『離婚してもいいですか? 翔子の場合』で考える、日本社会によくいる「いい子」で依存的・逃避的な女性たち
前の話ですが、Amazonランキング100位以内に『離婚してもいいですか? 翔子の場合』(著/野原 広子 KADOKAWA)が入っていました。
この漫画の主人公は専業主婦の翔子。夫と2人の子どもと生活していて、傍目には穏やかな家庭を築いています。しかし、翔子は夫を笑顔で会社に送り出すときに、心の中でつぶやいていました。
「私は 夫が 大嫌い」と。
家庭の中で波風を立てないように、夫の機嫌を損なわないように、いつも気を遣って生活しているにも関わらず、夫は上から目線で、翔子を小バカにするような発言を繰り返します。
「今日の料理は〇点」
「お前は気楽でいいよな」
「ムリだな」
「ヨソの奥さんは 仕事しててもちゃんとやっているよ」
ただ、身体的な暴力も借金もなく、家庭に生活費を入れてくれることから、翔子は夫との生活は続けていきます。
そんな大嫌いな夫との生活に、波風が立ってくるのです。翔子は体調を崩し、受診した心療内科で仕事を持つように勧められます。そして、自宅では家事を一切行わない夫が、よその女性の家で皿洗いしていることを知ってしまい、翔子は離婚を切り出すのでした。
ここで登場するのは翔子の生まれ育った家庭。翔子の母親も、自分の夫の機嫌を損なわないような振る舞いをして、子どもたち(翔子たち)にも我慢を強いていました。翔子はいつもニコニコ……
翔子は自分の言動が、母親とそっくりだと気づき、寒気が走るのです。
「私 お母さんみたいな人になりたくない」
そして、あることを機会に、翔子は父親にも気持ちをぶつけます。
「いい子だなんて いわれたって 全然うれしくない! 吐き気がする!」
「いい子っていうのは 父さんのいうこと聞く 都合のいい子ってことだよ!」
「いい子の顔してるの もうつかれた!!」
その後のストーリーについては漫画を読んでもらうこととして……
この漫画が売れていたということは、共感している女性がとても多いということを示しています。
子どもの頃から父親の機嫌を取り、見た目には家庭を円満にするために、感情を抑圧してきた女性たち。腹が立つことがあっても、顔はニコニコ。「嫌」「嫌い!」とも言えず、悶々。
これ以上、そんな生活が続くのは嫌だと、主人公の祥子は離婚を決意することで、ようやく「いい子」をやめました。
繰り返しますが、この漫画はAmazonランキング100位以内にランクイン。かなり売れたという事実は、「いい子」のままで大人になってしまった女性は多いことを示しています。
漫画の主人公の祥子は、資格を取り、職業を得ることが、「いい子」をやめる第一歩になったといえます。
ただし、祥子は、感情を抑圧してきた女性である同時に、依存的・逃避的な女性でもあります。
結婚するときには好きだった夫を、なぜ大嫌いになってしまったのか。
それは翔子が自分自身を大嫌いだから。
家族という最も身近な存在である夫に、その気持ちが投影されたと考えられるのです。
漫画で描かれている祥子の子どもたちはまだ幼いのですが、成長して反抗期を迎える頃に、夫と同様に子どもに対しても大嫌いという気持ちを抱く可能性があるでしょう。「母親である私はこんなに我慢しているのに、子どものくせに何で!」なんて。
家族というものは、とにかく依存されがちです。「家族なんだから(言わなくてもわかる、など)」という甘えも生まれます。
出産を機に逃げるように会社を辞めた翔子が、経済的に自立できるはずがありません。また、「専業主婦も会社員と同様に大変だ」という思いがあるのならば、夫に説明しなければ理解してもらえないのです。
そうしたコミュニケーションを取る努力を、結婚してから全然やってこなかった責任を、翔子は夫に転嫁している印象があります。
夫にわかってほしいという期待と依存が強すぎるから、嫌いになってしまったのです。幼い子どもを育てることに逃避しているから、抑圧的になってしまったのです。
傍目には幸せに見える家庭にも、本当に幸せかはわかりません。
幸せに見えるのは、家族の誰かの抑圧で成立しているのか、コミュニケーションを取る努力で少しずつ築き上げられていったのか、さまざまなケースやプロセスがあるでしょう。
そして世の中を見渡してみると、ホームドラマに出てくるような仲良し家族が半分、残り半分が毒親家族なのかもしれません。
※ ネット上では依存症啓発漫画『だらしない夫じゃなくて依存症でした』も評判になっていました。
https://www.jiji.com/ad/korosho/izonsho_manga_v01.html
番外が漫画の作者の自伝で、毒親育ちで抑圧された子ども時代から依存症になっていくという内容でした。
こちらの漫画の作者は、「いい子」というより「しんどい子」。
傍目には幸せそうでも、人はそれぞれに苦悩や劣等感を抱えていて、なんとか必死に生きていこうとしているのかもしれません。これは女性だけでなく、男性にも当てはまるでしょう。
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