『クラナリ』においての歴史に関する記述について ~参考文献『偽書が揺るがせた日本史』

 人はみな、わかることだけを聞いている ゲーテ

 人間は、見たい映像だけを見て、聞きたい話だけを聞いて、自分に都合のいい部分だけ記憶するような生き物です。
 歴史についても、その瞬間の一部分だけを、特定の視点で切り取って伝えられています。本当に正しいのかそうでないのかは、誰もわからないのです。
Wikipediaより


 では、歴史を知るのは無駄なのかというと、そうでもなさそうです。

歴史を研究するのは、未来を知るためではなく、視野を拡げ、現在の私たちの状況は自然なものでも必然的なものでもなく、したがって私たちの前には、想像しているよりもずっと多くの可能性があることを理解するためなのだ。
We study history not to know the future but to widen our horizons, to understand that our present situation is neither natural nor inevitable, and that we consequently have many more possibilities before us than we imagine.

『サピエンス全史』

 そもそも、私たちは「なんでそうなったの?」を知りたがる欲求が強いのではないでしょうか。無駄とか有益などとは関係なく、ひとまず正誤も保留して、「どうして?」を調べて、自分なりに納得することを、つい求めてしまうのかもしれません。

 そんな「歴史を知る限界」を無視して、「きっと○○に違いない」と思い込むことは非常に危険。
 そんな例が紹介されているのが、『偽書が揺るがせた日本史』(著/原田実 山川出版社)です。

 一例が、オウム真理教。
 オウム真理教の教祖である麻原彰晃は、オウムの会代表だった1985年に、『竹内文書』という偽書をもとに「今世紀末、ハルマゲドンが起こる」などと雑誌『ムー』に発表したそうです。そのほかにも、いわゆる「ノストラダムスの大予言」や『シオン議定書』などといった偽書の内容をつぎはぎして、オウム真理教の教義ができたようです。

 日本で起きたテロ・クーデター行為といえば、昭和初期の五・一五事件や二・二六事件が挙げられますが、これらに影響を及ぼしたのが『南淵書』という偽書でした。

 また、最近では「江戸しぐさ」が作り話だった上、「江戸っ子狩りで江戸に住む人が大虐殺されたから、江戸しぐさは口頭でしか伝えられていない」という陰謀論まで展開されていたことが報告されています。ネット民の間では、「江戸しぐさ」という言葉は「ホラ話」という意味で使用されています。


 偽書というと内容的にも荒唐無稽な書物という印象を持たれがちだが、歴史の教科書に出てくる有名な文献や史料にも、偽書の可能性が高いものがある。

 「人の一生は重荷を背負いて遠き道を行くが如し。いそぐべからず」で始まる人生訓の「東照宮御遺訓」を、私も徳川家康の言葉だと思い込んでいました。しかし、家康とは無関係だとわかっているようです。

愛国心や郷土愛をくすぐられる話や、教訓めいた「いい話」に対して、その真偽をあまり気にしないまま受け入れてしまう人はこの世間に少なからずいるのである。

 常識とされてきた事柄が、実はインチキな偽書をベースにしていて、歴史の教科書に載ってしまうこともあったようです。ちなみに、私の中学時代の教科書に載っていた「足利尊氏」の絵は、今の教科書だと「ただの武士」と説明されているそうです。

地方史における「常識」はしばしば郷土愛や地域アイデンティティと結びついており、その根拠が偽書だと判明しても、容易には撤回できないからである。

 偽書とセットで展開されるのが、江戸っ子狩りというような陰謀論です。

真実だから、弾圧された
真実だから、権力者には都合が悪い
権力者は、重要なことを隠している

 そんな陰謀論が展開され、多くの偽書は壁の中や天井裏、土蔵から見つかったとされている共通点があります。

 もちろん、権力者に都合が悪いことは、弾圧されたり、消されたりしたという過去があります。
 
 『日本後紀』によると809年(大同4年)に、平城天皇は、以下のような勅を出したそうです。
「倭漢惣歴帝譜図は天御中主尊に標して始祖となす。魯王・呉王・高麗王・漢高祖命等の如きに至りては、その後裔を接ぐに、倭漢雑揉し、敢えて天宗を汚す。愚民迷執し、すなわち実録という。宜しく諸司の官人等の蔵する所を皆進めしむべし。若し情を挟みて隠匿し、旨に背きて進めざる者有らば、事あらわるる日、必ず重科に処せ」

 『倭漢惣歴帝譜図』という系図には、天御中主尊(アメノミナカタヌシ)が皇室の始祖神で、中国や朝鮮半島の国々の王家・皇帝の子孫が皇室のルーツとされていたようです。平城天皇にとっては、都合の悪い話だったわけです。

この平安時代初期の焚書において対象となったのは、いわゆる「偽書」とは限らない。

 国家事業として編修した歴史書である「正史」は、書き手の都合に合わせて、ちょこちょことフィクションが紛れ込ませてあるということです。そして正史と矛盾する内容を含む書物は、当時は「偽書」として消されていきました。

 『偽書が揺るがせた日本史』では、「狩野亨吉の五つの論点」として、偽書の見分け方が紹介されています。
1  違う時期で、違う人物の手になるとされる文書の間でも同一人物の筆跡が見られる。
2 文書が書かれたとされる時代の簡易や制度について不正確な記述がある。
3 文法や仮名遣いについて、明白な誤りがある。
4 漢字普及以前に神代文字で書かれたとされる箇所に漢語の混入が見られる。
5 その文書が書かれたはずの時期より校正の知識や用語の混入がある。

  『クラナリ』については、「素人ならではの視点」で、できるだけ出典を明記しながら、歴史の記述を行っていきます。

 
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