作文が苦手だからこそ入試・就職試験で作文が武器になる
苦手だからこそ
印象的な原稿が書ける
大人も子どもも、作文が苦手な人は少なくないようですね。
「苦手だから、つまらない文章しか書けない」というのは、実は違います。
むしろ、スラスラと書いた原稿よりも、味があって印象に残る内容になっていることは珍しくありません。
私は雑誌の編集者として、ライターが書いた文章を1カ月当たり10本以上は読んでいました。
それを毎月、21年間続けてきた経験から「作文が苦手な人ほど作文が武器になる」と結論付けた次第です。
まず、私が就職活動をしたときの経験を書きましょう。
大学生の頃、マスコミ関係のサークルやマスコミ塾には足を踏み入れたことが一切ありませんでした。
そんな私が出版社の就職試験を受けたのは、夏休みが来ても内定が取れていなかったからです。
夏から秋にかけて出版社の採用募集があったので、泣きそうな思いで応募しました。
出版社の就職試験のほとんどで、作文問題が出されました。
ある会社の「三題噺で原稿を作る」という試験では、私は固まってしまいました。
周囲の学生は、スタートという合図とともに一斉に作文を始めています。
その様子を見て私は焦りながら、子どもの頃に読んだ物語などを思い出して、なんとか原稿を書き上げました。
終わった後は「ダメだった……」とかなり落ち込みました。
それなのに、この試験にパスしたのです。
ほかにも「落ちた」と思った作文問題で、何社かパスしています。
学生の頃の私には不思議でしたが、今は採用担当者の気持ちがわかる気がします。
マスコミ塾などで作文が上手になった学生の場合、テーマに対して反射的に原稿が書けたのではないかと。
言い換えれば、テーマを与えられただけでわかったつもりになって原稿を書いたわけです。
その結果、文章としてまとまっているが、読んだところで書き手の意図が伝わらない内容になっていたのでしょう。
そんな上手な原稿を採用担当者はたくさん読んで、すっかり飽きてしまっています。
一方、テーマを理解しようと苦しみ、もがきながら書いた原稿は目立つわけです。
下手でも印象に残ったほうを、採用担当者は選んだのでしょう。
ちなみに、原稿が尻切れトンボになっていても出版社の採用試験をパスした男子学生がいました。
採用担当者に理由を聞いたところ、「おもしろかったから」とのこと。
これは極端な例かもしれませんが、「上手よりもおもしろいほうを採用する」ということが現実としてあり得るわけです。
そして私は雑誌の編集者となって読む側に回ったわけですが、プロのライターが書いた原稿でも「なんじゃこりゃ!!」と書き直してもらうことはたびたびありました。
理由は、就職試験の作文と同じです。
一応、日本語としては間違っていない上手な原稿を書いていても、独りよがりというのか、読み手である私に伝わってくるものがないのです。
つまらなくて、こんな原稿は時間泥棒だと不愉快になってしまいました。
「伝えたい」という思いで
原稿を書こう
「自分は作文が苦手だ」と思っている人は、作文に真剣に取り組んでいるのではないでしょうか。
真剣であるからこそ、まじめに突き詰めて苦しくなってきて、「書けない……」と落ち込んでいるようです。
こうした姿勢で取り組むことで、作文が武器になると私は思います。
「苦手だからこそ武器になる」ととらえて、作文を書く訓練を続けてください。
誤字脱字や日本語としての間違いは、作文を書きながら直していけばいいでしょう。
上手に書けないと落ち込む必要はありませんし、あきらめないでください。
書いた原稿をおもしろいか、つまらないか判断するのは自分自身ではなく、読み手なのです。
そして「自分は作文が得意だ」と思っている人は、読み手を意識して書いてください。
多くの場合、テクニックにおぼれ、「こんなものでいいでしょ」と書いた自己満足な原稿になっているからです。
試験では、嫌というほど原稿を読んできた人が合否の判定をしています。
「読み飽きている」というレベルといってもいいでしょう。
そんな読み手を動かすのは、書き手の理解の深さと率直な思いです。
提示されたテーマを自分なりに突き詰めてから書くことで、読み手は「おっ?」と興味を持つのです。
私は教育関係者ではないので、入試の実態はまったくわかりません。
ただ、学力的に厳しい生徒でも、小論文と面接のみの推薦入試や、AO入試で進学できるチャンスはあるそうですね。
私個人の経験では、一般入試は知識の詰め込みと持ち前の小器用さで乗り切りました。
推薦入試やAO入試では、知識の詰め込みと持ち前の小器用さでは太刀打ちできない作文によって判定されます。
おもしろい学生に来てもらいたいという学校側の意図があるのかもしれません、私の素人考えでは。
