子どもは親を選んで生まれてきたわけではありません。これから生きる場所は自分で選んでいいんです

「先生、どうにかできませんか」

 小学4年生の女の子が発した必死のSOSを、受け止める大人はいなかったのでしょうか。

<野田小4女児死亡>「先生どうにかして」SOS父に筒抜け
1/31(木) 22:44配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190131-00010009-chibatopi-l12

 このニュースで、「またか!」という憤りを覚えた人、女の子の絶望を思って涙を流した人は少なくなかったでしょう。

 こうした事件で思うのは、親とは何かということ。
 親にもいろいろな人がいて、私の経験ではパーソナリティ障害も少数ながら見受けられました。

 彼らとは、話し合いでは決着しません。

 端的な例が、『モンスターマザー:長野・丸子実業「いじめ自殺事件」教師たちの闘い』(新潮社)に紹介されていました。


 高校生の少年を自殺に追い込んだのは、実は母親だったというノンフィクション。

 この母親は執拗に学校関係者を責め立て、マスコミや教育評論家を巻き込んでいきます。その結果、少年の自殺は大きなニュースへと発展していきます。

 平気でうそをつくこの母親は、パーソナリティ障害の特徴と見事に合致しています。

 詳細は本書を読んでもらうとして、「まさか実の親が……」という思い込みが、いかに危険であるかということだけお知らせします。

 父親だから、母親だから、子どもの幸せを願っているだろうし、話せばわかるというのは大間違いだと、私は思っています。

 もう一つ、幼い子どもたちに伝えたいことがあります。
 「親が暴力を振るったり暴言を吐いたりするのは、あなたのせいではありません。
 
 親自身の問題です。もしかしたら病気と言えるかもしれません。

 あなたがその状況を引き起こしたわけでも、あなたがその状況を選んで生まれてきたわけでもありません。
 可能なら、全力で逃げましょうよ」


 『クラナリ』で取材させていただいたコミュニティカフェ「プラット」では、以下の資料もいただいていました。
 新聞記事には「未成年者が虐待や貧困などの理由で家を出たいと思った時に宿泊させ、行政などと連携を取りながら自立支援を行う活動も拡充させる」と書かれていました。

家族がきつい。
学校も受け止めてくれない。
だったら、コミュニティカフェ「プラット」がありますよ。

 正直なところ、子どもの痛ましい事件を行政の責任にしていても、今、既に苦しんでいる子どもの手助けにはならない気がします。

 子どもたちには、「親を捨てて幸せに生きる」という選択肢があることも私は伝えたいですね。

 野田市の小学4年生の女の子のケースでは、自分の家の近所にちょっと顔見知りの家があって、追い詰められたときに逃げ込めたなら、また違った状況になったのではないでしょうか。

 そうです、ご近所という顔見知りのコミュニティです。

 弱い者が、弱いままに守られる場が「コミュニティ」なのだとしたら、私はコミュニティづくりに何らかの形で関われればうれしいと思いました。

●コミュニティカフェ「プラット」
https://www.plat-diversitykobo.com/
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