穏やかに、軽やかに人生を全うする「在宅ひとり死」という選択肢

 高齢になってから、住み慣れた土地や家を離れなければならないとき、私たちには大きなストレスがかかるようです。
 上記の状況で認知症になってしまった高齢者は珍しくありません。
 「おばあちゃんを施設に入れてよかったのか」「呼び寄せないほうがよかったのかも」と悔やむ声を私は聞いています。
 高齢者が住み慣れた土地で暮らし続けるには、脳も体も健康であり続けることが重要です。

 しかし、配偶者が亡くなって一人暮らしになり、健康度も低下して重い病気を抱えながら生活する高齢者もいます。
 健康問題のある高齢者の近くに子どもや親類が住んでいるならサポートできますが、身近に親類がおらず、子どもが全国転勤を伴う会社員生活を送るケースや、遠く離れた場所で家族と暮らすケースは多いものです。

 『未来の年表 人口減少日本でこれから起きること』(著/河合 雅司  講談社)には2021年に介護離職が大量発生すると予想されていましたが、子どもが老親のために仕事を辞めたり家族と離れたりすれば、子ども世代の生活を脅かすことになりかねません。

 高齢の一人暮らしで病気を抱えていても、住み慣れた土地で暮らし続けたい。
 近くに親類はいない。
 子どもに負担をかけたくない。
 以上のようなケースで、どのような選択肢があるのでしょうか。
そのヒントは『おひとりさまの最期』(著/上野千鶴子、朝日新聞出版)にありました。

 「在宅ひとり死」について検討するのです。

 上野氏によれば「これは希望ではなく、直面せざるをえない現実」とのこと。少子超高齢化社会で、死別・離別・非婚でおひとりさまの人口が増えるうえ、医療制度が限界に近づき病院や施設の数は抑制されているからです。
 「在宅ひとり死」に悲惨なイメージを持つのは、どうやら在宅医療に携わっていない人間のようです。

 『穏やかな死に医療はいらない』(萬田緑平、朝日新書)では、一人暮らしをしながら周囲の人に見守られて、最期まで自宅で過ごした女性が紹介されていました。


 いくつかの関連書籍を読んで私が考えた「在宅ひとり死」の条件は以下の7つです。
①訪問診療を行っているかかりつけ医を作ること
②キュア(治療)からケア(看護・介護)にシフトするため、看護・介護専門職の人のサポートを受けること
③子どもや親類、近所の人には「Do Not Attempt Resuscitation(DNAR)指示」を伝え、容体が急変しても救急車を呼ばずにかかりつけ医に連絡してもらう体制を作ること
④「生命維持のための処置は受けずに痛みや苦しみといった自覚症状の軽減の治療だけを受けます。その結果がどうなっても、クレームはつけません」というメッセージカードを携帯すると
⑤近所の人とうまくコミュニケーションを取って「地縁ネットワーク」を作り、話し相手が数人いること
⑥自分の足で歩き回れる状態を長く続ける努力を惜しまないこと
⑦自分の財産を子どもではなく自分の幸せのためだけに使い切ってしまうこと
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 条件を書きだすと「在宅ひとり死」を迎えるには、入念な準備が必要だと気づきます。

 子どもがいたら、「私は住み慣れた家で人生を全うしたい」とプレゼンテーションする必要。
 外野の親類などに口を出させないために、自分の意思がはっきりとわかる書類などを作成する必要。
 自分と相性の良いかかりつけ医を見つける必要。
 なにより、看護・介護専門職の人やご近所さんなど「地縁ネットワーク」を作る必要。


 自分らしく人生を全うするには、老後もけっこう忙しいのかもしれません。
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