いつから句読点が打たれるようになったのか
句点がきちんと打てない子どもがいます。
読点の使い方は非常に難しく、決まりもありません。
ですから私は「なるべく使わないように。そのために文は短くしましょう」と、作文教室で指導してきました。
それに比べて、句点の打ち方は明確。
1文が終わるところで句点を打てばいいだけです。
しかし、できていない!!
「1文が終わったら。(句点)だよ」という指導では効果が得られないのなら、どうやって教えればいいのでしょうか。
そこで、句読点の歴史を調べることにしました。
当たり前ですが、話し言葉に句読点はありません。
書き言葉にも最初は句読点がなく、何らかのきっかけで誰かが「1文の終わりに句点を打つように」と決めたはず。
句点を打つと決めた理由がわかれば、子どもにも効果的に句点について説明できるでしょう。
ネットで検索して、いちばんおもしろくて役立ったのは、九州大学が作成した資料。非常にいいセンスだなと、読んでいてうれしくなりました。
http://yebisu.cc.kyushu-u.ac.jp/~watanabe/RESERCH/MANUSCRIPT/OTHERS/YOKO/ten.pdf
要約すると、やはり昔は句読点など使わずに文章を書いていました。
行書体でつらつらと文字が書かれ、文字同士の空白や改行があれば、1文が終わったと理解できます。
時代は移り、明治20~30年(1887~1897年)の頃に句読点が使われ始めたようです。
当時は適当だったので、使い方を決める必要があると政府が考え、明治39年(1906年)に文部省大臣官房調査課草案の『句読法案』という基準ができたとのこと。
ここで話がガラリと変わり、印刷技術について。
1445年頃にグーテンベルクが活版印刷を発明しました(これはヨーロッパでの話。中国ではもっと古い時代から、活版印刷が行われていました。一説には、618~907年の唐の時代に、木版を使った活版印刷が行われています)。
活版印刷によって、本を大量に刷れるようになり、一般市民も本を読む機会が与えられるようになりました。
聖書が印刷できるようになって広く普及したことが、ヨーロッパの宗教改革を推進したと学校では教わりましたね。
活版印刷では文字を一つ一つハンコにするわけで、筆記体で文字がつながることはあり得ません。
また、1文が終わるたびに改行していると、1つの文章当たりのスペースが広くなって、大量の紙を使うことになるでしょう。
そのために、1文が終わったことを示す記号が必要になるわけです。
こうして.(ピリオド)が使われるようになったと推測されます。
日本では、明治時代には欧米に追い付け、追い越せとヨーロッパの技術を積極的に取り入れました。
活版印刷も明治時代に普及が進み、欧文と同様、1文が終わったことを示す記号が必要になりました。そして『句読法案』が作られたというわけです。
戦後の1946(昭和21)年、文部省教科書局調査課国語調査室が『くぎり符号の使ひ方〔句読法〕案』を発表しました。
文化庁のサイトで、『くぎり符号の使ひ方〔句読法〕案』が紹介されています。
http://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/sisaku/joho/joho/series/56/56.html
以上から、句点を打つと決めた背景には、活版印刷によって本が広く普及し、多くの人が文章のルールを共有する必要が生まれたことだと考えられます。
現代ではさらに情報技術が進み、人と人が直接会わずにメールなどでコミュニケーションを取るようになってきました。
ですから、文章を作る機会が激増しているわけです。
文章のルールを守っていないと、自分の意図とは違う文章を作成してしまい、それを読んだ人は当然誤解します。
文化庁のサイトに「国語表記の問題」という資料がアップされています。
それによれば、英文で,(カンマ)のつけ方を間違ったために、当時のアメリカ政府は200万ドルを損したエピソードが紹介されていました。
自分の意図とは違う文章を作成すると、損をするということです。
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