印象的な原稿が書ける
大人も子どもも、作文が苦手な人は少なくないようですね。
「苦手だから、つまらない文章しか書けない」というのは、実は違います。
むしろ、スラスラと書いた原稿よりも、味があって印象に残る内容になっていることは珍しくありません。
私は雑誌の編集者として、ライターが書いた文章を1カ月当たり10本以上は読んでいました。
それを毎月、21年間続けてきた経験から「作文が苦手な人ほど作文が武器になる」と結論付けた次第です。
まず、私が就職活動をしたときの経験を書きましょう。
大学生の頃、マスコミ関係のサークルやマスコミ塾には足を踏み入れたことが一切ありませんでした。
そんな私が出版社の就職試験を受けたのは、夏休みが来ても内定が取れていなかったからです。
夏から秋にかけて出版社の採用募集があったので、泣きそうな思いで応募しました。
出版社の就職試験のほとんどで、作文問題が出されました。
ある会社の「三題噺で原稿を作る」という試験では、私は固まってしまいました。
周囲の学生は、スタートという合図とともに一斉に作文を始めています。
その様子を見て私は焦りながら、子どもの頃に読んだ物語などを思い出して、なんとか原稿を書き上げました。
終わった後は「ダメだった……」とかなり落ち込みました。
それなのに、この試験にパスしたのです。
ほかにも「落ちた」と思った作文問題で、何社かパスしています。
学生の頃の私には不思議でしたが、今は採用担当者の気持ちがわかる気がします。
マスコミ塾などで作文が上手になった学生の場合、テーマに対して反射的に原稿が書けたのではないかと。
言い換えれば、テーマを与えられただけでわかったつもりになって原稿を書いたわけです。
その結果、文章としてまとまっているが、読んだところで書き手の意図が伝わらない内容になっていたのでしょう。
そんな上手な原稿を採用担当者はたくさん読んで、すっかり飽きてしまっています。
一方、テーマを理解しようと苦しみ、もがきながら書いた原稿は目立つわけです。
下手でも印象に残ったほうを、採用担当者は選んだのでしょう。
ちなみに、原稿が尻切れトンボになっていても出版社の採用試験をパスした男子学生がいました。
採用担当者に理由を聞いたところ、「おもしろかったから」とのこと。
これは極端な例かもしれませんが、「上手よりもおもしろいほうを採用する」ということが現実としてあり得るわけです。
そして私は雑誌の編集者となって読む側に回ったわけですが、プロのライターが書いた原稿でも「なんじゃこりゃ!!」と書き直してもらうことはたびたびありました。
理由は、就職試験の作文と同じです。
一応、日本語としては間違っていない上手な原稿を書いていても、独りよがりというのか、読み手である私に伝わってくるものがないのです。
つまらなくて、こんな原稿は時間泥棒だと不愉快になってしまいました。
「伝えたい」という思いで
原稿を書こう
「自分は作文が苦手だ」と思っている人は、作文に真剣に取り組んでいるのではないでしょうか。
真剣であるからこそ、まじめに突き詰めて苦しくなってきて、「書けない……」と落ち込んでいるようです。
こうした姿勢で取り組むことで、作文が武器になると私は思います。
「苦手だからこそ武器になる」ととらえて、作文を書く訓練を続けてください。
誤字脱字や日本語としての間違いは、作文を書きながら直していけばいいでしょう。
上手に書けないと落ち込む必要はありませんし、あきらめないでください。
書いた原稿をおもしろいか、つまらないか判断するのは自分自身ではなく、読み手なのです。
そして「自分は作文が得意だ」と思っている人は、読み手を意識して書いてください。
多くの場合、テクニックにおぼれ、「こんなものでいいでしょ」と書いた自己満足な原稿になっているからです。
試験では、嫌というほど原稿を読んできた人が合否の判定をしています。
「読み飽きている」というレベルといってもいいでしょう。
そんな読み手を動かすのは、書き手の理解の深さと率直な思いです。
提示されたテーマを自分なりに突き詰めてから書くことで、読み手は「おっ?」と興味を持つのです。
私は教育関係者ではないので、入試の実態はまったくわかりません。
ただ、学力的に厳しい生徒でも、小論文と面接のみの推薦入試や、AO入試で進学できるチャンスはあるそうですね。
私個人の経験では、一般入試は知識の詰め込みと持ち前の小器用さで乗り切りました。
推薦入試やAO入試では、知識の詰め込みと持ち前の小器用さでは太刀打ちできない作文によって判定されます。
おもしろい学生に来てもらいたいという学校側の意図があるのかもしれません、私の素人考えでは。

Leave a Comment