終末期医療を考える1 抗がん剤による治療中に自ら命を絶った患者の話
わが国のがん患者の自殺の実態が明らかではない
一般社団法人日本サイコオンコロジー(※)学会の資料には、このように書かれていました。
私の個人的な、ごく狭い経験の枠の中でも、「自殺なのか事故死なのかわからない」という例がいくつかありました。
がん患者に限らず、自殺の実態は見えにくいのかもしれません。
ただ、私の父親については、明らかにがん患者の自殺でした。亡くなったのは68歳のときです。原因は、抗がん剤治療中のうつ状態で、大学病院から一時的に自宅に帰されたことにあります。
父親は、小太りの糖尿病で、大酒飲みのヘビースモーカーでした。健診で引っかかり、大学病院で検査を受けました。
検査結果を知らせる前に、大学病院のスタッフは父親に「家族と一緒に来てください」と伝えたようです。しかし、それを無視して、父親は一人で大学病院に行きました。食欲も旺盛で、とても元気だったので「大したことはないだろう」と、本人は高をくくっていたようです。
一人で大学病院に来た父親に対し、スタッフは戸惑ったはずです。しかし、きっと忙しいということもあったのでしょう、その場で父親に直接、末期の肺がんと伝えたそうです。
父親は尊大な態度を取る人間でしたが、小心者でした。がんの宣告に大きくショックを受けていました。
そして、大学病院の医師に勧められるがままに手術を受けたものの、位置が悪かったのかインオペ。そして、入院して抗がん剤治療を受けることになってしまいました。
母親、つまり彼の妻は、ひたすら「がんばって」と伝えました。
父親の病状について、大学病院で改めて尋ねるわけでもなく、父親、つまり彼女の夫の意思を確認するわけでもありませんでした。
田舎の人々にとって、大学病院はキラキラと輝く、大きなブランドです。大学病院の医師の発言は、彼らには神の声にも等しく、ただただ従うことしか頭にありません。
父親はインオペのために「自分はもうダメだ。死ぬんだ」と精神的に追い詰められただけでなく、気力と体力をむしばむ抗がん剤治療を、無機質な病室で受け続けることになりました。自由気ままに生活していた、自宅での生活とは一変します。
この時点で、父親は精神を病んでいたはずです。医師には「帰りたい、帰りたい」と何度も愚痴をこぼすようになりました。
それで、医師は抗がん剤治療の途中で、一時帰宅させます。ただし、精神的に病んでいることを、母親には告げていませんでした。
父親にとって、一時帰宅の生活はとても楽しかったのでしょう。夫婦でドライブに出かけたことも、私は後で聞きました。
また、「もう病院に戻りたくない」と父親が愚痴をこぼしたときに、母親は「そんなことを言わずにがんばって」と伝えたそうです。
そして、病院の帰る前日の深夜から翌朝までの間に、自宅の敷地内の倉庫で縊首。変わり果てた父親の姿を、母親は朝早くに発見することになります。
日本サイコオンコロジー学会の資料では、がん患者の自殺者の傾向が報告されています。私の父親は、典型的ながん患者の自殺者といえます。
○60歳以上の高齢の者が多い
○同居者がいる割合が高い
○生活保護や年金の受給を受けている割合が高い
○自殺の手段は溢首が65%と最も多く、次いで飛び降りが15%と同等
○自殺場所の378例(75.8%)が自宅/敷地内
父親が亡くなったのは平成20(2008)年のことです。その前年には、がん対策基本法が施行されていました。
がん対策基本法-基本理念(平成19年)がん患者の置かれている状況に応じ、本人の意向を十分尊重してがんの治療方法等が選択されるようがん医療を提供する体制の整備がなされること。
がん対策推進基本計画(第1期:平成19年)がん医療における告知等の際には、がん患者に対する特段の配慮が必要であることから、医師のコミュニケーション技術の向上に努める。(第2期:平成24年)患者とその家族等の心情に対して十分に配慮した、診断結果や病状の適切な伝え方についても検討を行う。
がん対策基本法が施行されていたとはいえ、地方の大学病院の医師までは基本理念は浸透していなかったと私は判断します。
同時に、大学病院の医師に、患者や患者の家族のデリケートな部分まで配慮を求めるのも、これまた厳しいのではないかと考えました。医療マンガやドラマの影響もありますが。
私は仕事柄、医師に取材する機会が多かったのですが、原稿には書かないような話を聞くこともありました。
人間の死に時です。
ある医師は、「絶対に、記事に書かないで」という条件で、次のように語っていました。
女性ならば、閉経したら、自分の死に時を考えておいたほうがいい。更年期になるとエストロゲン(女性ホルモン)の分泌が激減するから、高血圧や糖尿病などにもなりやすくなるし。それに、人間は生物であり、種の存続を目的として生きるのならば、更年期が来たら役目を終えたということだよね?
そんなことを話したら、「失礼だ!」なんて、いろいろな方面から怒られるけどね。
難しいのは男性だよね。更年期がないから、自分で判断するしかないんだよね。
私の父親をはじめ、多くの日本人が「自分の死に時」を思い描くことはなかったのでしょう。
亡くなった当時は、終末期についてメディアで取り上げられる機会はあまりなかったのです。怪しげな健康食品も出回っていて、ある意味では、お金さえ出せば、努力さえすれば、がんも克服できるという風潮さえあったように思います。
亡くなった4年後に、『大往生したけりゃ医療とかかわるな 「自然死」のすすめ』(著/中村仁一、幻冬舎新書)が大ベストセラーを記録しました。このヒットが、風潮を変える大きなきっかけになったと私は考えます。なお、著者の中村仁一医師については、本の文体だと乱暴というか、やや「べらんめえ」調ですが、実際にお話しするととても紳士的な口調をされていました。『大往生したけりゃ医療とかかわるな』は問題作ともいえるため、わざとくだけた文体を採用したと考えられます。
さらに、国民皆保険という日本の制度が、医療に対して受け身の姿勢を作り出したという指摘もあります。海外ではがん治療などでは高額負担しなければならないため、患者やその家族は治療法を調べて、家計に見合う形で治療法を選択するのだそうです。
一方、日本人だと、標準治療は公的医療保険が適用されます。つまり、がん治療で家計が傾く可能性が低い人が多く、結果として、医師の指示どおりに手術や抗がん剤治療などを、エスカレーター式に次々と受けるケースが珍しくありません。
皮肉なことに、国民皆保険で守られた結果、私の父親は治療中に自殺をするという結果になりました。
あれから10年以上がたち、終末期医療もメディアで多く取り上げられ、医師の書籍など資料も簡単に手に入るようになりました。加えて、少子高齢化が急速に進み、国民皆保険の存続が危ぶまれています。「何でも医療にお任せ」という時代は終わったのかもしれません。
そして2017年には『なんとめでたいご臨終』(著/小笠原文雄、小学館)が出版され、在宅看取りという考え方が広まるきっかけとなりました。
「病気と闘わず、痛みや不安だけを取り除きたい」「慣れ親しんだ自宅で最期を迎えたい」という潜在的なニーズに、医療サイドが応えようとする動きが現れてきているのです。
では、患者サイドの私たちはどうしたいのかについて、医師にお任せにせずに、自分の頭で考えておきたいものです。
※サイコオンコロジー(Psycho-Oncology)
「心」の研究をおこなう精神医学・心理学(サイコロジー=Psychology)「がん」の研究をする腫瘍学(オンコロジー=Oncology)を組み合わせた造語で、「精神腫瘍学」と訳され、1980年代に確立した新しい学問です。
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