真の敵は、己の被害者意識

ここ数日に身の回りで起こった出来事から思いました。

トラブル解決を妨げるばかりか、新たなトラブルを生み出しているのが、被害者意識だと。



デジタル大辞泉によると、被害者意識とは次のとおりです。

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ひがいしゃ‐いしき【被害者意識】

必ずしも被害を受ける立場にあるわけではないのに、自分は被害を受けている、受けるに違いないと思い込むこと。また、自分の誤った行為を正当化するために、責任を他者や生育環境などに転嫁し、自分こそ被害者だと思い込むこと。

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世界で2番目に古い法典である「ハンムラビ法典」。

紀元前1750年頃に作られたそうです。

一説によると「相手にやられたら、やられた以上に仕返しをしてしまい、どんどんエスカレートをする。それを止めるために法律を作った」とのこと。



やられた以上に仕返しするのは、「悔しい」「ひどい」「このままじゃみじめだ」といった被害者意識が原因の一つ。

人間という生き物の思考回路は、4千年以上も前からあまり変わらないのかもしれません。



アリストテレスがいったように人間が社会的動物なのだとしたら、集団をつくって他人とかかわり合いながら生活するわけです。

大なり小なりトラブルが起こるのは当たり前。

トラブルで被害者意識を強く持ってしまえば、仕返しがエスカレートし、集団生活が送れなくなってしまいます。



被害者意識を持つのは、トラブルで負うべき自分の責任について納得しないからではないでしょうか。

「こんな状況になったのは、私のせいじゃない」「ひどい」と他者を恨んでばかりいるのです。



さらに、納得するためには自分で理解を深めるという努力が必要ですが、他人にやってもらうものと思い込んでいる可能性があります。

「相手の言い方が悪い」「そんな説明じゃわからない」と努力を放棄しているため、納得する段階に至らないのです。



被害者意識が強い人物はトラブルを大きくしやすいので、当然、周囲の人間から避けられたり、排除されたりすることが多いでしょう。

「人間関係がうまくいかない」「物事がうまく進まない」と感じたときには、己の被害者意識に注意し、自分なりに納得できる方向で努力をしたほうがいいと思った次第です。



敵は己にあり。



自分の被害者意識に振り回されないようにするために必要なのが、論理と掃除。

はて?という感じですよね。



論理については、自分が住む地域のルール、つまりは法律とトラブルを照らし合わせ、トラブルの責任について検証するのです。

重要なのは、法律を使って、文章化すること。

自分の頭の中だけでの論理は、「全部相手が悪い」という結論ありきの、子どもじみた屁理屈に過ぎません。

法律を参照して論理を積み上げようとして「どうも話の通りが悪いな」と思ったら、自分の論理は間違っているわけです。

また、文章化で詰まってしまったときは、実は論理的に考えていません。

書けるか書けないか。

それによって、論理的に考えているのかを自分でチェックできます。



ただ、当たり前のことですが、人間は論理だけで生きているわけではありません。

論理を積み上げていると、やるせない気持ちになることもあるでしょう。



そんなときに役立つのが、掃除。

家の中を見回し、1年以上読んでいない本や使っていないグッズは捨ててしまいましょう。

身の回りを片付け、棚のホコリを落とし、床に掃除機をかけます。

さらに窓と水道の蛇口をピカピカに吹きあげて、ふろ場のカビを落とします。



一心不乱に掃除をしていると、「まあ、お互いさまかな」などとストンと気持ちが解決することが多いのです。

神道でも仏教でも掃除を重視しているのは、「あれこれ考えず、つべこべ言わず、ひたすら掃除すれば心が楽になりますよ」と経験的にわかっていたからかもしれません。



余談ですが、被害者意識と罪悪感は親戚関係にあると思います。

アルフレッド・アドラーの著書で、罪悪感はたちが悪いとけなされていました。

どの本だったのか忘れたので、もう一度読み直しますが、罪悪感を理由に病気に引きこもる患者が多いということを書いていました。

医師として神経症の患者を治療するうえで、胃痛などの痛みや不眠を絶えず訴える人に痛み止めと睡眠剤を処方しても意味がないと判断したのでしょう。



責任を相手や自分になすり付けるだけでは、トラブルも病気も解決しないのですね。

耳が痛い話です。




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