「学びのギルド」university・collegeと、大学との本質的な違い
「大学」という言葉のルーツは、紀元前15世紀頃の中国にあると考えられます。
広義の「大学」ないし最高学府の歴史は遠く紀元前15世紀頃の殷(商)時代まで遡ることができ,各王朝で国子寺,国子監,国子学,太学などと呼ばれた。とくに紀元前124年の設置が同時代の史書に明記された漢王朝の太学は,古代の高等教育機関の存在を確実に示す。「博士」「教授」などの漢字語も古代の太学から受け継ぐ。官学のみならず,書院に代表される私学も興隆した。
平凡社「大学事典」
大学ではなく「太学」ではありますが、「博士」「教授」という言葉のルーツも古代中国にあるようです。
教育機関という仕組みが日本に入ってきたのが、飛鳥時代の670年。天智天皇の頃に「大学寮」が設立されたと考えられています。国(政府)が優秀な官僚を養成するために、学問機関を設置した形となります。701年に大宝律令がまとめられたことから、この時代は律令時代とも呼ばれています。
670年,天智天皇(在位668-71)の時代に登場した.「大学寮」がそれである.これは官僚養成を目的として時の政府によって設立されたものであった.ようやく国家としての体制を整えようとしていた日本は,当時の先進文化国家である中国(唐)に学ぶべく,唐の言語(漢語)の習得を目指し,それを通して唐の政治組織・制度・文化を急いで吸収する必要があったのである.
時代は下って、江戸時代。大学頭(だいがくのかみ)という官名がありました。この「大学」という言葉は律令時代の大学にルーツがあります。
江戸幕府の官名の一つ。律令制下の大学寮長官の名称にちなむ。1691年(元禄4)江戸湯島の聖堂が竣工した際に林家の当主林鳳岡(ほうこう)が任じられたのをはじめとし,代々の林家の当主に世襲的に与えられた。林羅山以来,幕府の儒者の仕官形態は僧形・僧位であり,大学頭への叙任は剃髪の中止とともに儒者の社会的地位向上の一環と意義づけられる。
大学という言葉は、明治政府にも受け継がれます。
江戸時代には、幕府の教育機関として、昌平坂学問所・蕃書調所・医学所がありました。
この3校を明治政府は継承して、昌平学校・開成学校・医学校とします。1869(明治2)年には、3校を統合して「大学校」とし、今の大学と文部科学省の役割をくっつけたような教育機関兼官庁を作ろうとしたようです。大学校の学長兼長官である「大学別当」には、松平春嶽が任命されました。ただ、対立その他のゴタゴタで、教育機関と官庁は切り離されました。せっかく統合した3校も切り離され、昌平学校は大学本校、開成学校は大学南校、医学校は大学東校となります。後に、この3校が東京大学となります。
このように日本では、中国あるいは欧米に追い付け・追い越せと、優秀な官僚を育てるために国(政府)が設置した教育機関が大学です。
一方、「大学」と訳されているuniversityとcollegeは、自治組織(ギルド)として誕生しました。
universityの語源はラテン語の「universitas」で、universitasは「全体」「共同体」という意味です。collegeの語源であるラテン語の「collegium」は、「一緒に集められた人々」「同僚」「仲間」という意味を持ちます。
中世のヨーロッパでは、学問をするために人が集まって、universityとcollegeができています。
日本の大学は「学ばせるため作られた機関」、universityとcollegeは「学ぶために自分で作った機関」ということになります。
上の絵は、1350年代のイタリアのボローニャ大学(Università di Bologna)での講義風景を描いたものです。教授者は就学者側に雇用された身分で、学生に対して上位の立場ではありませんでした。
なお、ボローニャ大学は世界最古の大学と考えられているそうです。最初の頃は、大学専用の施設はなく、教会や広場、橋のたもと、修道院の回廊などで授業が行われていました。
ちなみに大学のキャンパス(campus)の語源はラテン語の「campus」で、campusには「平らな土地」「野原」という意味があります。中世のヨーロッパでは、原っぱが大学のある場所だったのでしょうか。
やがて、部屋を借りて講義を行うようになり、貧困学生の住居として学生寮を整備しました。
学びたい人が集まって、お金を出し合い、教授を依頼する。
場所を決めずに、授業を行う。
そう考えると、大学とuniversity・collegeとは全く別物に見えてきますね。
■主な参考資料
大学の起源と学問の自由
よみがえる幕末明治の人々(常設展:2005年7月~10月)
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