「平坦な戦場で 僕らが生き延びること」と、「グット タール」と、タレントの死と

「平坦な戦場で 僕らが生き延びること」 
HOW WE SURVIVE
IN THE FLAT FIELD

 この節を思い出したきっかけが、『ムラブリ 文字も暦も持たない狩猟採集民から言語学者が教わったこと』(著/伊藤雄馬 集英社インターナショナル)でした。
 ムラブリとは、サブタイトルにある「文字も暦も持たない狩猟採集民」。タイやラオスの山岳地帯に暮らしているそうです。

 ムラブリの言葉は、「現在(今、ここ)」と「それ以外」。

 ムラブリ語のアスペクトは多くない。もっともよく用いられているのが「ア」という形式だ。この形式の表す局面が不思議なのだ。日本語のいうところの「もうした」(過去)と「これからする」(未来)のどちらかを表す。

 「帰る」を意味する「ワール」については、「ア ワール」になると「帰った」と「これから帰る」の両方を意味するそうです。過去か未来かは、文脈やシチュエーションで判断するようなのですが、それで特段、困ったことにはならないとのこと。
 狩猟採集の生活では、今、ここにある目の前の獲物、目の前の果実が重要で、昨日や明日のことはどうだったいいのかもしれません。

 そんなムラブリが定住するようになり、換金作物の栽培を手伝うようになって、自殺をする人が増えた時期があったのだそうです。

 なぜムラブリが自殺するのか、ある男性は「グット タール(長く考えたから)」とだけ答えてくれた。

 文字と暦を持つようになり、「今、ここ」という感覚が薄れてしまって、過去や未来のことを長く考えていたら、私たち人間は病むのかもしれません。
 あるいは、過去から未来までの果てしなく退屈な時間の中に、「今、ここ」が埋没すると、生きていることの現実感が失われるのかもしれません。

 だから自暴自棄になるし、自分や誰かを傷つけて「生きている」ことを確かめたがる。

 ムラブリが長く考えるようになったのは、農耕(換金作物の栽培)に携わるようになったことが関係しているようです。

 教科書的には、狩猟採集社会から農耕社会への変化を「発展」「進化」ととらえられがちですが、『サピエンス全史』(著/ユヴァル・ノア・ハラリ 河出書房新社)では異なる解釈が行われていました。 

 『サピエンス全史』では、人類が小麦などを栽培して豊かになったのではなく、人類が小麦によって家畜化されたと書かれていました。狩猟採集から農耕へと「農業革命」が起こったため、人類は不自由な生活を強いられるようになったのです。
 農業革命で小麦や米を栽培するようになると、人類は1カ所にとどまって、小麦や米が枯れないようにするため水をくんで来たり、雑草を取ったりしなければならなくなりました。こうした生活は、狩猟採取のために発達してきた人間本来の体の動きと合っていません。ですから、肩こりや腰痛に悩まされるようになったそうです。自由に動き回れる生活のほうが、人類はストレスが少なく、健康的に暮らせるのです。

 つい最近、タレントの自殺が話題になりました。

 自分の性別が男性であることへの葛藤。
 結婚し、子どもがいるが、「男性が好き」と公表して離婚。
 女性ホルモンを投与されていたこと。
 離婚や外見に対する誹謗中傷。

 遺書がないので、自殺の理由は誰にもわかりません。

 ただ、「グット タール」が一因かと思ったわけです。
 そのタレントに限らず、生きていることの現実感が失われやすい「平坦な戦場」で、私たちはなんとか生き延びているだけなのかもしれません。




 「平坦な戦場」という言葉は『リバーズ・エッジ』(著/岡崎京子 宝島社)で引用されています。


 元は『ArT RANDOM 71. Robert Longo』に収載のTHE BELOVED(VOICES FOR THREE HEADS) BY WILLIAM GIBSON
「愛する人(みっつの頭のための声)」(ウィリアム・ギブスン 訳/黒丸尚)です。




 




この街は
悪疫のときにあって
僕らの短い永遠を知っていた

僕らの短い永遠

僕らの愛

僕らの愛は知っていた
街場レヴェルの
のっぺりした壁を

僕らの愛は知っていた
沈黙の周波数を

僕らの愛は知っていた
平坦な戦場を

僕らは現場担当者となった
格子を
解読しようとした

相転移して新たな
配置になるために

深い亀裂をパトロールするために

流れをマップするために

落ち葉を見るがいい
涸れた噴水を
めぐること

平坦な戦場で
僕らが生き延びること



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