「人間の楽しみというのは、結局は自己満足なのだ」 『お金の減らし方』
森 博嗣1957年愛知県生まれ。工学博士。某国立大学の工学部助教授の傍ら1996年、『すべてがFになる』(講談社文庫)で第1回メフィスト賞を受賞し、衝撃デビュー。以後、犀川助教授・西之園萌絵のS&Mシリーズや瀬在丸紅子たちのVシリーズ、『φ(ファイ)は壊れたね』から始まるGシリーズ、『イナイ×イナイ』からのXシリーズがある。ほかに『女王の百年密室』(幻冬舎文庫・新潮文庫)、映画化されて話題になった『スカイ・クロラ』(中公文庫)、『トーマの心臓 Lost heart for Thoma』(メディアファクトリー)などの小説のほか、『森博嗣のミステリィ工作室』(講談社文庫)、『森博嗣の半熟セミナ博士、質問があります!』(講談社)などのエッセィ、ささきすばる氏との絵本『悪戯王子と猫の物語』(講談社文庫)、庭園鉄道敷設レポート『ミニチュア庭園鉄道』1~3(中公新書ラクレ)、『自由をつくる 自在に生きる』(集英社新書)など新書の著作も多数ある。
値段がすなわち価値だ、という安直な認識に長く浸かっていると、高価なものは価値がある、高価なものを持っていれば周囲から尊敬される、というような歪んだ価値観へシフトしてしまうかもしれない。何が間違っているのかといえば、自分の欲しいものがわからない人間になっている、という点である。簡単にいえば、自分の人生を見失っていることに等しいだろう。自分が何を好きなのか、何がしたいのか、ということを感じられないほど、感覚が麻痺してしまう。一種の病気だといっても良い。
「値段がすなわち価値」であれば、報酬が0円の仕事には価値がないという認識になります。報酬が高い仕事ほど価値があるし、そんな仕事に携わると周囲からも尊敬されるという価値観を、私は抱いてきたのでしょう(きっと私だけではない)。
私の場合、子どもの頃から本が身近な存在で、30年ほど仕事で本を作ってきて、今も本を日常的に読んでいるという状況から、「自分は本が好きなのだ」「本を作ることが自分の楽しみ」と思い込んでいたのかもしれません。
人間の楽しみというのは、結局は自己満足なのだ。
結局は、ものの価値は自分の欲求の大きさによって決定するものだ
「本を作ることが自分の楽しみ」であれば、自分のお金で作って、自分で読んで、自分のために保管して、自己完結で楽しめるはずです。
実際には、報酬0円で本を作りたくないことから、「本を作ることが自分の楽しみ」ではなかったと判明するのです。
時間とお金というのは、やりたいことをするための手段であり、そのためにエネルギィを使って、その両者をまず手に入れた。そのため、目的であった好きなことができるようになった、ということである。けっして逆の順番ではない。
やりたいことがあるから、仕事をしてお金を稼ぎ、そのお金を自分の楽しみに使って満足するというのが、本来の道すじです。「多くの人に買ってもらいたい」「読んでもらいたい」「褒めてもらいたい」といった「多くの人」、つまり他者が関係してくるのであれば、自己満足ではありません。
ポイントは他者です。
自分を、他者との関係で評価しようと焦るあまり、自分の気持ちが見えなくなってしまう。人から褒められないと自分は嬉しくない。人と一緒でないと自分は笑えない。人に見てもらわないと意味がない。そういった価値観が、自分という存在を消してしまうのである。
通信手段が発達するにつれて、他者と容易につながりを持てるようになります。手紙しかなかった頃に比べて、スマホを持ち歩く現代は、即時に多数の人と接触が持てます。結果として、自分と他者との距離感がわかりにくくなるのです。
問題は、自分がどう感じているか、自分は何をしたいのか、という基本的なことが、今の情報化社会では見えにくくなっている、という点である。
自分の楽しみは何か、何で自分は満足するのか、自分がどう感じるかをじっくりと把握する前に、「いいね」「スキ」を他者にもらえるかどうかを気にしてしまい、「自分の人生を見失っている」状態になるのでしょう。
そんな「いいね」「スキ」以上に気になってしまうのが、お金。
最も多いのは、高い値段がついたものに価値がある、という思い違いである。それでは、他者が勝手につけた数字で、自分の価値観が左右されていることになってしまうだろう。
繰り返しますが、やりたいことがあるから、仕事をしてお金を稼ぎ、時間とお金を自分の楽しみに使うというのが、本来の道すじです。
つまり、自分の楽しみに使うから、お金には価値があるのです。たくさん貯金しても、価値はありません。著者は、「お金の価値とは、自分がやりたいことを実現するための可能性なのだ」と述べています。
多額のお金を持っていても、なにも良いことはない。そのお金を、自分が欲しいもの、やりたいことと交換しなければ、価値は生まれない。お金を失うことで、価値が得られるのだ。
これを勘違いしていると、貯金が沢山あれば嬉しい、高給であれば偉い、高価なものを持っていれば立派だ、という間違った価値観に支配される。これは、お金に支配された状態だといっても良いだろう。
使い道もないのに、仕事をしてお金を稼ぎ、貯金が増えることが楽しいのであれば、「一種の病気だといっても良い」のでしょう。
仕事は、お金を稼ぐための手段である。しかし、お金が生み出されるからといって、仕事を愛してしまうというのでは、お金を愛することと同じである。
一種の倒錯といえる。
そんな仕事は、いわゆる3K(臭い・汚い・きつい)だから、対価が得られると著者は語ります。
楽しそうなものは、大勢がやりたがる。大勢がやっていては、競争になり、効率が悪い。仕事にならない。面倒なもの、人がやりたがらないもの、格好の悪いもの、嫌な思いをしなければならないもの、そういうものだからこそ、対価として利益が出る。この仕事の大原則といえる交換を忘れてはいけない。これも、目先の交換で小さな得をしたくなって手を出すと、のちのち大きな損をするパターンといえる。
そして、仕事をすることで褒められたり感謝されたりするわけではなく、むしろ、対価としてお金をもらうのだから、仕事をする側の人間が感謝をするものとのこと。
多くの仕事は、相手を褒める側に立つものである。頭を下げ、相手の機嫌を取らなければならない。
仕事に「やり甲斐」を求める若者が多いみたいだが、彼らの「やり甲斐」とは、仕事をした客から感謝される、というものらしい。だが、世の中の常識というのか、社会の基本的な法則として、お金をもらう側が感謝するのであるから、仕事で感謝されようとするのは明らかに筋違いである。(中略)
どうしても感謝されたい場合は、お金を受け取らなければ良い。非常に簡単に感謝されることができるだろう。
人から褒めてもらいたい、優しくしてもらいたい、といった欲求は、お金でそういう演技をしてくれる役者を雇うことをおすすめする
仕事というのは「嫌な思い」と「お金」を交換する行為なのである。この基本をときどき思い出そう。「良い思い」や「楽しい思い」をして給料がもらえるような職場は、奇跡的な場でしかない。そういう幻想を抱かない方が健全である。
さらには、「好きを仕事に」ではなく、「周りよりも優れていることを仕事に」が世の道理のようです。
仕事の基本は、自分が好きなものを作ることではない。「良いものを作れば売れる」というのも嘘だと思う。買い手が欲しいもの、社会が求めているものを、先んじて作るしかない。
買い手にとって価値があるもの、つまり需要に目掛けて投入するものが、良い商品となる。また、仕事をする能力とは、自分の好き嫌いではない、自分が他者よりも優れていることで価値を有する。多くの人がここを間違えているようだ。
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