「ブラック資本主義」と「こども食堂」の限界 山崎元さんに勝手に教わるお金と生業1
なり‐わい〔‐はひ〕【生=業/家=業】1 生活を営むための仕事。「小説を書くことを―とする」2 五穀が実るようにつとめるわざ。農業。また、その作物。「―は天下の大きなる本なり」〈崇神紀〉
生業とは、暮らしを立てるための仕事。言い換えると、生計を維持するために働くことです。ですから、生業について語るときに、お金の話は避けて通れません。
現在の子どもたちは、お金の知識について高校などで授業を受けていますが、そうでない時代を過ごした私はお金オンチだと自覚しています。
その一方で、学生の頃からなぜか金融商品を購入していました。いろいろと失敗しましたが、結果として現況は「不安定なフリーランスの仕事でも、取引先が倒産しても、気が狂うことなく生活が継続できている」程度に運用ができています。
つまり、なんとなくうまくいっちゃったパターンです。
「なんとなく」ではお金の本質的なところがわからないため、いくつもの資料を手に取ってきたわけですが、お金との向き合い方について私にもわかりやすく、シンプルに、力強く書かれていたのが、経済評論家の山崎元さん(2024年没)の書籍でした。
山崎元さんが残された数々の文章から、読者である私が勝手に学んだお金の大事なポイントをまとめておきます。
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〇日本は総体として資本主義の国ではない〇日本経済の上層は資本主義的競争を回避した「日本的縁故主義」である〇日本経済の下層はカール・マルクスの想定よりも苛烈な「ブラック資本主義」だ
山崎元さんはこのように述べていました。
苛烈な「ブラック資本主義」という現状については、「こども食堂」に名付け親である近藤博子さんのインタビューに、次の言葉がありました。
2010年には近所の小学校の副校長が店に買い物に来て、ある児童の母親に精神的な不調があり、その子は学校給食以外は1日にバナナを1本しか食べていないという話を聞きました。先生と、その子とこの店で食事ができたらいいねという話になり、地元の知人たちに声をかけて、「子どもが1人で入っても怪しまれない食堂」というコンセプトで「こども食堂」を始めました。その児童は、施設に行ってしまいましたが。
学校が休みで給食のない日は、1日の食事がバナナ1本という小学生がいる現実。まさに苛烈です。
この小学生の家庭状況は、精神的に不調な母親がいること以外に、インタビューからはわかりません。ただ、祖父母や近隣の人たちとのコネクション(コネ、縁故)がないのだと推測できます。コネがないために、母親にも小学生にも、手が差し伸べられないのです。この点では、日本経済の上層だけでなく下層も「日本的縁故主義」に当てはまるかもしれません。コネがなければ、爪弾きにされるということ。
日本経済の上層は、野村証券のニュースリリース「野村総合研究所、日本の富裕層・超富裕層は合計約165万世帯、その純金融資産の総額は約469兆円と推計」での超富裕層・富裕層辺りに該当すると考えていいでしょう。下層はマス層です。
下の図ではちょっとわかりにくいのですが、上層(超富裕層・富裕層)は全体の2%程度に過ぎません。
日本ではコネが重視されるので、労働力や資本といった生産手段が十分には商品化されていません。大企業の正社員や医師、弁護士、官僚、政治家は、仲間内で保護し合う「日本的縁故主義」に組み込まれていると山崎さんは指摘します。そのため、自由競争がなく市場経済になってない、つまり資本主義ではないということです。
かつての日本は、「一億総中流」社会といわれていました。しかし、バブル崩壊後の長い経済停滞で、中間層が下層に滑り落ち、少数の上層と多数の下層という構造に変化しています。
経済格差への対策として、山崎さんは、上層が労働生産性を改善させて経済を成長させ、その成果を大規模に国が再分配することが望ましいと考えていたようです。
進め方として、まず、セーフティネットを、民間ではなく、国や地方公共団体が整備します。
〇教育コストの公的負担
〇職業訓練の提供
〇子ども食堂などの整備
そして、能力主義を徹底させ、経済取引に国を介入させないのです。経済取引の一例として、ガソリン代・電気代の補助のような物価対策は、上層のほうが補助効果が大きくなり(アパートの一室よりも豪邸のほうが電気代は高い)、価格メカニズムをゆがめることになると、山崎さんは述べています。
私見では、新自由主義の徹底よりも、セーフティーネットの整備が先だ。柔道で、投げ技よりも先に受け身を教えるのと同じだ。
セーフティネットで、家庭と企業の役割を重視するほど、重い負担を嫌って家庭も企業も「痩せていく」と山崎さん。同様のことを「こども食堂」の近藤さんも述べていました(近藤さんが語った内容は、文章の末尾で紹介します)。
家庭や企業を健全に守るためにも、国のセーフティーネットが重要だ。いわゆる「保守派」の人々もそろそろ気付いた方が賢いのではないか。
セーフティネットを整備するのは官僚なのですが、「羽振りのいい金持ちが大いにもうけることが嫌いだし、下層に対して手厚く再分配を行うことも好まない(努力と生産性が不足していると思っているのだろう)」という特徴があります。嫌な表現ですが、官僚は「下層の人々は怠けている、あるいは甘えているから、この層にいるのだ」と見なしている感があります。
