まちづくりの中心は小商いである 『ローカルブックストアである: 福岡 ブックスキューブリック』
出版不況。
そんな中、よりによって新刊書店を開業したのが、『ローカルブックストアである: 福岡 ブックスキューブリック』(晶文社)の著者の大井実さんです。大井さんは、福岡市内の書店であるブックスキューブリックの店主です。
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ブックスキューブリックけやき通り店(ブックスキューブリックサイトより) |
この本では、まちづくり・小商い・書店経営・本について語られています。
まちづくりの主役は個人商店
人が集まるエネルギーを持った「場」の重要性を実感した。そんな「場」をつくることが自分の居場所づくりにもなるのではと考えるに至った。
この「場」は、公民館などといった地域交流施設、いわゆるハコモノを指してはいません。
個人的に感じたのは、人が集まるエネルギーを持っているのは、ハコモノではなく、やはり人ではないかということ。出版不況の厳しさ、書店経営での作業の煩雑さを知っておきながら新刊書店を開業した、大井さんという世にも珍しい人こそが、人を集めるエネルギーを放っているのはないでしょうか。
個人商店の集積が、町の雰囲気づくりに貢献している
ハコモノやモニュメント、そして「〇〇フェスティバル」「〇〇まつり」といったイベントではなく、個人商店、言い換えると小商いがまちづくりの中心になるということです。
困ったことに、日本では「商売人」というと、時に蔑みの言葉のように使われる場合がある。しかし、商売は社会や地域にとって非常に重要な業種だ。商売が寂れていると町は活性化しない。地域のコミュニティにとっても大切な仕事だ。
小商いが長く続くことで、町が形成されるということでしょう。小商いが町が活性化し、地域のコミュニティが生まれるのです。
ひるがえって地方活性化の施策といえば、どこに行ってもB級グルメやゆるキャラなど、真剣に地域の未来を考えているとは到底思えないものばかりが目に付く。目先の話題や利益が優先で、横並びの無責任体制によってどうでもいいようなものばかりに多額の税金が投入されている。「身銭を切らない他人の金」という感覚があるので、無責任な体質が生まれ、自分たちの持つ資源を探る地道な検証作業をしようとはしない。
身銭を切って、痛みがある小商いからこそ、商売人は気合を入れるし、「どうすれば人が集まるか」という学びをやめないのでしょう。
小商いを長く続けるには
「しんどいけど、やりたい」ほうが長続きする
先に述べたとおり、出版不況の中、大井さんは新刊書店の経営に乗り出します。しかし、「実家が本屋だった」「本関係の仕事に就いていた」というわけではありません。プロフィールには「東京、大阪、イタリアなどで、ファッション関係のショーや現代美術の展覧会などの企画・制作に携わった」と書かれています。本とは一切関係ありません。
どのような気持ちで大井さんが書店経営を決意したのかは本書を読んでもらうとして、面白いのは、商売の先輩に当たる人から「やめなさい」と説得されても書店を開業したという点です。
書店開業を志した大井さんは、30代の終盤に、福岡市の中心地である天神の老舗書店のアルバイトに申し込みます。すると、店主に呼び出されて、次のようなやり取りがありました。
「本屋になりたいなんて馬鹿なことはおやめなさい」という忠告と説得が待っていた。「君は今、小さな本屋がばたばたとつぶれているのかを知っているのか」と問われたので、「もちろん知っているが、どうしてもやりたい」と訴えた。
大井さんは、経営が厳しいという状況を知っていて、その商売の先輩からも反対される中で、書店を開業するという決意を揺るがせていません。
そして実際にアルバイトをしてみると、初日は軽い吐き気を覚えるほどハードだったのだそうです。紙の束ともいえる本は重いので、運ぶのが大変なのです。なかでも返品は、面倒な上、モチベーションが上がりません。
どんどん入ってくるものをどんどん返すという返品作業の虚しさも、それこそ体で感じることができた。
業界の動向も仕事内容も厳しい。それをおよそ1年のアルバイト生活で体感しながらも、書店を開業した大井さん。
個人が行う小商いだと、「どうせ小さい商売だから、嫌になったらやめればいい」「もうからなくなったら、あきらめよう」と考えがちではないでしょうか。
大井さんのエピソードから、「今、これがトレンドだから」「楽にもうかりそう」よりも「しんどいけど、やりたい」という動機で開業したほうが長続きするのではないかと感じました。
立地条件は吟味する必要性が高い
店を出したけやき通りは、福岡市の中心街・天神から西へ歩いて約10分、その名のとおり樹齢80年近い立派なけやき並木が続く大きな通りだ。歩道はゆったりとしており、周囲には小さなギャラリーやブティックのほか、大濠公園や市美術館などの文化施設も点在する。散策にもぴったりなので、福岡でも有数の人気エリアだ。
