人間が書き記すようになったのは、愛や信仰を伝えるためでなく、納税を記録するためだった 『税金の世界史』
世界最古の文字は、イラクにあるウルク遺跡から出土した粘土板(石板も交じる)に刻まれています。
約800枚(諸説あり。5000枚以上とも)の粘土板は、紀元前3300~3200年頃のものです。つまり文字の歴史は約5000年ということになります。
粘土板に刻まれている文字は、絵文字(またはウルク古拙文字)と呼ばれています。
約800枚(諸説あり。5000枚以上とも)の粘土板は、紀元前3300~3200年頃のものです。つまり文字の歴史は約5000年ということになります。
粘土板に刻まれている文字は、絵文字(またはウルク古拙文字)と呼ばれています。
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ウルク文字(Wikimediacommonsより) |
紀元前3300~3200年頃は、チグリス川・ユーフラテス川の周辺の平野で「メソポタミア文明」が成立していました。
この地域に住んでいたシュメール人が、都市国家を築いたとのことです。ウルクは当時の都市の名前で、現在はワルカという名前です。
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ジッグラトという聖塔(Wikimediacommonsより) |
ウルクの遺跡から出土した粘土板には約1000の文字が使用されているそうです。完全には解読されていませんが、大部分が会計簿または目録であることがわかっています。短く刻まれた線である数字と一緒に、人物や動物、食料品が絵文字で書かれています。
つまり人間は、「僕が欲しいもの、それは君のすべてだ」などと愛を伝えるためでなく、経済活動を記録するために文字を使って作文をするようになったわけですね。
全然ロマンティックではありません。
さらに、その経済活動とは、税です。
ここでは『税金の世界史』(著/ドミニク・フリスビー 河出書房新社)について紹介します。
「租税は文明社会の対価である」 オリバー・ウェンデル・ホームズ
アメリカのIRS(米国国税庁)の建物には、この言葉が刻まれているそうです。
税は文明とともに誕生した。古代の狩猟・採取社会にも、大まかに税と呼べるものはあった。ヒトがおよそ一万年前に定住を開始したころ、集落のリーダーは既に労働力と生産力のために人びとを重用していたのである。それ以降、税のない文明が存在したことはない。
どうして、税は文明とともに生まれたのでしょうか。
その理由は、集団で農業を行うことで生産性が上がり、「自給自足」の暮らしが変わったことにあるようです。
文明の「始まり」は約七〇〇〇年から一万年前、ティグリス川とユーフラテス川に挟まれた肥沃な三日月地帯に遊牧民が定住したころのことである。(中略)おそらく人類史上初めて、人びとは自分たちに必要な量よりもたくさん生産するようになった。
自分たちが食べる以上の量の農作物ができたら、ヒツジなどそのほかのものと交換します。
こうしたやり取りを記録するために、「トークン」という粘土玉が使われていました。写真の下のほうにある粘土玉がトークンで、上のほうにある粘土でできた丸い容器は「ブッラ」でトークンを入れるために作られたものです。
トークンが発展して、粘土板に絵文字を刻み付けるようになったのです。
泥でつくられた代用貨幣、すなわちトークン–大麦の量の小単位をあらわす円錐形のものと、ヒツジの頭数をあらわす円盤形のもの–は、出納簿をつけるのに使われた。
やがて人びとは、粘土玉にトークンを入れるのではなく、粘土板に絵文字を刻みつけるようになった。そこから、人類初の文字体系がつくられていった。市場最古の書字は納税の記録だった。(中略)文字で記録する方法–筆記法–に熟達した人びとは徴税人になった。古代には、会計、貨幣、貸借、租税、筆記が同時に発達していったのである。
メソポタミア文明では、所得税の起源である「十分の一税」という制度があったとのこと。
文字が生まれたのは、税を記録するため。そして、私たちに名前が付けられるようになったのも、税を徴収するためでした。
われわれが姓名を名乗るようになったのも徴税のためだった。(中略)姓を名乗るようになった理由? 人頭税の徴収の際、人びとを区別するのに便利だからだ。
よくよく考えると、普段の生活で家族や近所の人を呼び掛けるときには「ねえ」「ちょっと」で済みます。あるいは「お父さん」「お兄ちゃん」「ライターさん」「編集さん」など、立場や職業で呼びかけることもあります。
