「なぜ生きる?」「何が幸福?」で頭を抱える ~『サピエンス全史』を読んで

人類は数多くの大型動物を
絶滅させた「特定外来生物」

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歴史上の痕跡を眺めると、ホモ・サピエンスは、生態系の連続殺人犯に見えてくる。

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 人類が数多くの大型動物を絶滅させてきたという事実を知って、ぞっとしました。5万年前に人類がさまざまな大陸に渡っていくと、その大陸に住んでいた大型動物は狩られたり、住んでいる森を焼き払われたりして、死に絶えてしまったと、この本では書かれています。

 私たちの祖先は、生態系に悪影響を及ぼす特定外来生物のような存在だったというわけです。



 人類は進化の過程で、目の前にない物事について語り、大多数で協力関係を作る(Fiction and Cooperation)ことができるようになりました。こうして、自分より強いライオンやゾウなどを圧倒して、数々の大型動物を絶滅させながら生き延びてきたのです。絶滅させられた生物には、ネアンデルタール人も含まれています。



人類は、不幸な方向へと
「革命」を進めてきた?

 この本を読み進めると、気持ちが重くなってきました。狩猟採集から農耕へと「農業革命」が起こったため、人類は不自由な生活を強いられることになったとわかったからです。



 農業革命で小麦や米を栽培するようになると、人類は1カ所にとどまって、小麦や米が枯れないようにするため水をくんで来たり、雑草を取ったりしなければならなくなりました。こうした生活は、狩猟採取のために発達してきた人間本来の体の動きと合っていません。ですから、肩こりや腰痛に悩まされるようになったそうです。自由に動き回れる生活のほうが、人類はストレスが少なく、健康的に暮らせるのです。



 人類が小麦などを栽培して豊かになったのではなく、人類が小麦によって家畜化されたと書かれていたので、農業革命は結果として人類のためにはなっていないのだとショックを受けました。







人類は
統一する方向で突き進む

 国家、法律、貨幣、宗教。

 すべては人類の認知(妄想、知覚、学習、予測など)の力によって生まれた秩序、虚構です。



 著者は自由主義や共産主義、資本主義などといった「イデオロギー」を新しい宗教と分類しています。こうした考え方を不快に思う読者に対して、次のように呼びかけています。

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私たちは信念を、神を中心とする宗教と、自然法則に基づくという、神不在のイデオロギーに区分することができる。だがそうすると、一貫性を保つためには、少なくとも仏教や道教、ストア主義のいくつかの宗派を宗教ではなくイデオロギーに分類せざるをえなくなる。逆に、神への信仰が現代の多くのイデオロギー内部に根強く残っており、自由主義を筆頭に、そのいくつかは、この信念抜きではほとんど意味を成さないことにも留意すべきだ。

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 先進国の多くでは、人間至上主義という虚構がベースとなって法律などが作られています。神のもとで人類は特別な権利、「人権」が与えられていると。隣の家の飼い犬を殺したら「器物損壊罪」などになりますが、隣の人を殺したら「殺人罪」に問われます。人と犬とでは大きな差があるわけです。





 人間至上主義において人間は特別な存在なのですが、この本では次のように指摘しています。

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生命科学はこの信念を徹底的に切り崩した。人体内部の働きを研究する科学者たちは、そこに魂は発見できなかった。彼らはしだいに、人間の行動は自由意思ではなく、ホルモンや遺伝子、シナプスで決まると主張するようになっている……チンパンジーやオオカミ、アリの行動を決めるのと同じ力で決まる、と。

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歴史を研究するのは
未来を知るためではない

 この本では人類の歴史をたどっているわけですが、私たちが教わった歴史は後知恵によるもので、「たまたまそうなった」という「二次」のカオス系なのです。

 だったら、なんのために歴史を勉強するのでしょうか?

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歴史を研究するのは、未来を知るためではなく、視野を拡げ、現在の私たちの状況は自然なものでも必然的なものでもなく、したがって私たちの前には、想像しているよりもずっと多くの可能性があることを理解するためなのだ。

We study history not to know the future but to widen our horizons, to understand that our present situation is neither natural nor inevitable, and that we consequently have many more possibilities before us than we imagine.