箱崎のシンボルといえば九州大学箱崎キャンパスの存在だ。現在は福岡の西に位置する糸島市へのキャンパス移転が進んでいるが、約100年前の設立以来、学生街として発展を遂げてきた。その隙間で新しくお店を始める若者も多い街なのだ。
客があっての小商いなので、客がいるところに出店するのは重要。ブックスキューブリックには、けやき通り店と箱崎店があり、どちらも立地条件がよいといえます。もちろん「駅から近くて利便性がよい」だけでは、十分ではありません。
〇駅から徒歩で行ける→利便性がよい
〇周囲にも小さなギャラリーやブティックといった小商いが存在する→ウィンドウショッピングを楽しむ人がいる
〇歩道が広い→町歩きを楽しめる、通行人が足を止めやすい
〇大学・文化施設が周辺にある
〇若者がいる
本書の中では、経営コンサルタントの武田陽一氏の話が紹介されていました。特にスタートアップでは、立地が重要なのだと改めて思いました。
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けやき通り(福岡市公式シティガイドよかなびより) |
書店経営で「店主のこだわり」以上に大事なことは
どんな店かとよく聞かれるが、そんな時は、「セレクトショップ」といった言い方があまり好きではないので「小さな総合書店」と説明している。
小さくてもめぼしいジャンルをそろえた「総合書店」であることが必要だった。
キーワードは「小さな総合書店」。店主の趣味に偏り過ぎて「意識高過ぎ」になると、人は集まりません。
書店のよさは、買う目的がなくても、老若男女がぶらりと入れること。装丁を眺めて、なんとなく時間を潰せること。言い換えると、総合書店は町のみんなの居場所になれるのです。
棚づくりについて
町の本屋にとって『コロコロコミック』や『ちゃお』などの子ども雑誌が大事であることもこのときの体験から学んだことだ。
私の場合も古本屋の開業を検討したが、「地域に根ざす町の書店」という理想のイメージがあり、雑誌がしっかり揃っている店をやりたかった
出版不況の中でも、雑誌の売り上げがガクンと落ちて、休刊(実質、廃刊)になったり、隔月刊になったり、雑誌の勢いは落ちています。ネットの普及で、最もダメージを受けたのが雑誌。
しかし、大井さんは「雑誌がしっかり揃っている店をやりたかった」と語っています。安価で定期的に発行され、固定ファンがついている雑誌。また、雑誌のほうがターゲットを明確にしているといえます。幅広い雑誌を置くことで、幅広い年代が書店に足を運びやすくなります。
商品はすべて自分で選書し、配本に頼らずこちらが注文したものしか置かないことにした。
配本とは、取次(問屋に当たる)が各書店に送ってくる本のことで、書店が注文していない本まで送ってくる場合もあります。理由は、返品できるから。「新刊が出たから、とりあえず置いてみて」ということで、取次が書店に送ってくるのです。
実際の品ぞろえでは、現代にも通じる古典や、キューブリックらしい性格を持った定番商品などのベースとなる既刊本と、話題になるフレッシュな新刊がバランスよく配置されていることが重要であると考えている。
商売はフレッシュさが大事なので、平積み商品の銘柄をどう変えていくかがとても難しい。
本は腐らないので(カバーが日に焼けることなどあるものの)、堅調な定番本を書店の棚に置くという選択もあります。しかし、「フレッシュな新刊」を意識的に加えることが、本を売る上では欠かせないようです。棚にも新陳代謝が必要なのでしょう。
POPをまったく付けなかったわけではなく、いい本なのに表紙や帯だけではせっかくの内容が伝わりづらい時や、特別に目立たせたい時に限っては付ける。
POPだらけの書店も存在します。おそらく、本屋大賞の影響かと。
しかし、せっかくの装丁がPOPで隠れてしまうこともあります。というか、邪魔。付け過ぎには注意したほうがいいし、キラーフレーズが浮かばないなら付けないほうがよさそうです。
雑誌や書籍、文庫、新書などをしっかり揃えた「小さな総合書店」を目指し、ひと通りのジャンルは扱うようにしているが、コミックスやアダルト本、学習参考書などは置かないことにした。(中略)それと最も大きな理由は、万引きが増えるのが嫌だったからだ。
万引きは書店経営にとってダメージが非常に大きく、それが原因で経営が成り立たなくなったケースも耳にしています。万引きは絶対にダメ。やめましょう。
掛け率について
個人的には、買い切りの掛け率は65%前後で、返品許容枠が5~10%くらいの条件が理想と考えている。
新刊は粗利益が低いため、大量に本を売らなければ利益が出ません。しかも、本は安価。出版不況の中、こうした問題も検討する段階に来ています。
