「自分を縛ったら、あきまへん」ということ

  健康法のほとんどにおいて、「これは口にしてはいけない」という食材が挙げられています。ときには「これしか口にしてはならない」という健康法もありました。


 20年ほど前でしょうか、武術的要素も濃い健康法を行っているグループを取材したことがありました。

 その中の1人の女性に話を聞くと、「私は玄米菜食を続けてきたから、ポッキーを1本食べただけで、すっごい下痢してしまうんですよね」とうれしそうに話してくれました。彼女にとっては、スナック菓子などは食品添加物の塊で、それを受け付けない自分の体が誇らしかったのかもしれません。


 彼女と似たようなことを口にする人は多々いました。


 彼らと話をしながら、1つの食事法を厳格に守る態度は、すごいと驚きました。その一方で、今の日本で生活していくのに、不都合が多いだろうなあとも思ってしまったのです。


 現在、日本に広まっている健康法のベースになっているのは、アーユルヴェーダや漢方(道教)といった伝統医学です。こうした伝統医学の基礎となる考え方は、「私たちが幸福に生き、安楽を実現させるためには、どうしたらいいのか」ということ。

 食べることも含め、行動をあまりにも制限されていたら、視野も狭くなり、幸福や安楽から遠ざかってしまいそうな気がします。


 加えて、健康法などを指導する側も、禁忌をいくつも挙げたうえで、自分たちが推奨している食品などをかなりの高額で販売していることも多々あります。そんな様子を見て、私は鼻白むわけです。


 私は雑誌編集者として、雑多な情報を節操もなく取り扱ってきました。その中で頻繁に起こったのは、「aではよいとされているものがbではダメ」というケース。

 それから、西洋医学では「〇年前まではaが正しいと推奨されていたのだが、今は誤りとわかり、bを推奨している」というケースもよく起こります。


 「自分を縛ったら、あきまへん」

 このように話していたのは、厳しい少食療法を実践していた甲田光雄医師でした。甲田医師自身、自分を縛り、他者に憤り、患者さんが治らないことなどに直面しながら、「縛らない」という考えに至ったのではないでしょうか。

 村上春樹の著作に「降りることは、上がることよりずっとむずかしい」という言葉が出てきます。木の高い枝にしがみついたままでは動くに動けず、そのまま死ぬかもしれないということ。

 「自分を縛ったら、あきまへん」というのは、降りる勇気ということかもしれません。



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