「どうして主語と述語がわからなくちゃいけないの?」の疑問に答えたい
「なんで作文なんか勉強しなくちゃいけないの!!」
息子から頻繁にこのような文句を言われます。
作文を勉強したところで、すぐには学校の成績は上がりません。
周囲の友達の中で作文を定期的に勉強させられている人はいません。
作文は苦手だから、「作文」と聞いただけで息子は逃げ出したくなります。
そのような状況ですから、私は文句を言われて当然だと思います。
私がいつも答えるのは、次のことです。
「小学校高学年になって、友達と一緒に出かけることも増えるよね?
それで困ったことが起こったときに、どうするの?
子どもたちだけで解決できないのなら、近くにいる大人に助けてもらうしかないよね?
そのときに、君たちが何を言っているのか大人がわからなければ、大人は助けられないよ。
友達同士や親子だったら言葉にしなくても通じ合うことは多いかもしれないけど、そうじゃない人にはきちんと言葉にしなくちゃわからないよ」
「悲しい話だけど、子どもが事件や事故に巻き込まれることもある。
そんなときに、自分の状況をきちんと説明できなければ、罪を着せられるかもしれないよ」
「作文を練習するのは、自分の考えや思いを周囲の人にわかりやすく伝えるためなんだよね。
思っているだけじゃ、周囲の人はわからないんだよ。
いつもお父さんやお母さんにくっついているわけじゃないんだから、自分のことは自分で説明できるようにならないと」
実はウチの息子は、友達が軽度のひき逃げ事故に遭ったり、自分が自転車事故に巻き込まれたりしていました。
そうした経験から、自分の身に起こったことは自分で説明する必要があることはわかってきているようです。
それでも息子が作文嫌いであることは変わりません。
なぜ今になって主語と述語を教えられているのかは理解できないようです。
「2年生で習ったけど、忘れちゃったんだから、別にいいじゃん。主語と述語がわからなくても、日本語はしゃべれるし」と思っているのでしょうね、息子は。
昨日のブログでもさんざん書いた内田樹氏の『下流志向』。
その内容の私なりの解釈ですが、例えばお年玉をもらった後の子どもが、おもちゃ屋でゲームソフトを買ったら「ありがとうございました」と接客されます。
お金さえ持っていたら、大人も子どもも関係なく、みんなお客様です。
こうして子どもの人生は、お客様、つまり消費者としてスタートするのです。
勉強においても子どもの立ち位置はお客様で、「お金を出す価値がないものは、いらないよ」と同じ態度を取るということです。
「主語と述語? それがぼくにどんな価値があるの? 価値がないのなら勉強しないよ」と言いたいのでしょうね、子どもは。
そんな子どもには「価値があるかどうかも自分でわからないぐらい未熟だから、主語と述語を学ばなくちゃいけないのよ」と私は言いたいですね。
学ぶことや経験を広げていくことの価値もわからない子どもが、何を言ってやがるんだ!
小学生の価値観でわかるかいな!
上記のような本音とは別に、「どうして主語と述語がわからなくちゃいけないの?」の疑問には、私なりの答えがあります。
作文ができない状況を、私は過去のブログで「クローゼットがグチャグチャでなにを着ていいのかわからない状況」にたとえました(「作文は、服の整理と通じる作業」)。
主語と述語がわからずにしゃべったり書いたりした文章は、「誰がどんなときに着るのかをまったく考慮せずに作った服のコーディネート」だと思います。
お店で気に入った服を買ってきて、床の上に並べて、「このトップスには、このボトムが合うわね」と組み合わせているということ。
服を着るのが女性なのか男性なのか、やせているのか太っているのか、着るのは夏か冬か、着る人自身や状況を考慮していません。
「トレンドの抜き襟のシャツとアンクル丈のパンツを取り入れました」とコーディネートを工夫したところで、着る人が小学生の男の子だったら何の意味もないでしょう。
読解についていえば、「靴下がかわいい」「ベルトがオシャレ」と細部にばかり気を取られ、身に着けている人が男か女かもわかっていないということです。
文章での主語と述語が、洋服を着る人で本体です。
修飾語が洋服。
「ミニスカートをはいて、スキップしながら」の本体が2歳ぐらいの女の子か、お母さんか、はたまたお父さんかで、まったく意味合いが変わってきます。
読解では、文章の本体である主語を探すこと。
主語は必ず述語と対応しています。
日本語ではたいていの場合、述語が文の最後にあります。
述語に対応している主語がわかって初めて、文の意味がはっきりとわかるわけです。
作文においては、主語と述語を対応させること。
主語と述語が対応していない文は、自分の思いや考えを周囲の人に正確には伝えられません。
以上のことから、「どうして主語と述語がわからなくちゃいけないの?」と話す子どもに伝えたいと思います。
「『主語と述語がわからなくても、日本語はしゃべれる』と思っているとしたら、君の思いは間違った形で周囲の人に伝わっている可能性が高いでしょうね。
周囲の人もなんとなく『まあ、こういうことだろう』と聞き流してしまいます。
君が周囲の人にわかってもらいたいことがある、あるいは伝えなければいけないことがあるのなら、主語と述語は意識しましょう。
もう一つ、君自身が自分の思いや考えを知りたいときにも、主語と述語は意識しましょう。
主語と述語をはっきりさせないと、別の誰かの強い意見が、あたかも自分の思いのように感じる場合があると思います。
これは大変に危険です。
成長するとともに、いろいろな人と出会う機会も増えるでしょう。
そのときに備えて、今から主語と述語をはっきりさせる意識を君に持っていてほしいと思っています」
うーん、わかりにくいか!
