『宗教の起源』ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード その1 まずは進化論から
『宗教の起源』(白揚社)の著者であるロビン・ダンバーは、オックスフォード大学進化心理学名誉教授です。
進化心理学?
聞き慣れない言葉です。検索したところ、以下がヒットしました。
進化心理学という言葉は,生態学者のマイケル・ギゼリンが1970年代に使ったのが最初ではないかと思われる.それは,ヒトの脳の働き,すなわち心が,進化の産物であることの認識にたった心理学をさす(Barkow,CosmidesandTooby,1992).
進化心理学とは、ヒトの心のはたらきを「自然淘汰による進化」という考え方によって統一的に説明しようとする分野である。
利他的に見える行動も、実際には自分自身の遺伝子を増やす利己的な機能があるのだという説明にならざるを得ない。
どうやら進化心理学は、ダーウィン進化論をベースに、私たち人間の心の動きや行動を考える学問といえそうです。
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ダーウィン(パブリックドメインQより) |
問題は、ダーウィン進化論に関する、ありがちな誤解。典型例は、ダーウィンが言ったとされる次の言葉です。
「生き残る種とは、最も強いものではない。最も知的なものでもない。それは、変化に最もよく適応したものである」
この言葉がダーウィンが言っていないだけでなく、ダーウィン進化論と反する内容であることは、以下の記事で紹介しました。
ほかにも、誤解はたくさんありました。『宗教の起源』では、進化論についての説明が行われています。なお、引用内の太字は、『クラナリ』編集人によるものです。
生物学的(つまり遺伝的)な継承が繰りかえされるなかで、種は生存と生殖の問題を解決するのに最も適した形態(つまり適応度を高めていく形態)に進化していく。(中略)重要なのは、適応度は、専門的にはある形質もしくは遺伝子(わかりやすく個体と言いかえてもいい)における特性ということだ。集団や種全体における特性ではなく、したがって、進化では集団(種全体)の利益は実現しない。(中略)そのため生物学者は個体の利益を犠牲にして、集団全体の利益だけを追求するという考えにはかなり懐疑的だ。非適応形質ももちろんありうるし、ダーウィン進化論では一般的だ。ただしそれによって個体がこうむる損失が、ほかのすべての形質から得られる適応度を超えないことが前提となる。次世代に遺伝子をつなげるために、個体は相反するさまざまな要求を解決しなければならないのだから、自然なことだろう。
適応度:ある個体が将来の世代に残す子孫の数(正確には遺伝子のコピー数)
出典:北海道大学農学部
非適応形質 (non-adaptive character) :生物にとって合目的性が認められない性質や特徴
出典:非適応形質と自然選択説
それもこれも、自然選択という進化の原動力に先見の明がないためだ。いま目の前にある問題に対応するだけで、未来は予測できないのである。
※「それもこれも」は二足歩行の副産物である腰痛など
私たち人間も異なる生命体が集まった複合体だ。人間の遺伝子の大多数は、進化の過程でウイルスや単細胞生物が自らのゲノムを人間のゲノムにもぐりこませたもので、そうすることで人間の生殖能力に便乗して進化していったのだ。なかには生きた細胞にエネルギーを供給するミトコンドリアのように、多細胞生物の生命維持に不可欠になったものもある。つまり、協力によって個体が成功するのであり(適応度が高まる)、集団が個体の利益に反して成功するわけではないのだ。もうひとつ重要なのは、形質そのものとその継承の方式はまったく別物であるということだ。形質が個体から個体へと伝わっていくメカニズムはダーウィン進化論どおりであり、個体間に生物学的関係があってもなくても、遺伝子が共有されていてもいなくても構わない。
リチャード・ドーキンスは、生物学的な形質に相当する文化情報を「ミーム」と名づけた。形質と同じく個人から継承されるが、この場合のように文化伝播(社会的学習や模倣を介して)でも受けつがれる。
p314
ダーウィン的生物進化は、完璧な最終状態をめざしてすべての種が同じ段階を踏む一本道のプロセスではない。
ダーウィン進化論の世界では、すべての生命の起源はひとつしかない。進化の方向と速度を決めるのは、生物がたまたま直面する課題と、偶然見つけた回避策しだいであって、必然性が入る余地はない。進化はまっすぐに進むのではなく、さまざまな種が新しい状況に適応しながら少しずつ変化していく枝わかれのプロセスなのだ。
※地球上で最初に誕生した生命は「コモノート」と呼ばれている
要はダーウィン進化論が扱う現象は、遺伝子による継承にとどまらないということである。先祖と子孫(教師と教え子でもいい)において、論点となっている形質を互いに似せる何らかの仕組みがあるかぎり、継承の仕組みが遺伝子によるものか(生物学的進化)、学習によるものか(単純な学習のほかに文化的進化もある)は問題ではない。ダーウィン進化論の規則は、これらすべての事例に適用できるのだ。
なんの目的も方向性もなく起こった変異が、自然選択というふるいにかけられて、後々まで残るか、すぐに消えるかが進化のようです。その変異も、「ガラッと別物になる」のではなく、前段階を踏まえた上でのわずかなもので、連鎖しています。
ですから、「発展」や「進歩」という言葉は、進化とは無関係。退化も進化に含まれるわけです。
また、一定方向への変化とは限らないということ。
要は、進化は「でたらめ」なのです。
そのため、生物が進化するのは、その個体の都合でしかありません。「仲間を残すために、自分はどうなったってかまわない!」といった集団(種)の利益なんて、進化とはまったく関係がない話です。
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