他者ばかりに注目するから精神を病む

子ども時代を振り返るから
症状が悪化する

 「パーソナリティ」とは、仮面という意味であるラテン語の「ペルソナ(persona)」が語源。

 パーソナリティとは、文化や社会、人間関係などの影響を受けて形作られるものの見方や振る舞い方などで、日本語では「人格」に当たります。


 『パーソナリティ障害 正しい知識と治し方』(監修/市橋秀夫、講談社)では、パーソナリティ障害をわかりやすく、以下の3つのタイプに分けて説明していました。


○Aタイプ:風変わりな人

妄想性パーソナリティ障害 ……疑り深く、被害者意識が強い

シゾイドパーソナリティ障害……孤独を愛するように見えるが、他人と交流できないことに苦痛を感じている場合がある

統合失調型パーソナリティ障害 ……感情の幅が狭く、奇妙な思い込みを持つ


○Bタイプ:激しい人

演技性パーソナリティ障害 ……注目を集めたがって大げさな話し方をし、ウソをつくこともある

反社会性パーソナリティ障害 ……無責任・無計画で、人をだますことに抵抗がない →サイコパス

境界性パーソナリティ障害 ……不安的で極端な人間関係になる

自己愛性パーソナリティ障害……他人からの評価に強くこだわり、「すごい自分」しか認められない


○Cタイプ:不安な人

回避性パーソナリティ障害 ……批判を恐れ、失敗して非難されるリスクを避けるために引っ込み思案になる

依存性パーソナリティ障害  ……何事にも受け身で、自分で判断できない

強迫性パーソナリティ障害 ……合理性のないルールにこだわり、自分にも他人にも厳しい



 パーソナリティ障害に関する本を数冊読んで感じたのは、専門知識がなければ診断も治療も非常に難しいということ。

 標準的な精神分析やカウンセリングが、症状を悪化させるケースがあるそうです。

 本人の話に耳を傾けて、子ども時代など過去の領域に踏み込むと、以前に経験したネガティブな感情が噴出し、極めて不安定な状態になると岡田尊司医師は著書『境界性パーソナリティ障害』(幻冬舎)に書いていました。

 こうした状況を、「パンドラの箱を開けた」と臨床家たちは表現するそうです。


多くの臨床経験から
導き出された「目的論」

 この岡田医師の本の中で、アドラーが言及されていました。

アルフレッド・アドラー


 ここからは推測ですが、フロイトの精神分析をアドラーは治療に使って、症状が悪化する患者に多数出会ったのではないでしょうか。

 こうした経験からアドラーは神経科医・精神科医として、フロイトとは決別せざるを得なくなったと。

 そして、過去の領域に踏み込むと患者の症状が悪化するのならば、逆に将来の目的に注目したのだろうと考えられます。


 アドラーと言えば『嫌われる勇気』(岸見一郎、プレジデント社)が有名。しかし、訳本を読むとかなり冷静(冷徹とも思われる)に患者を観察していて、とても「温かい言葉で勇気づけ」とは思えませんでした。プレジデント社はビジネス・自己啓発系の出版社ですから、そうなるんでしょうね。

 2冊目の『幸せになる勇気』(岸見一郎、プレジデント社)では、アドラーが患者をどのように分析したかがある程度わかります。

 フロイトたちが主張するような「心に負った傷が現在の不幸を引き起こしている」という考えは、どこかドラマチックで、強く引き付けられます。

 「なんてかわいそうな私……」と滂沱の涙を流し、悲劇のヒロイン気分に浸って、ちょっと満足するのです。

 しかし、トラウマなんて1つや2つで済むものではありません。

 結果として「そうよ! あのときだって、私ばかり!!」「あんなことまで!」と不幸な思い出が芋づる式に次々とよみがえってくるわけです。


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悲劇という安酒に酔い、不遇なる「いま」のつらさを忘れようとしているのです。

---『幸せになる勇気』70ページ


 仕事や恋愛などで行き詰っている自分を正当化するために、過去の出来事を引っ張り出しているのです。それが事実かどうかは別にして。


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人間は誰もが「わたし」という物語の編纂者であり、その過去は「いまのわたし」の正統性(※)を証明すべく、自由自在に書き換えられていくのです。

---『幸せになる勇気』67ページ

(※たぶん、「正当性」の誤り)



 パーソナリティ障害や発達障害に関する本を読んで、「誤学習」が現在の不幸を引き起こしているのではないかと思っています。

 誤学習とは、その字のとおり、自分の経験から常識外れなことや誤ったことを覚え込んでしまった状態。

 例えば、無理なことでも一方的に大声でまくしたてれば、言われた側はつい要求をのんでしまいます。すると、「大声で行う一方的な要求こそ、相手に通じる手段だ」という誤学習の機会を与えるのだそうです。


 言い換えると、自分の行動の後に起こった結果によって、「これでいい」という困った思い込みと勘違いが発生。それが根強く残ってしまうわけです。


 アドラーの考えでは、人類は進化の過程で、大多数で協力関係を作ることを学んだから、自分より強いライオンやゾウなどを圧倒して生き延びることができました(同様のことが『サピエンス全史』にも書かれていました)。


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文明とは、人間の生物学的な弱さを保証するための産物であり、人類史とは劣等生を克服する歩みなのです。(中略)

人間はその弱さゆえに共同体をつくり、協力関係の中に生きています。(中略)