息子から頻繁にこのような文句を言われます。
作文を勉強したところで、すぐには学校の成績は上がりません。
周囲の友達の中で作文を定期的に勉強させられている人はいません。
作文は苦手だから、「作文」と聞いただけで息子は逃げ出したくなります。
そのような状況ですから、私は文句を言われて当然だと思います。
私がいつも答えるのは、次のことです。
「小学校高学年になって、友達と一緒に出かけることも増えるよね?
それで困ったことが起こったときに、どうするの?
子どもたちだけで解決できないのなら、近くにいる大人に助けてもらうしかないよね?
そのときに、君たちが何を言っているのか大人がわからなければ、大人は助けられないよ。
友達同士や親子だったら言葉にしなくても通じ合うことは多いかもしれないけど、そうじゃない人にはきちんと言葉にしなくちゃわからないよ」
「悲しい話だけど、子どもが事件や事故に巻き込まれることもある。
そんなときに、自分の状況をきちんと説明できなければ、罪を着せられるかもしれないよ」
「作文を練習するのは、自分の考えや思いを周囲の人にわかりやすく伝えるためなんだよね。
思っているだけじゃ、周囲の人はわからないんだよ。
いつもお父さんやお母さんにくっついているわけじゃないんだから、自分のことは自分で説明できるようにならないと」
実はウチの息子は、友達が軽度のひき逃げ事故に遭ったり、自分が自転車事故に巻き込まれたりしていました。
そうした経験から、自分の身に起こったことは自分で説明する必要があることはわかってきているようです。
それでも息子が作文嫌いであることは変わりません。
なぜ今になって主語と述語を教えられているのかは理解できないようです。
「2年生で習ったけど、忘れちゃったんだから、別にいいじゃん。主語と述語がわからなくても、日本語はしゃべれるし」と思っているのでしょうね、息子は。
昨日のブログでもさんざん書いた内田樹氏の『下流志向』。
その内容の私なりの解釈ですが、例えばお年玉をもらった後の子どもが、おもちゃ屋でゲームソフトを買ったら「ありがとうございました」と接客されます。
お金さえ持っていたら、大人も子どもも関係なく、みんなお客様です。
こうして子どもの人生は、お客様、つまり消費者としてスタートするのです。
勉強においても子どもの立ち位置はお客様で、「お金を出す価値がないものは、いらないよ」と同じ態度を取るということです。
「主語と述語? それがぼくにどんな価値があるの? 価値がないのなら勉強しないよ」と言いたいのでしょうね、子どもは。
そんな子どもには「価値があるかどうかも自分でわからないぐらい未熟だから、主語と述語を学ばなくちゃいけないのよ」と私は言いたいですね。
学ぶことや経験を広げていくことの価値もわからない子どもが、何を言ってやがるんだ!
小学生の価値観でわかるかいな!
上記のような本音とは別に、「どうして主語と述語がわからなくちゃいけないの?」の疑問には、私なりの答えがあります。
作文ができない状況を、私は過去のブログで「クローゼットがグチャグチャでなにを着ていいのかわからない状況」にたとえました(「作文は、服の整理と通じる作業」)。
主語と述語がわからずにしゃべったり書いたりした文章は、「誰がどんなときに着るのかをまったく考慮せずに作った服のコーディネート」だと思います。
お店で気に入った服を買ってきて、床の上に並べて、「このトップスには、このボトムが合うわね」と組み合わせているということ。
服を着るのが女性なのか男性なのか、やせているのか太っているのか、着るのは夏か冬か、着る人自身や状況を考慮していません。
「トレンドの抜き襟のシャツとアンクル丈のパンツを取り入れました」とコーディネートを工夫したところで、着る人が小学生の男の子だったら何の意味もないでしょう。
読解についていえば、「靴下がかわいい」「ベルトがオシャレ」と細部にばかり気を取られ、身に着けている人が男か女かもわかっていないということです。
文章での主語と述語が、洋服を着る人で本体です。
修飾語が洋服。
「ミニスカートをはいて、スキップしながら」の本体が2歳ぐらいの女の子か、お母さんか、はたまたお父さんかで、まったく意味合いが変わってきます。
![]() |
| 服は誰が着るかで意味合いが変わりますよね |
読解では、文章の本体である主語を探すこと。
主語は必ず述語と対応しています。
日本語ではたいていの場合、述語が文の最後にあります。
述語に対応している主語がわかって初めて、文の意味がはっきりとわかるわけです。
作文においては、主語と述語を対応させること。
主語と述語が対応していない文は、自分の思いや考えを周囲の人に正確には伝えられません。
以上のことから、「どうして主語と述語がわからなくちゃいけないの?」と話す子どもに伝えたいと思います。
「『主語と述語がわからなくても、日本語はしゃべれる』と思っているとしたら、君の思いは間違った形で周囲の人に伝わっている可能性が高いでしょうね。
周囲の人もなんとなく『まあ、こういうことだろう』と聞き流してしまいます。
君が周囲の人にわかってもらいたいことがある、あるいは伝えなければいけないことがあるのなら、主語と述語は意識しましょう。
もう一つ、君自身が自分の思いや考えを知りたいときにも、主語と述語は意識しましょう。
主語と述語をはっきりさせないと、別の誰かの強い意見が、あたかも自分の思いのように感じる場合があると思います。
これは大変に危険です。
成長するとともに、いろいろな人と出会う機会も増えるでしょう。
そのときに備えて、今から主語と述語をはっきりさせる意識を君に持っていてほしいと思っています」
うーん、わかりにくいか!

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