本のよさを繰り返し、親切に伝え続ける
「いい本さえ作っていれば、勝手に売れていく」
20~30年ほど前に、『クラナリ』の編集人は上司から言われました。当時、出版社の雑誌編集部に私は所属していて、上司とは編集長のことです。この編集長は社長になった後も同じ姿勢を貫きました。業績が悪くなってくると「編集者が劣化した」と怒り、現場にもクドクドと細かく編集作業について指導をしていました。
その出版社の経営がどうなっていったのかはさておき、30年ほど前は、インターネットが普及しておらず、情報を得る主な手段が新聞や本など文字を印刷した紙でした。
また、読書という行為自体が「かっこいい」「頭よさそう」というようなイメージが、かつては持たれていました。
ですから、売り手(出版社、書店)が放っておいても、本が売れていった時代はあったのです。
しかし、スマホが普及し、文字情報や動画がネットで氾濫している近年では、どんな本が出版されているのかへの関心は薄まってきました。本を読んで物知りにならなくても、スマホで検索すれば知りたい情報が得られる時代。
『クラナリ』編集人の子どもたちは、家で過ごす時間の大部分はスマホを操作しています。同世代の友人も、本は読まないと話します。書店に立ち寄ることもなさそうです。
多くの人が本に興味ないし、読む必要も感じないし、子どもたちについてはちょっと嫌悪しているかもしれません。一部の大人たちは、「ゲームをやめなさい。本を読みなさい」と押し付けてくるからです。
現在のように情報が多く、個人の好みも蛸壺化している状況だと、いくらいいものであっても若い世代にはまったく伝わらない。だから、いいものを知っている大人は、それを自明のものとは考えずに、繰り返し親切に次世代に紹介し続ける責任がある。教条主義的だとか懐古趣味などという批判を恐れることなく、普遍性を持っているものを勇気をもって伝えていくことが必要だ。
キーワードは「繰り返し親切に」。放置せず、押し付けず、本の面白さを伝えていく大人の態度が、今では求められています。
本離れが指摘される中、いかに本に関心を持ってもらい、本屋に足を運ぶ人を増やすことができるかが大きな課題である。そのためにも、本好きを喜ばせる仕掛けや話題づくりを積極的に行っていくことが求められている。そんな認識から、これまで様々なイベントやフェアを通して、本と町と人が結びつくきっかけ作りを行ってきた。ことが求められている。そんな認識から、これまで様々なイベントやフェアを通して、本と町と人が結びつくきっかけ作りを行ってきた。
今、経営がうまくいっている出版社は、「いかに本に関心を持ってもらい、本屋に足を運ぶ人を増やすことができるか」という課題に、すでに着手していると推測しています。
本を読む習慣がない人、なかでも子どもにとっては、読書が楽しめる行為ではないのでしょう。楽しめない一因は、読書で「体感」できないから。
本書では、ブックデザイナーの桂川潤氏の言葉が紹介されていました。
「テクストを視覚的に追うことが読書ではなく、テクストを主体的に編纂し、コンテクスト(状況・文脈・背景)をつくりだすことが読書である」
テクストとは文章を指しています。
誰でも、読書をすれば、自然にコンテクストが作り出せるのか。
『クラナリ』編集人は、作文教室を主宰していた時期がありました。そのとき、「本人は意味がわからないのだけど、とりあえず大人が喜びそうな言葉を羅列して、実感の伴わない文章を作っている」という現象に遭遇しました。
こうしたことから、コンテクストを作り出すには、ちょっとしたサポートが必要なのだと考えています。
世に出回る文字情報が多過ぎるから、読むという行為も上滑りしている。
ひたすら文字情報を追うばかりで、コンテクストは放っておかれている。
このような、スマホで簡単に、大量の文字情報が得られる時代に、「こうすればコンテクストが作り出せますよ」「本をこのように読んでみませんか」と「繰り返し親切に」アプローチすることが、本を売る側の出版社と書店にも求められています。
個人的な体験ですが、図書館や書店に行くと本の数に圧倒されて、「これ以上、新刊はいらないのではないか」と感じたこともありました。
しかし大井さんは「商売はフレッシュさが大事」と語っていました。大量生産・大量廃棄のサイクルからは抜け出すことを前提として、本を作り続け、出版という商いを将来につなげていくことが求められているのかもしれません。
雑誌でも本や本屋に関する特集は多いし、ブックオカなどの活動を通じて、潜在的な本好きや、本に関心の高い層がいまだに大勢いることを実感する。そんな層をいかに炙り出して、目に見える形につなげていけるか。試行錯誤の余地はあると感じている。
※ブックオカについては以下を参照
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