「スピリチュアル」から子どもを守る
この文章は、2012年7月13日に私が書いたブログを一部修正したものです。
「スピリチュアル」ここだけの定義
まず最初に断っておきたいのは、ここで言う「スピリチュアル」が「霊性」「高次の精神性」「伝統宗教」ではないということ。
私が、このブログで、かぎかっこつきで「スピリチュアル」と表現するのは、以下の狭い意味で、ごく世俗的な現象です。
① 客観的に見て、営利活動を行っている
② 「ヒーリング」「パワー」「気」「霊」「未来」など物体ではない“なにか”を売っている
※ちなみに「お札」「パワーストーン」「壺」などは物に宿ったなにかをもとに価格が決められているので、②に含まれる
③ 営利活動の場に再訪する、または、その組織(個人のケースもある)に加わるように強く勧誘する
例えば、ある神社に初もうでをしてお守りを買ったとします。
これは①②に当てはまりますが、③には当てはまりません。
ですから「スピリチュアル」ではありません。
以前に、歌手が気功師にハマって、部屋が盛り塩だらけ。
その気功師のために、家を新築しているなどと報道がありました。
また、女性芸人が占い師にハマって、引きこもり状態になったことも有名です。
部屋に占い師の家族を住まわせ、一時期は占い師以外の人間をまったく受け入れない状態だったようです。
このような気功師と占い師が「スピリチュアル」に相当します。
「スピリチュアル」に子どもが一度ハマってしまうと、現実社会に引き戻すまで、多大な労力が必要になります。
どうすればはまらせずに済むのか、考えてみたいと思います。
なぜ「スピリチュアル」に私たちははまるのか?
戦時下など、生きるか死ぬかの状況では、「スピリチュアル」にハマる人は少数だと思われます。
その点で、「スピリチュアル」と宗教は違います。
平和になり、そこそこ安定した世の中で、「スピリチュアル」にハマってしまう人が増えるのではないでしょうか。
また、学歴や収入は関係ありません。
オウム関連の事件を持ち出すまでもなく、高学歴でも「スピリチュアル」にハマる人はいます。
そして、収入に余裕がなくても、「スピリチュアル」にハマっていた人を私は知っています。
「スピリチュアル」にハマる心の状態として、以下の3つが考えられます。
① 人生に大きな意味・価値を求める
現代の日本で、私たちの置かれている環境は、生きていられることが当たり前になっています。
そのため、「なぜ生きるか」「どのように生きるか」が問われるようになりました。
「ただ生きられて満足」というわけにはいかず、なにかを達成したいという欲求を持ってしまいます。
マスコミも、「あなたらしい、あなたになるために」などと欲求をあおっているのかもしれません。
② 不確実な世界に安定性を求める
戦時下などでは、明日はどうなるかなど考える余裕がありません。
明日は何が起こっても不思議ではないが、とりあえず今を生きるという心の状態でしょう。
しかし、平和な現代では、今日が明日も繰り返されると錯覚し、それを無意識のうちに強く望みがちです。
③ 「完全な健康」を求める
医学の進歩で、病気はなんでも治って当たり前と勘違いしてしまいます。
アトピー性皮膚炎などは、原因が特定できないケースも多々あります。
原因がわからないことに対し「どうしてわからないの!」といら立ち、受け入れられないこともあります。
上記の3つから、生きづらさ、葛藤、焦りが生み出されます。
自分だけでは抱えきれないほどのストレスになったとき、誰に相談するのでしょうか?
身の回りの人も、それぞれの事情を持っているので、ゆっくりと話を聞く余裕がありません。
また、家族や友人などに自分のストレス・悩みを相談して、「そんなこと、どうでもいいじゃない」などと軽く流されると、傷ついてしまうかもしれません。
そこに「スピリチュアル」の需要が生まれるのです。
「スピリチュアル」は営利活動なので、お客(金づる)の悩みは熱心に聞いてくれます。
また、自分のことをよく知らない人のほうが、悩みを話しやすいということは、往々にしてあります。
こうして、最初は「スピリチュアル」の料金が低額あるいは無料ということもあって、手を出してしまいます。
それが回数を重ねるにつれ、少額ずつ上乗せされていき、結果として大金を注ぎ込むことになるようです。
お金でなければ、「奉仕活動」という名の労働が課せられるのです。
これが「スピリチュアル」にハマった状態だと言えます。
「スピリチュアル」の問題点
多くの「スピリチュアル」が、伝統宗教の要素を適当に引用して、「世の中は●●だ。人生は○○だ」と簡潔に断定します。
しかし、それは真実でしょうか?