そして、官僚制度は縦割りで、財政はあまりに非効率です。
お金に色は着いていない。その柔軟性こそがお金の長所だ。だが、財政の運営はこの長所を殺そうとするのだからもったいない。例えば、社会保障(増)=消費税(増)、防衛費(増)=所得税(増)のように、個別の支出に対して個別の財源を対応させるやり方は財務マネジメントとして硬直的に過ぎる。
上記の引用と同じことは、現在の米問題でも指摘されていました。国内で米不足で価格が急騰しているにもかかわらず、海外には安く、国内産の米を輸出していたからです。輸出用として補助金を得て生産された米は、国内に流通させてはならないという決まりが原因でした。
この点からも日本は自由度が低く、資本主義とはいいにくいシステムだと思えます。
さらに、建前として「自由な民主主義国家」ですが、実際はアメリカの意思を権威と仰ぐ「ソフトな権威主義国家」と山崎さんは指摘しています。別の記事では「アメリカの子会社」と表現していました。
仮に政党ベースで政権交代があっても、実質的に米国の支配下にある体制に変化はあるまい。日本は事実上、体制や国としての大きな行動方針を自分では決められない。
今の日本は「愚民均衡」的な構造によって強固に支えられていて、山崎さんは解決策は提示できないと述べます。
「愚民均衡」とは、国民、政治家、官僚などが一様に近視眼的で、提示された目先の損得に反応するだけの状態を指す、山崎さんの造語のようです。
〇愚民→目先の損得に反応するだけ
〇均衡→国民だけでなく政治家も官僚も同じ
このような状況のため、私たちは「個人として無駄が小さくかつ社会に対しても有効」な方向性を模索することになります。山崎さんは、海外移住、国内移住、転職、ライフスタイルの変更などを挙げていました。国や地方公共団体、政界、財界、「この社会」、「世の中」といった大きなところから変えようとするよりも、私たち一人ひとりが行動を変えた結果として大きなうねりを作り出すというイメージになるのではないでしょうか。
個人としては、日本をより良くする機会を求めつつも、仕事、人間関係、資産、生き方などのフットワークを強化しつつ日本と現実的に付き合いたい。
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歯科衛生士として働いていた近藤博子さんは、2008年に、東京都大田区で無農薬野菜を販売する「気まぐれ八百屋だんだん」をオープンします。「だんだん」は島根県の方言で、「ありがとう」という意味です(島根県は近藤さんの出身地)。そして2012年8月に「だんだんこども食堂」を始めました。「こども食堂」生みの親として、数多くのメディアにも登場した近藤さんですが、今年の春、「『こども食堂』の大きな流れからは、一線を引く」とfacebookに投稿したのだそうです。
この投稿を受けてインタビューが行われ、まとめられた記事が 「こども食堂から一線を引く」 《こども食堂》の名付け親が決意した背景 ボランティアでできる支援には限界がある です。
以下は、インタビューからの引用です。
日本の体制って、国民をタダ働きさせるようにできているのではないかと思うこともあります。国民の善意を利用して、これはいいことですから、みんなで頑張ってください。頑張りましょうと。あおってきたんだなと私は思います。
地域力、居場所作りといいますが、そんな生やさしいものではないです。そういうことを行政の方も知ってほしい。あなたたちはお仕事ですが、私たちはボランティアだということを忘れないでほしい。こども食堂は行政の下請けではありません。
怖い思いをすることもあります。ギャンブル依存の人が、私が1人でいる時にフラッと現れるのです。食べるものをくれと。ちょっと怖い。警察を呼びますよと言わなければならないこともあります。ただ、そう言うと逆恨みされることもありますよね。
私は最初からこども食堂はなくなればいいと思っていました。いつ辞めてもいいようにしないと。今抱えている家族は行政に返せばいい。別のこども食堂につなげばいい。それよりも、お隣さん同士がもう少し気を遣いあって、地域を作るほうが大事だと思います。多く作りすぎた煮物や頂き物の野菜を届けるとか。少しの間子どもを預かるとか。それが、ボランティアとしての範囲でできる地域力だと思います。
上記のお話から、「子どもの貧困」という問題に対して、こども食堂はあくまでも対症療法で、根治しないと近藤さんが考えていたことがわかります。にもかかわらず、「素晴らしい、民間の活動」と喧伝され、各地に広まっていき、記事にもありましたがこども食堂のテレビコマーシャルまで流れました。
一方で、資金面や安全面で活動が脅かされ、地域間でのつながり(助け合い)も作られることもなく、山崎元さんの言葉にあった「瘦せていく」状況だったのだと推測しました。
■主な参考資料
新年に日本経済を考えるヒントにしたい「30の命題」
岸田政権が最近奇妙に安定している「2つの要因」とは何か
コメ輸出3割増 海外向け確保、国内高騰・制度に課題
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