「道教」が気になる ~「切り離さない」という努力について

 最近もまた仕事で「五行色体表」を利用しました。


『図説東洋医学』より


 すっかり見慣れてしまった図ですが、ふと思ったのです。「誰がこんなことを思いついたのだろう」と。

 東洋医学の専門家からは「バカヤロー」と怒鳴られそうですが、見方を変えれば五行色体表は単なるこじつけ。色と内臓や感情などを結びつけるためだけに、もっともらしいことを考えて、書き残したとも言えませんか。


 人類の歴史をさかのぼれば、5~6万年ほどにアフリカからあちこちと移動していき、穀類を見つけてしまったために農耕生活を送ることになってしまいました。


 人が集まって暮らす中で、集団での労働が生まれ、文字が発明されます。シュメール文化では楔形文字で「〇さんは〇時間働いたから大麦〇杯分」といった記録があったといいます。
 たまたま、ほかの場所よりも人がたくさん集まってしまった地域。そこに古代文明が興りました。


 また、集団で暮らすようになれば、人間の生と死を間近に見る機会が増えるわけです。
 「病気は嫌だ」「死ぬのは怖い」と思い始めた人類は、何に取り組むのでしょうか。


 老いることも、死ぬこともなく、愛する人と離れ離れになることもない人生を夢見て、それを実現する方法を熱心に研究するようになるのではないでしょうか。生に固執し、病気と老を退ける。
 うん? 今の医学もそうですね。
 昔から人類の望みとは変わらないのかもしれません。


 古代を生きた人類は、生に固執し、病気や老化、死を退けようとしたのでしょう。
 ただし、それを文字として残し、先人の研究などをベースに洗練させていけたのは、人類密集地帯の古代文明が興った地域。アジアの中でなら中国というわけです。


 東洋医学のルーツは、中国に古くからある呪術的な思想や信仰がベースとなった「道教」にあると考えられます。
 その考え方は、特にオリジナリティもなく、言語面で発達していない地域にも存在したのかもしれません。


 例えば「気」という概念。ハワイだと「マナ」、インドだと「プラーナ」という言葉があります。
 そのほかの地域にも生命エネルギーの概念はあったのでしょうが、それに名前を付ける必要はなかったのでしょう。そして、中国の人から「それを”気”と呼んでいるよ」と呼び方が伝えられると、「だったら、私たちも気と呼んでおこう」と便宜的に取り入れられたと推測しています。


 五行色体表についても、「病気は嫌だ」「死ぬのは怖い」から、たくさんの人が集まってさまざまな議論をして、「この考え方をしたら、きっと不老不死が手に入れられる」と落ち着いたのかもしれません。


 人類が目には見えないものにも名前を付けるようにならなければ、文字を発明しなければ、穀物の栽培を始めなければ、アフリカにとどまっていたら、五行色体表など思いつかなかったでしょう。


 また、五行式体表をはじめ、東洋医学に私たちが魅力を感じるのは、病気や死への恐怖、不老不死を求めるという欲求は古代から現代まで変わらないためだと思います。


 生老病死を超越するというのでしょうか、肉体にはこだわらないことを説いたのは仏教。
 一方、現世利益を求めて、肉体にとことんこだわるのが道教。煩悩、情欲、当たり前です。


 道教では、古い時代には神頼みだったのが、時代が下ると「なんとか自力でやってみよう」と考えるようになり、薬草を探して薬が作られるようになりました。その後は、動物を捕まえてきたり、医師を削ってきたり、さまざまな材料を集めてくるあたり、執念も感じられます。


 そして古代の世界では薬学も医学も天文学も宗教も占いもごちゃまぜだっただけでなく、土着的な宗教に思想家の教え(孔子の儒教など)やインドの仏教の論理体系なども入ってきて、道教もごちゃまぜ状態だったようです。








『中国道教の展開』より



 同じことは日本にも当てはまるようで、明治維新の神仏分離によって宗教が不自然に切り離されたと考えられそうです。




 道教は日本にも伝わってきて、日本にすでにあった土着的信仰や神道、日本での仏教とも混ざり合い、生活に定着していたのだろうと考えられます。
 『道教と日本文化』(著/福永光司 人文書院)を私なりにまとめました。正しい内容はオリジナルを読んで得てください。



〇『易経』

 伝説によると『易経』は周の時代(紀元前1046~256年)に成立した、中国で最初の書物とされているそうです。

「太極が両儀を生じ、両儀が四象を生じ、四象が八卦を生ず」と書かれていて、両儀は陰陽を指しています。
 中国の養生論・医学の理論は、『易経』の陰陽そして『荘子』の気の考え方に基づいています。
 「理」は「気」の中ににこそ存在するのであり、「気」を離れて「道」は考えられないとのこと。