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 人類がたどってきた道は、人類に利益をもたらすためでも、人類が置かれた状況を改善するためでもなく、「たまたまその道を進んでしまった」程度のことだといえそうです。

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進化と同じで、歴史は個々の生き物の幸福には無頓着だ。そして個々の人間のほうもたいてい、あまりに無知で弱いため、歴史の流れに影響を与えて自分に有利になるようにすることはできない。

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科学革命は
無知の革命

 驚いたことに、近代以前の宗教では、私たちが生きるこの世界の重要事項はすでにすべて知られていると考えたのだそうです。「大事なことは全部わかっているし、わからないものはそもそも必要ではない」という立場のようですね。

 現代では、真逆の考えをしています。

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科学革命の発端は、人類は自らにとって最も重要な疑問の数々の答えを知らないという、重大な発見だった。

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 科学には非常にお金がかかるのですが、政府や企業が莫大な金額を注ぎ込んで、驚異的な成果が挙げられてきました。



 「私たちにはまだ知らない土地がある」という考えをもとに、探検家が生まれ、航海のために政府がお金を出し、結果として「新大陸」を征服していくという流れが生まれたようです。



 将来と科学とお金。



 世界中の今の富をお金に換算したら、富と富との交換をするだけで、全体の富の量は変わりません。そこに「将来」という虚構の富を加えると、今あるものを交換するしかないという袋小路から抜け出せたわけです。

 将来の富(お金に換えられるもの)を「信用(クレジット)」と呼びます。

 古い時代にも信用はあったそうです。ただ、次の理由で、あまり信用供与を行おうとはしなかったのだそうです。

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将来が現在よりも良くなるとは到底信じられなかったからだ。

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 現代は、進歩という考え方で、将来はもっと良くなると信じられていて、私が豊かになったからといって他人を貧しくするわけではないと考えます。

 むしろ、私がお金を稼いで利益を増やせば、誰かを雇って雇用を増やせるので、社会をよくすると考えるわけです。

 こうした考え方をアダム・スミスが主張したそうです。

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実際のところスミスはこう述べているに等しい……強欲は善であり、個人がより裕福になることは、当の本人だけでなく、他の全員のためになる。利己主義はすなわち利他主義である、というわけだ。

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したがって、社会の中で最も有用で慈悲深い人間は金持ちだということになる。

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 金持ち=エライ、スゴイ、素晴らしいという構図ですね。金持ちになった人はたいてい伝記を出版しますが、そんな本をありがたく買って読むのも、この構図に当てはまります。



 資本主義は、今や一つの倫理体系になったと著者は語ります。

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どう振る舞うべきか、どう子供を教育するべきは、果てはどう考えるべきかさえ示す一連の教えまでもが、資本主義に含まれる。

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 この資本主義を下支えしているのは科学の力と、経済成長は永遠に続くという妄想です。

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薄っぺらな信用を金融システムに注ぎ込みながら、バブルが弾ける前に、科学者や技術者やエンジニアが何かとんでもなく大きな成果を生み出してのけることを願っている。

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利益と生産を増やすことに
とりつかれる

 資本主義では、需要と供給の法則にのっとって自由市場が運営されていました。

 その欠点は、利益が不平等に分配されていること。

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それどころか、人々は利益と生産を増やすことに取り憑かれ、その邪魔になりそうなものは目に入らなくなる。成長が至高の善となり、それ以外の倫理的な考慮というたがが完全に外れると、いとも簡単に大惨事につながりうる。

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 本著では奴隷貿易が挙げられていましたが、私がこの記述で思い出したのが、森永ヒ素ミルクや水俣病といった事件・公害です。近年の食品偽装も、根底は同じ問題だといえそうです。

 金儲けのためなら、他人が死んでもかまわない……



 人間同士ではこの問題は克服してきているようですが、地球上の生物に目を向けるとどうでしょうか。私たちが口にしている鶏や牛や豚は? 子牛は母親から引き離されて、機械化した製造ラインの一部と化しています。母子の情緒的な絆は断ち切られて……

 こうして食品は効率よく生産され、工場やオフィスからは膨大な量の製品が世に送り出されています。

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そして、まったく新しい問題が生じた。いったい誰がこれほど多くのものを買うのか?

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家族と地域コミュニティが崩壊し
国家と市場が台頭した

 伝統的な農業は、天候や動植物の生育サイクルに合わせて仕事を行ってきました。

 また職人も、自分のペースで材料を調達し、加工して、一人で製品を仕上げていました。



 ところが、現代の農業は品種改良を施し、天候や生育サイクルに左右されずに一定の量を収穫できるようにコントロールしています。

 製造においても、効率化のために分業が進みました。

 こうした産業革命によって、時間が重視されて、やがてはスケジュールが私たちの活動を支配するようになりました。午前6時には起きて、正午には昼休みで昼食を取って、午後5時には帰るというように。

 ただ、こうした変化はほんの一例に過ぎないと著者は語ります。

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(最も重大な)社会変革とは、家族と地域コミュニティの崩壊および、国家と市場の台頭だ。

