社会が求めているものを、先んじて作るしかない。

 買い手にとって価値があるもの、つまり需要に目掛けて投入するものが、良い商品となる。また、仕事をする能力とは、自分の好き嫌いではない、自分が他者よりも優れていることで価値を有する。多くの人がここを間違えているようだ。


 自分自身を振り返ると、子どもの頃から本と縁の深い生活を送ってきて、バブル経済が崩壊して就職氷河期の中、たまたま出版社の編集職に就くことができて、本作りでは「自分が他者よりも優れている」部分があったために、30年にわたって続けられたということになるでしょう。
 出版社に勤務していたのは偶然なのに、30年という長い年月で「自分は本作りが好きだから、この仕事をしているのだ」と勘違いをしたのです。作った本が売れなければ、喜ばないくせに。

 やりたいことができる時間とお金は得られている状態において、お金が得られる仕事をして他者から認められたいから仕事が好きという「一種の倒錯」に陥っていたために、なんだか悶々とする日々を送ってきたのだと、この本を読んで思った次第です。
 
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