〇老子と荘子が語った「道」

 道について、老子は次のように語ったようです。

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万物を蔵する物が存在していて、「天」と「地」の存在以前に生じた。何たる静寂!何たる寂寥!それは独りで立ち、不変である。自転するがみずからに危険を招くことがなく、宇宙の母である。私はその名を知らない。そこでそれを「経路」と呼ぶ。不本意ながら私はそれを「無限」と呼ぶ。「無限」は「迅速」であり、「迅速」は「消滅」であり、「消滅」は「回帰」である。

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「道」は「経路」というよりはむしろ「通行」である。それは「宇宙的変化」の精神……新しい形を生むために自身に回帰するところの永遠の生成である。「道」は道教徒の愛好する象徴、龍のようにおのれに返る。「道」は雲のごとく巻きたち、解け去る。「道」は「大推移」と言うこともできよう。主観的には「宇宙」の「気」である。その「絶対」は「相対」である。

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 また、荘子は「万物は皆な一たり」「(道は)万物を旁(あまねく)礴(つつ)んで以て一と為す」と語ったとのこと。


 「道」は「一」であり、「天」であり、「渾沌」であり、そのため「道の教え」を自分の教えとすることは、天地人の「三元」を貫く渾沌の「一」に鋭い覚醒を持つことでした。





〇「鬼道」は中国土着のシャーマニズム

 「鬼道」とは呪術的な信仰で、一種のシャマニズムです。秦・漢の時代には、各地の男女のシャーマンが都に集められて、中央集権的な官僚組織に組み込まれていきました。
 このようなシャーマニズムを洗練させて「神道」と名づけ、「鬼道よりも優れている」という主張が西暦1~2世紀に見られます。「神道」という言葉は、中国の『易経』の観(かん)の卦(か)の彖伝(たんでん)に出てきます。



〇日本の神道への影響

 日本に仏教が伝来する前は、土着的な信仰や古くからの言い伝えがありました。これらをまとめて、さらに中国で古くから用いられている「神道」の概念も取り入れて、神道と呼ばれたようです。神道という言葉は『日本書紀』で初めて用いられたそうです。



〇「道教」は人生の安楽を実現するための教え

 「安楽」とは、字のごとく、安らかで楽しい生活。人生の安楽を実現するための「道」があり、道の教え、つまり「道教」は人生の安楽を実現するためにあるようです。
 「安楽死」という言葉もありますが、もともと中国語の安ではなく、むしろ生と結びついた言葉だったそうです。
 最も理想とするところは、不老不死、不老長寿で、人間が神仙になる、肉体を持った永遠の生命を実現すること。その実現のためにあらゆる努力を払います。



〇5つの方向性

 「世界がどのように始まったのか」「生きている今の自分はどこからきたのか」「人類の歴史や時間はどのようにして始まったのか」といった宇宙生成論に関心を持ったのは、老子と荘子が最初です。
 世界の成り立ちについては、「道が一を生じ、一が二を生じ、二が三を生じ、三が万物を生じる」と理論づけています。また、陰の気と陽の気が交わった「中和の気」によって、万物が生じると考えています。


 古代中国では、考え方として5つの方向性があります。

①安楽を実現するための呪術、宗教的な道という考え方
 自然を前に、人間の力はたかが知れたもの。ですから、神に祝詞を捧げたり、呪文を唱えたり、加持祈祷をしたりしました。

②医術・薬学の道の教え
 中国で安楽の道が求められる場合には、霊魂だけを別にすることはなく、生身の体と必ず結びつけて考えられます。道教の不老長生の信仰や思想も同じことが言えます。

③人間の現実的な生の安楽を十分に実現するためには、政治倫理の確立が第一であるという考え方
 中国古代では儒家ないし儒教と呼ばれる、孔子・孟子・荀子・薫仲舒などの思想がこれを代表します。

④哲学・形而上学の道の教え
 代表的なものが老荘の哲学です。人間が「道」すなわち世界と人生の根源的な真理に目覚めを持つことによって、つまり哲学的な悟りを開くことによって、人間の安楽を実現するという考え方です。

⑤文学・芸術の道の教え
 人生の安楽の実現を政治や哲学によって期待するというよりも、もっと情感的、美的な世界の仲に、情緒に安楽を実現しようとする立場です。
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