身の丈に合ったゆるゆる片づけを 『58歳から日々を大切に小さく暮らす』
スカーフはおよそ100枚。靴下はそれ以上……
義理の母の引っ越しの際に、大量の衣類にため息が出ました。肌着もすでに衣装ケース2つ分以上あるのに、「足りない」「買ってきて」と義理の母が言い出すカオス。
そもそも、義理の母にがんが見つかって入院中に、本人から「10年以上住んできたケアハウスから、看護付き老人ホームに移りたい」という希望がありました。新型コロナウイルス感染症のこともあり、病院でPCR検査を受けた状態、つまりは感染の可能性がないという確認された状態で介護付き老人ホームに移ったほうがよいので、夫と私で引っ越し作業を行うことにしたのです。
実家の母が亡くなったときは、業者に頼んで家の物は全部処分しました。
しかし、義理の母は生きているので、彼女の所有物を私たちが勝手に捨ててしまうわけにもいきません。「絶対に不要」とわかったものだけを捨てて、普段着や生活用品は残すという仕分け作業が生じました。
義理の母は80代。この年代の人はパジャマと部屋着、買い物にちょっと出かけるための外出着とデパートに出かけるときの外出着などを分ける傾向にあります。さらに、「Aさんの結婚式とBさんとの結婚式では、着ていく服を変えないと恥ずかしい」という思い込みも持っているようです。
それで、8畳ほどのケアハウスに設置されたクローゼットは、衣類でパンパン。
衣服以外も、洗面器やたらいが5~6個、バケツは大小合わせて5個、箱に入ったままのハンディクリーナーなどの小型家電に、化粧品の試供品などが、どっさりありました。
驚いたのは、床にたくさんの小さなゴミが落ちていたこと。輪ゴムや薬の包装シートなどが放置されていたのです。それを見て感じたのは、「もはや、居住者には手に負えない状況だったんだな」ということでした。
本棚には片付けの本が5~6冊あり、キッチンなどの戸棚にはプラスチックケースなど片付けグッズが大量にありました。ですから、義理の母は部屋を片付けたいとは思っていたようです。
しかし、実際の部屋は真逆。皮肉なものです(ちなみに、片付けの本の著者は、私が以前所属していた編集部でも企画会議に名前が挙がっていたカレン・キングストンだったので、ちょっと笑ってしまいました。編集部も、当時はかなり汚かったものです)。
義理の母の引っ越しは無事に終了したものの、衣類や座布団、寝具は我が家で保管しています。新居に入り切れないためです。
半年から1年ほど様子を見て、ちょっとずつ処分していこうと考えています。我が家のスカスカだった押し入れにも入り切れない衣装ケースが4つほど、出しっぱなしで生活しています。
それが嫌でも目に入るせいか、「今のうちに、私のものは片付けてしまおう」と思うようになりました。
ちょうどそんなときに知ったのが、『58歳から日々を大切に小さく暮らす』という本でした。
著者のショコラさんは1956年2月生まれ。42歳で一人暮らしを始め、別居・離婚、そして退職を経験し、現在はパート勤務です。
ショコラさんのブログが人気だったので単行本化されました。ショコラさんの暮らし方に共感する女性たちが多かったことがわかります。また、シンプルながらにセンスのよいインテリアに、憧れる人もいるのかもしれません。
そんな『58歳から日々を大切に小さく暮らす』の中で、私がはっとしたのは「60歳をすぎた頃から、体力も気力もどんどん落ちていくのを実感」という一文でした。
私は60歳を過ぎてはいませんが、この一年ほどで体力も気力もどんどん落ちていました。
あんなに弾きたくて購入したピアノも、面倒。
テレビを見るのも、効果音が耳障りで面倒。
コロナ禍など関係なく、電車に乗るのが面倒。
ちょっとずつ「面倒」が増えているのに気づかずに、なんだかイライラ・モヤモヤして過ごしていたのですが、この一文で「私も、体力・気力ともに落ちていたんだ」と理解することができたのでした。
また「日曜日は、一歩も外に出ず、しばらく寝間着のままソファでゴロゴロ」という一文もありました。
思えば、60代の等身大のブログというのも新鮮。一人暮らしのパートのおばちゃんの日常なのです。
これまで単行本になるテーマは、「普通のママが起業して○万円稼いだ」といったシンデレラストーリーばかりでした。
名もなき、仕事もなき、物の少なき、一人のおばちゃんの人生でも、日常生活をそこそこ楽しめる。そんな現実をつづった本が増刷を重ねるのも、時代の変化なのでしょう。
年を取れば、誰でも衰えるのが現実。自分が着ることのできる範囲で洋服を、使える範囲で家の中の物を少しずつ減らして、疲れたら休む。そんな、緩い片づけを始めるタイミングが訪れたのだと感じています。
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