協力したかったのではありません。もっと切実に、単独で生きていけないほど、弱かったのです。

---『幸せになる勇気』147ページ


 人類が進化する中で、集団で生きることは生存本能に組み込まれたのではないでしょうか。

 集団からはじき出されたり、中で孤立したりするのは死を意味するともいえます。

 そのため、所属感を得たいという強い欲求を私たちは持ってしまったのでしょう。

 しかし、この欲求がエスカレートし、激しい承認欲求に変わってしまうと、私たちの精神は病んでさまざまな問題行動を起こすのです。


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○問題行動の5段階 他者をコントロールしようと目論む

1 賞賛の欲求 褒めてもらいたい、共同体の中で特権的な地位を得たい→褒めてくれる人がいなければ適切な行動をしないし、罰が与えられなければ不適切な行動を取る

2 注目喚起 褒められなくてもいいから、とにかく目立ちたい、悪いことでもいい→社会や学校のルールを破ったり、忘れ物を繰り返したり、泣いたりする

3 権力争い 挑発を繰り返し、戦いを挑んで、力を誇示しようとする→すぐに暴れたり、平然とルールを破ったり、相手を無視したりする 

<対策>権力争いから退場する

4 復讐 注目を得るために憎しみを求め、相手が嫌がることを繰り返す、憎悪や嫌悪によってつながろうとする→ストーカー、自傷行為、引きこもり

<対策>手を差し伸べようとすればするほど行動をエスカレートさせるので、第三者に助けを求めるしかない

5 無能の証明 厭世的に課題を拒絶し、周囲からの期待も拒絶する

<対策>専門家に頼る


○問題行動の目的

所属感 共同体の中に特別な地位を確保したい、孤立したくない、かけがえのない「このわたし」が「その他大勢」であってはならない


○他者が承認欲求を満たす問題点

承認には終わりがないので、欲求がエスカレートする、「他者から認められること」を目的とした「他者の望む私」の人生を歩む可能性がある


○優越コンプレックス

メサイヤ(救世主)・コンプレックス 他者を救うことで、自らが救われようとし、自らの価値を実感しようとする


○ポイント

自立 自らの意思で自らを承認する、「わたし」の価値を自らが決定する、「その他大勢」の自分を受け入れる、自立とは年齢でなく精神の問題

課題の分離 自分がコントロールできることと、できないことを分けて考える

最良の別れに向けた不断の努力 すべての対人関係は「別れ」を前提に成り立ち、別れるために出会う


---『幸せになる勇気』第二・三・五章のまとめ

資本主義の競争原理が
承認欲求を加速させる

 18世紀に産業革命が起こった後、今日まで世界が資本主義の競争原理で動いています。

 競争では負けたら終わり。敗者には社会からはじき出される恐怖があります。

 その恐怖から、「負けないために力を誇示しなければ」「負けないために自分の課題を徹底的に避けよう」と私たちは問題行動に走ってしまうのでしょう。

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彼が「悪」だったから問題行動に走ったのではなく、学級全体に蔓延する競争原理に問題があったのです。

---『幸せになる勇気』140ページ


 問題行動はさまざま。

 パーソナリティ障害の3つのタイプは異様に目立ちたがったり、引っ込み思案だったり、一見するとまったく異なるのですが、その背景にはアドラーの「問題行動の5段階」があるように思えます。

結局は自分のタスクを
自分自身で果たすしかない

 問題行動を取る人に、周囲の私たちはつい注意したり、親身になって世話をしたりしがちです。

 こうした振る舞いは、先に紹介したメサイヤ・コンプレックスにすぎません。

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○優越コンプレックス

メサイヤ(救世主)・コンプレックス 他者を救うことで、自らが救われようとし、自らの価値を実感しようとする

---『幸せになる勇気』第二・三・五章のまとめ


 また、岡田医師の著書には、情緒的に不安定な人がパーソナリティ障害の人に接していると、白か黒かどちらかしかないという二分法的決めつけなどといったパーソナリティ障害の症状が出てきやすいと書かれていました。


 カウンセリングなどの専門的な訓練を受けずに、問題行動を取る人に接していたら、双方が泥船に乗ることにつながります。


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カウンセリングとは「再教育」である。

---『幸せになる勇気』116ページ

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われわれはカウンセリングをするとき、相談者を「依存」と「無責任」の地位に置かないことに細心の注意を払います。

---『幸せになる勇気』122ページ


 それから、正論を吐いて注意するのは、「課題の分離」ができていないからでしょう。

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(高利貸しにも価値があると考えるのが自然だと述べた後で)

正義に酔いしれた人は、自分以外の価値観を認めることができず、果てには「正義の介入」へと踏み出します。


---『幸せになる勇気』194ページ


 私たちは、1人ひとりが人生のタスクに向き合うことしかできないのです。

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○人生のタスク


仕事の関係 信用の関係、生存に直結した課題で分業している、仲間たちと成し遂げる課題


交友の関係 信頼の関係、理由はなく利他的な態度で生まれる


愛の関係 意志の力で「私たちの幸せ」を築き上がる、二人で成し遂げる課題


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 言い換えれば、自分のタスクも遂行せずに、他人のせいにしたり、他人をコントロールしようとしたり、他者ばかりに注目するから精神を病むわけです。



 すべての人が今の自分に集中することで、精神的な健康が取り戻されるということでしょうね。


 余談ですが、「負けないために自分の課題を徹底的に避けよう」とするいびつな人物(ほぼ間違いなくパーソナリティ障害)を描いた作品が、『伊藤くんA to E 』(柚木麻子、幻冬舎)。ラストの伊藤くんのゆがんだ論理が怖かったです。いびつな人間の奇妙な正論と異常性を作者が描き切り過ぎ……。ポップなカバーにだまされてはいけません!

 心温まる『ランチのアッコちゃん』シリーズを書いた人と同一人物とは思えませんでした。すごい筆力です。

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