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 産業革命前は、病気の人は家族が看病し、年老いた親は子どもが面倒を見て、仕事を始めたければ家族や親類が援助をし、年頃になれば結婚相手を探してきました。

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コミュニティは、地元の伝統と互恵制度に基づいて、救済の手を差し伸べた。多くの場合、それは自由市場の需要と供給の法則とは大きく異なっていた。

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 こうしたコミュニティは決して温かいものではありません。好きな人とは結婚できないし、自分で新しい仕事を始めようとしても反対されたり、兄の犯罪で家族全員が罰せられたり、個人の自由・選択肢は狭められていました。

 現代でも報道される「インド西部で身分制度カーストの異なる階級の男性と駆け落ちの末に結婚した女性(21)が、父親になたでめった切りにされ殺害された」などの「名誉の殺人」も、コミュニティ内のルールにのっとって行われているものではないでしょうか。





 それが、産業革命で市場に大きな力が生まれると、教育も医療も福祉も、国家や市場が提供するようになりました。年金などの社会保障制度や企業の介護サービスなどがそれに当たるでしょう。

 今やコミュニティは形を変え、実際には会ったこともない者同士が知り合いであるかのような集合体になりました。

 もちろん、過去にも「キリスト教徒」「日本国民」といったコミュニティはありました。

 現代ではさらに「ベジタリアン」「環境保護論者」といったコミュニティが生まれています。

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消費者部族だ。彼らもまた、何よりもまず、消費するものによって定義される。それこそが、彼らのアイデンティティの要なのだ。

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 科学が進歩し、インターネットが広く利用されるようになって、近代社会は絶え間なく変化するようになりました。経済的にも社会的にも政治的にも、すさまじい勢いで変化しています。その結果として、激しい武力衝突に陥ることは激減しました。



 私たちは平和な時代を生きています。

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暴力の減少は主に、国家台頭のおかげだ。いつの時代も、暴力の大部分は家族やコミュニティ間の限られた範囲で起こる不和の結果だった。

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 社会の変化によって、人間は自由に移動し、土地を守るという意義も失われてきました。

 この本ではカリフォルニアが例に出ていますが、過去は金鉱が富でした。しかし今はIT[企業や映画産業です。戦争という暴力によってカリフォルニアを征服したとしても、技術者や映画監督がいなくなれば、富は得られないということです。

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戦争は採算が合わなくなる一方で、平和からはこれまでにないほどの利益が挙がるようになった。

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では、私たちは
幸せになったのだろうか

 農耕や都市、書記、貨幣制度、帝国、科学、産業などの発達を経て、平和になり、人類はかつてないほどの豊かさを得ています。「だが、私たちは以前より幸せになっただろうか?」と筆者は問いかけます。



 幸福度を測る資料はいろいろと論じられてきました。

 ただ、生物学者の主張によれば、社会の変化などの外的要因で幸福度は決まらないのだそうです。

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神経やニューロン、シナプス、さらにはセロトニンやドーパミン、オキシトシンのような様々な生化学物質から成る複雑なシステムによって決定される。

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幸福に対する生物学的なアプローチを認めると、歴史にはさほど重要性がないことになる。

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これまでにわかっているところでは、純粋に科学的な視点から言えば、人生にはまったく何の意味もない。

As far as we can tell from a purely scientific viewpoint, human life has absolutely no meaning. 

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人々が自分の人生に認める意義は、いかなるものもたんなる妄想に過ぎない。中世の人々が人生に見出した死後の世界における意義も妄想であり、現代人が人生に見出す人間至上主義的意義や、国民主義的意義、資本主義的意義もまた妄想だ。

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 私たちは「自分の人生に意義がある」という妄想に取りつかれて幸せを見出そうとするのですね。やれやれ。



幸せを探求する
真逆の方法論

 幸せホルモンと呼ばれるセロトニンや、愛情ホルモンと呼ばれるオキシトシンがドドドッと分泌される状態が幸福なのだとしたら、あるいは、「自分の人生に意義がある」という妄想の中に幸福があるとしたら、どちらも主観的感情で、一人ひとりが何をどう感じるかによって決まると著者は語ります。

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 幼児期からこのようなスローガン(「自分に正直であれ」「心の声に耳を傾けろ」「心の命じるままに行動するのだ」「私が良いと感じるものは良い。私が良くないと感じるものは良くない」)を糧に育てられた人間は、幸福は主観的感情であり、自分が幸せであるか、不幸であるかは、本人がいちばんよくわかっていると考える傾向にある。だがこれは、自由主義に特有の見方だ。

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 歴史を振り返れば、宗教やイデオロギーは客観的な尺度があると主張してきたのです。



