作文が書けない「トラウマ」が消えるだけで将来の選択肢が増える

 作文は、「見る・読み取る・感じる・思い出す・結びつける・表現する・変換する・書く」という一連の作業。

 作文が苦手になるのは、これらの作業がスムーズに進まないからです。
 言い換えると、どの作業が困難なのかを知り、手助けしたり違う作業で代替させたりすることで、作文は書けるようになります。

 困難な作業を抱えている場合は、作文に対して苦手意識を持つかもしれません。
 しかし、苦手であっても作文を書けるようになります
 「作文が書けない」という思い込みは、できるだけ早い時期に消してしまいましょう。
 子どものうちがベストだと私は思います。

作文ができたという
経験と記憶が大事

 数十年前、マスコミ受験の訓練を受けていない私が、出版社の入社試験の作文問題をパスしました。ちなみに大学の学科は英文科。日本語で論文を書いたことはありません。

 そんな畑違いの私が出版社の求人に応募した理由は単純です。
 「作文ぐらい、なんとかなるだろう」
 今思うと、当時の私は世間知らずというか、図々しいというか、傲慢というか、本当にアホでした(編集者として働き始めてから、たくさん勉強させてもらいました)
 ただ、楽観的に作文をとらえられたから、出版社の入社試験を受けるという選択肢があったのです。

 「作文ぐらい、なんとかなる」と私が思えたのは、小学生の頃に読書感想文などを書いたことがあったからでした。
 その程度でも、書いたという経験と記憶はとても大事なのです。

 国語、数学、英語といった教科での学力が芳しくなくても、作文が書けることで推薦入試やAO入試、また入社試験を受けるという選択肢が生まれます。
 もしも自分の子どもの学力がちょっと心配と感じているのでしたら、まだ小さいうちに「作文ぐらい、なんとかなる」という意識を親が植え付けてほしいと思います。

自分の思いを文章で伝えるのは
本来は楽しいこと

 多くの子どもにとって、作文は「無理やり書かされる」存在になっていないでしょうか。
 「人間は社会的動物である」とアリストテレスは言いましたが、自分の思いや考えを文章などにして周囲の人に伝えること、コミュニケーションを取ることは、本来、楽しいことだと思います。
 それなのに、私たち大人が「書きなさい」としか言わないから、苦手意識が強くなっているのかもしれません。

 子どもに作文を書かせるのではなく、自分から書きたいと思わせるのなら、おもしろがって読んでくれる読み手が必要です。
 「読んでもらいたい!」「感想を聞きたい!!」と子どもが思ったときに、自ら鉛筆を握るでしょう。
 その読み手は、親が適任です。というか、我が子の稚拙な作文をおもしろがれるのは、親以外にいません。

 「書けない」と言い張る子どもは、過去の作文でダメ出しをされた可能性があります。
 作文での失敗を繰り返さないために、「書けない(から書かない。書かなければダメ出しされずに済む)」と言っているわけです。
 書けないのではなく、書いて失敗したくないということです。
 この場合は、かわいい子を崖から落とすライオンの気持ちになってください。



「ダメかどうかはお母さん(またはお父さん)が考えるから、とにかく書いてみなさい」と伝える。
書かせた作文を読んだら「へぇ~」などとおもしろがる(無理に褒める必要はなし)。
読んだ後には、子どもの好きな食べ物を用意して親子で楽しく食べる。

 こんな具合にアメとムチを上手に使ってください。書かないことには、なにも始まりません。


 国語、数学、英語といった教科での学力が芳しくない場合、「見る・読み取る・感じる・思い出す・結びつける・表現する・変換する・書く」の作業のどれかが困難なのかもしれません。
 以下の項目で、子どもに当てはまることがありますか?
1 文章を目で読むよりも、話してもらったほうが内容がわかりやすい
2 黒板の文字をノートに書き写すのに時間がかかる
3 漢字のへんとつくりを間違える
4 ローマ字を習ったが、ちっともわからない
5 音読では途中で止まることが多い
6 音読で文字や行を読み飛ばすことが多い
7 普段から姿勢が悪く、特に勉強しているときはだらしない印象を与える
8 漢字を何度書いて練習しても、書き間違えてしまう
9 自分の考えを話せるが、書くのはとても苦手である

 普通におしゃべりするし、友達づきあいも活発。しかし勉強ができない。そんな子どもは、「見る・読み取る」などいくつかの作業で困難さを抱えている可能性があります。
 ほかの作業はスムーズなのですが、数カ所でストップするため、全体として「勉強ができない」「学力が低い」と評価されがちなのです。

 しかし、慣れや本人の努力、やる気の問題ではありません

「見る・読み取る・感じる・思い出す・結びつける・表現する・変換する・書く」のどこかで、引っかかっているのです。
 ただ、引っかかっていたとしても、作文は書けるようになります。

 「1 文章を目で読むよりも、話してもらったほうが内容がわかりやすい」場合は、本の朗読アプリなどを利用して聞かせればいいわけです。
 さまざまな場所に出かけて、見て、触って、かいで、聞いて、味わって、自分の体で感じること。
 本を読んだり、読み聞かせてもらったりして、知識を得ること。
 経験と知識がたまる、つまりインプットが増えるほど、楽にアウトプットできるようになります。
 アウトプットが作文なのです。

 まだ小さいうちに「作文ぐらい、なんとかなる」という意識を持ってほしいのですが、大人になったから手遅れということはありません。
 大人の場合は、これまでの人生について書くことで自分自身を見つめ直すだけでなく、癒しにもつながると私は思っています。
 自分らしい生き方を知るうえで、作文は大きなヒントを与えてかもしれません。
Powered by Blogger.