「自己肯定感」って何でしょうね 1

 ある教育評論家が、子どもへの接し方についてツイートを行っていました。

 忘れ物を繰り返す子どもに対して、親が「本人が困る経験をすれば、直すはずだから放置」という態度なら、忘れ物は直らない。むしろ忘れ物の回数が増えて、周囲の評価が下がり、自己肯定感が持てなくなる。だから、忘れ物が改善するような合理的な工夫、そして親のサポートが必要……

 こうした内容で、個人的には強く共感していました。

 このツイートに対して、一般の人が「ウチの子は、忘れ物があっても平気な子どもに育っているし、『忘れ物があっても平気』が自己肯定感を育てる」といったコメントをしていました。

「忘れ物をしても平気」が自己肯定感を高める?

 自己肯定感は、言葉のとおり、ありのままの自分の価値を認める感覚だと、一般的に説明されています。その意味では、忘れ物を繰り返す子どもが、「忘れ物をしている自分のままでいいんだ」と認めてしまうことが、自己肯定感を育てるという解釈もできます。

 ただ、「自己肯定感」という言葉が独り歩きをしている印象です。

 「自己肯定感」って何でしょうね。



 今回の「忘れ物を繰り返す」については、社会の中で「忘れ物をしても、いいんだよ」が認められる場所、そして年代は、限られているのではないでしょうか。

 例えば私の場合、取材の日程を忘れたり、資料を忘れたりする人には、仕事を頼みません。さらには「忘れ物をして何が悪いの?」という態度の大人とは、友だちにすらなりません。忘れ物を繰り返す人を、信用できないからです。


 「忘れ物をしても平気」が通用するのは、小学生ぐらいまでではないでしょうか。それ以降は、忘れ物をしても平気でいられるシチュエーションは減っていき、大人になってからは、社会生活を送ることすら困難になると考えられます。

 忘れ物のように、幼いうちは許容されるかもしれないが、ずっとそのままでは社会の中で信用を失う可能性が高い——そんな傾向については、教育評論家のツイートにあるように、改善するための合理的な工夫と親のサポートが必要だと、やはり思いました。

 子どもの自己肯定感は、「忘れ物をしやすい」という自分を受け入れた上で、「じゃあ、どうしたらいいのかな?」と試行錯誤を繰り返す中で育まれていくような気がします。素人考えですが。

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