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主観的厚生を計測する質問表では、私たちの幸福は主観的感情と同一視され、幸せの追求は特定の感情状態の追求と見なされる。対照的に、仏教をはじめとする多くの伝統的な哲学や宗教では、幸せへのカギは真の自分を知る、すなわち自分が本当は何者なのか、あるいは何であるのかを理解することだとされる。たいていの人は、自分の感情や思考、好き嫌いと自分自身を混同している。

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幸福の歴史に関して私たちが理解していることのすべてが、じつは間違っている可能性もある。ひょっとすると、期待が満たされるかどうかや、快い感情を味わえるかどうかは、たいして重要ではないのかもしれない。最大の問題は、自分の真の姿を見抜けるかどうかだ。



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 ここから続く話は、生物工学です。マウスの背中に人間の耳に似たものを生やしたり、絶滅した生物を復活させようとしたりしている人類。永遠に若く美しく、科学は突き進んでいこうとしています。



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唯一私たちに試みられるのは、科学が進もうという方向に影響を与えることだ。(中略)ひょっとすると、私たちが直面している真の疑問は、「私たちは何になりたいか?」ではなく、「私たちは何を望みたいのか?」かもしれない。この疑問に思わず頭を抱えない人は、おそらくまだ、それについて十分考えていないのだろう。

the real question facing us is not ‘What do we want to become?’, but ‘What do we want to want?’ Those who are not spooked by this question probably haven’t given it enough thought.


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目次

第1部 認知革命 (The Cognitive Revolution)



第1章 唯一生き延びた人類種

不面目な秘密/思考力の代償/調理をする動物/兄弟たちはどうなったか?



第2章 虚構が協力を可能にした

プジョー伝説/ゲノムを迂回する/歴史と生物学



第3章 狩猟採集民の豊かな暮らし

原初の豊かな社会/口を利く死者の霊/平和か戦争か?/沈黙の帳



第4章 史上最も危険な種

告発のとおり有罪/オオナマケモノの最期/ノアの方舟



第2部 農業革命(The Agricultural Revolution )



第5章 農耕がもたらした繁栄と悲劇

贅沢の罠/聖なる介入/革命の犠牲者たち



第6章 神話による社会の拡大

未来に関する懸念/想像上の秩序/真の信奉者たち/脱出不能の監獄



第7章 書記体系の発明

「クシム」という署名/官僚制の驚異/数の言語



第8章 想像上のヒエラルキーと差別

悪循環/アメリカ大陸における清浄/男女間の格差/生物学的な性別と社会的・文化的性別/男性のどこがそれほど優れているのか?/筋力/攻撃性/家父長制の遺伝子



第3部 人類の統一(The unification of humankind)



第9章 統一へ向かう世界

歴史は統一に向かって進み続ける/グローバルなビジョン



第10章 最強の征服者、貨幣

物々交換の限界/貝殻とタバコ/貨幣はどのように機能するのか?/金の福音/貨幣の代償



第11章 グローバル化を進める帝国のビジョン

帝国とは何か?/悪の帝国?/これはお前たちのためなのだ/「彼ら」が「私たち」になるとき/歴史の中の善人と悪人/新しいグローバル帝国



第12章 宗教という超人間的秩序

神々の台頭と人類の地位/偶像崇拝の恩恵/神は一つ/善と悪の戦い/自然の法則/人間の崇拝



第13章 歴史の必然と謎めいた選択

1 後知恵の誤謬/2 盲目のクレイオ



第4部 科学革命(The Scientific Revolution)



第14章 無知の発見と近代科学の成立

無知な人/科学界の教義/知は力/進歩の理想/ギルガメシュ・プロジェクト/科学を気前良く援助する人々



第15章 科学と帝国の融合

なぜヨーロッパなのか?/征服の精神構造/空白のある地図/宇宙からの侵略/帝国が支援した近代科学



第16章 拡大するパイという資本主義のマジック

拡大するパイ/コロンブス、投資家を探す/資本の名の下に/自由市場というカルト/資本主義の地獄



第17章 産業の推進力

熱を運動に変換する/エネルギーの大洋/ベルトコンベヤー上の命/ショッピングの時代



第18章 国家と市場経済がもたらした世界平和

近代の時間/家族とコミュニティの崩壊/想像上のコミュニティ/変化し続ける近代社会/現代の平和/帝国の撤退/原子の平和



第19章 文明は人間を幸福にしたのか

幸福度を測る/化学から見た幸福/人生の意義/汝自身を知れ



第20章 超ホモ・サピエンスの時代へ

マウスとヒトの合成/ネアンデルタール人の復活/バイオニック生命体/別の生命/特異点/フランケンシュタインの予言



あとがき――神になった動物
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