文字を使う。文章を作る。記録を残す。名前をつける。
現在、私たちが日常的に行っていることのルーツは、税にあったということですね。
税の存在は、人間の生活を大きく変えました。そんなパワーを持ってしまったのは、税が権力と結びついているからです。
税は権力である。国王でも、皇帝でも、政府でも、税収を失えば権力を失う。
税は戦争を可能にするのである。戦争をやめたければ課税をやめればいい。
個人的に、文字を使うようになったルーツは芸術や呪術にあると思っていました。抒情詩を書き留めたり、神に祈りを伝えたりするために、文字が生まれたのではないかと。
しかし、税のためだったのですね。やれやれ。
『税金の世界史』では、古代から現代、そして未来の税について言及されているので、まとめておきます。
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14世紀の歴史家であるイブン・ハルドゥーンは、『歴史序説』で税について言及しているそうです。
王朝の初期には、税負担は軽いが、税収は多い。時がたち、王が代替わりするにつれ、部族のならわしは捨て去られ、より文明的な手法が取り入れられる。やがて徴税の必要性、緊急性が高まる……それは、王が贅沢にぶけるが故である。そこで、王は市民に新たな税を課す……税率を大きく引き上げ、自分の取り分を増やす……。その結果、生産性が低下し、税収が減少することになる。
税率が上がると、税収が減る。不思議な感じがするのですが、こうした傾向はさまざまな場面で見られるとのこと。イギリスのサッチャー首相のときも、そうだったようです。
また税と同じ存在が、国の借金とインフレだと著者は述べています。
借金は、もちろん厳密には税金ではないが、税金として見ることができる。政府がそれをどう使うかを考えれば、なおさらそうである。借金は「未来に課される税」なのだ。
債務と同じく、インフレも厳密には税金ではないが、だからといってそれが存在しないわけではない。実は故意に引き起こされることがたびたびあって、その効果はつねに同じである。一方の集団から富を奪い、別の集団に渡すのだ。給与所得者や貯蓄者から国に。政権者から債務者に。被雇用者から雇用者に。それは「とくに悪辣な課税体形」であると経済学者のヘンリー・ハズリットはいう。
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財務省サイトより |
財務省が作成した上のグラフからも、「日本の借金」が増えていく様子がわかります。
それを返すために、日本の子どもたちが大人になる頃に税率がアップするという話です。そうしなければ、借金は返す手立てはありません。
著者はイギリスの金融ライター・コメディアンで、『税金の世界史』には以下の記述がありました。少子高齢化が進む、今の日本と同じ現象です。
かつては二親のうち一人が働けば中流の生活水準を保てたところを、いまでは共働きでなければやっていけない。子供の数も、それほど増やせない。そんなこんなで、多くの人びと、とりわけ下層階級と中流階級に属する人びとは無理に無理を重ねてきている。どの世代も、税金とインフレという二つの重石に挟まれ、前世代よりも貧しくなっている。
税の未来について、暗号資産(仮想通貨)にも言及していました。
二十世紀の「大きな政府」モデルは法定通貨と一体だった。実際、このモデルは法定通貨によって可能になるものなのだ。政府は管理通貨制度によって強大な力を得た。(中略)非法定通貨の流通はその力を弱めてしまう。
税について、「当然払うもの」「払わされるもの」というイメージが強いのではないでしょうか。また、今の税制は非常にわかりにくいものになっています。
私たち納税者が、主体的に税を考えることで未来が左右されると、著者は述べていました。
国家の運命–人びとが豊かになるか貧しくなるか、自由な立場を得るか隷属的な立場を得るか、幸せになるかみじめになるか–の大部分は税制によって決まるのだ。
税とは、われわれの子供たちが暮らす未来を形づくるための手段である。歴史上のいくつかの事例から、見当違い、思慮不足、あるいは時代遅れな税法は悲惨な結果をもたらしうることがよくわかる。われわれは、二十一世紀の新しい経済の形を反映した、これまでにない、よりよい税制を構築しなければならない。
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