「社会・経済の仕組みを知らないと、経済格差の不利な側にどんどん押しやられていく」山崎元さんに勝手に教わるお金と生業7 『資本論 まんがで読破』

 カール・マルクス(1818-1883年)とフリードリヒ・エンゲルス(1820-1895年)による『資本論』については、次のような解釈・評価をされがちだと経済評論家の山崎元さん(2024年没)は述べていました。

〇労働価値説と搾取で、利潤の発生原理を解明した
〇労働における疎外の問題を重視する
資本は飽くなき利潤追求の主体である ※主体は人間ではない
資本は貪欲で、利潤の獲得機会と自らの成長を目指している ※主体は人間ではない
〇成長する欲求には際限がない
〇資本主義の崩壊は必然である

※労働価値説:人間の労働が価値を生み、労働が商品の価値を決めるという理論(ウィリアム・ペティが論じ、アダム・スミス、デヴィッド・リカード、カール・マルクスが継承)
※搾取:労働者が生活維持に必要な労働以上に働かされ、剰余価値を奪われる経済関係
※「疎外は、たんに生産の結果においてだけではなく、生産の行為のうちにも、生産的活動そのものの内部においても現れる」『経済学・哲学草稿』

 第1巻が1867年に、第2巻が1885年、第3巻が1894年に刊行された『資本論』ですが、150年以上たった現在も関連書籍は多数出版されています。そのうちの1冊が『資本論 まんがで読破』(著/Teamバンミカス  Gakken)で、山崎さんが解説を担当していました。


 山崎さんの仮説では「資本にはそれ自体の運動法則がある」「資本とは、価値を絶えず増やしていく終わりなき運動である」というアイデアが、『資本論』の魅力ではないかということ。

 人間のコントロールが及ばない「資本という怪物」というイメージですが、「資本」という言葉を多義的に使い回す慣行が、さまざまな混乱を招いていると山崎さんは指摘します。

 まず、『資本論』に魅了された人たちには、資本は拡大を求めて再投資されなければならないのかもしれないし、成長するためにのたうち回る生命体のようなものなのかもしれませんが、実際は違うとのこと。

 資本主義は、私有財産制・自由な市場・利潤追求・自由競争というシステムに過ぎません。
 そして資本は「商売の元手」で、ビジネスに使える財産です。

資本

〇工場などの生産設備
〇原材料を購入し人を雇う現金・預金
〇技術特許やブランドなどに対する権利
〇株式
〇不動産

 再生産のための資本として再投資されることもありますが、もうかりそうもないときには再投資は行われません。必ずしも「拡大再生産」とはならないということ。
 典型例が、企業の自社株買いです。行う理由の一つは、有望な再投資の機会が見つけられないからです。
 また、自社株買いには、ストックオプション(会社が従業員や役員に、あらかじめ決めた価格で自社株を購入する権利を与える制度)を持った経営者がもうかるからという理由もあります。もうかるのは、あくまでも経営者(雇われ社長など)で資本家ではありません。そういえば、ある企業の元社長が、約150坪の土地を購入し、地上2階地下1階で延べ床面積は約300平方メートルの豪邸を建てたことが報じられていました。

ぼんやりした資本家が経営者に価値を搾取されているのだ。よく見ると資本家もカモられて搾取されることがある。

 ですから、全体としての資本は拡大することもあるし、縮小することもあります。人が資本を動かしているのです。
 経済全体としても投資機会が不十分なら、縮小してバランスを取ることができます。全体としての成長がなくとも、投下される資本は大きさを変えながら、私有財産制・自由な市場・利潤追求・自由競争というシステムは継続します。


サラリーマン社長の豪邸のイメージ(素材/Web Design:Template-Part



 次に、「資本には成長機会が必要であり、成長がなければ資本は生きていけないので、資本がそれ自体が持つ原理によって悪さをしかねない」「成長フロンティアの喪失に伴う資本主義の行き詰まり」という先入観が持たれがちです。

 しかし、資本主義は単なる取引システムの一つです。
 低成長やマイナス成長でも、リスクプレミアム(リスクを負うことによって投資家が求める超過収益)は維持できます。資本の大きさが調整されて、同時に、将来を織り込んで値付けされていればいいのです。

 さらに気候変動のリスクから地球を守るための方法として、環境に対して適切な資源と活動の配分を行う仕組みとしての資本主義は、継続可能です。

 そもそも環境が守られないのは、個々の大金持ちと政治家、それから制度の腐敗や不備の問題です。資本主義か共産主義かは関係ありません。悪いのは「資本」ではなく「中の人」。

資本主義を悪者にする議論は、非効率を招きかねないことに加えて、真の悪人を取り逃がしかねない。

 「工場を持った資本家⇔単純作業に従事して搾取される労働者」の構図は、マルクスの時代には頻繁に見られたかもしれませんが、現在はもっと複雑です。
 労働者は奴隷ではありません。次の2つの自由があると、山崎さんはいいます。

労働者の自由

1 労働を提供するかしないかを自分で決められる事由
2 工場のような資本を持たずにいる(リスクを取らない)自由

サラリーマンどんと節 気楽な稼業と来たもんだ


「搾取」という言葉には、「自由を奪われて労働を強制され、労働の成果をピンハネされる」というイメージがあります。昔はそうだったようですが、現代では法的に労働者は守られていて、必ずしも労働は強制されていません。「一言で言うと、多くの会社員が自発的に搾取されている」と山崎さんは述べていました。

 それに、労働者が取り替え可能な存在として買い叩かれるのは、「人」、つまり資本家と労働者がやったことです。「取り替え可能な労働力」として自分を商品化してしまうから、買い叩かれるのです。

 リスクを嫌う人が安く働くことで、リスクを取っている人に利潤を提供するという仕組みで、経済は回っていると山崎さんは指摘していました。


現実は多様であり、正しく理解するためには、「生きている資本」のような古いフィクションを捨てる必要がある。『資本論』で原理を語ろうとしない方がいい。「人間」とその経済活動を見るべきだ。
野暮な指摘を繰り返すが、「資本」はお金持ちが持っている財産に過ぎない。独自の意思を持った生命体などではない。


■参考資料
ただのサラリーマン社長だったのに…「土地だけで7億5000万円」 “フジテレビのドン”「日枝久」が住まう大豪邸

「搾取」から逃れる「働き方」と「資産運用」
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