例えば、子どもが病気になったとします。
ある「スピリチュアル」では「それは家相が悪い」と断定します。
そして「家相をよくするには、このお札を子ども部屋に貼りなさい」と簡潔なアドバイスをします。
しかし、真実はどうでしょうか?
私たちの体は、住む家だけに左右されるわけではありません。
生まれつきの体質、季節、食習慣、運動、対人ストレス……さまざまな要素が重なった結果、体調に変動が現れます。
「スピリチュアル」にはまると、現実の、さまざまな要素に目を向けにくくなります。
家相がよくて、健康の場合。
家相がよくて、不健康の場合。
家相が悪くて、健康の場合。
家相が悪くて、不健康の場合。
4つの可能性が考えられますが、「スピリチュアル」では「家相がよくて健康」「家相が悪くて不健康」と、可能性を半分に規制しがちです。
つまり、偏った見方になってしまうのです。
私たちの脳も体も、「楽をしたい」という欲求があります。
エスカレータと階段が並んでいれば、ついエスカレータに乗ってしまいます。
1つの問いに10個の解を見つけるよりも、1個の解を見つけるほうが楽です。
こうして、楽をするほど、もともとの機能は退化します。
また社会に出ていない子どもが「スピリチュアル」にハマってしまうと、柔軟な思考が養われません。
私が「スピリチュアル」な人々に実際に会ったときの印象では、感情的にも安定していません。
「スピリチュアル」な組織の広報を担当していた男性に、私個人としては単純な疑問を投げかけると、「あなたはボクたちのことを信じてはいないのかっ!!」と急に怒り始め、驚いたことがありました。
そして、たいていの場合、多額のお金と膨大な時間を「スピリチュアル」団体に吸い取られることになります。
脳の機能の退化と、金銭・時間の無駄。
これが子どもたちにとって大きな問題なのです。
学歴とはなんだろう?
高学歴でも「スピリチュアル」にはまる人がいると、先に書きました。
いい大学に行った人に、脳の機能の退化とは、矛盾した表現です。
ここで、受験の現状を考えてみましょう。
基本は暗記ではないでしょうか?
1つの問いに、1つの解しかないのです。
どんなことでも単純化したがる「スピリチュアル」な思考と似ています。
子どもが何歳になったら「スピリチュアル」に警戒するか?
私自身の経験では、大学生が最も「スピリチュアル」の攻勢を受けやすいと言えます。
実際、オウム真理教や統一教会(原理研究会)に入るきっかけは大学のサークル勧誘が多かったそうです。
私の同級生にも、どのような団体かは不明ですが、大学入学を機に、ボロボロのかっこうで集団でバンに乗り込み、慈善活動という名の布教もどきを行っているとうわさになった女子学生がいました。
親の監視が緩くなる・受験勉強から解放された・アルバイトなどで収入を得られる・進学を機に1人暮らしなどを始めやすい。
さまざまな条件から、子どもが大学生になったときが、最も「スピリチュアル」に警戒しなければならないと思います。
次いで、就職。
社会に出てストレスにさらされると、なにかにすがりたくなるものです。
上司やお客さんから怒られて、「どうしてうまくいかないのだろう」と思ったとき、それが前世のせいだったら楽ですよね。
今の自分が悪いわけではないと、責任を前世に転嫁できるわけです。
非常に心地よく耳に響くでしょう。
人生の転換期やストレスの多い時期に、「スピリチュアル」は忍び寄ってきます。
「スピリチュアル」は営利活動ですから、完全に収入がなく、しかも、労働力にもならない人には、近寄ってきません。
子どもがアルバイトできない時期は、心配する必要はないでしょう。
ただ、無制限にお小遣いを与えていれば、「スピリチュアル」には警戒が必要です。
「スピリチュアル」から子どもを守る
ごく個人的な体験ですが、私は小学校の高学年のときに、「スピリチュアル」的なことに強く興味を持ち、その手の本を読みあさっていました。
「占い」「魔女になる」「おまじない」「精霊」「気を出す」について、かなり詳しくなっていたと思います。
タロット占いをして、魔女になる訓練をして、アファメーションもどきをして……
その時期、あまりにもハマっていたせいで、ピークを超えるとまったく興味がなくなっていました。
大人になって「スピリチュアル」な人と接することもあるのですが、「ああ、またその話か」と新鮮味がないのです。
逆に、子どもの頃、まったく「スピリチュアル」なことを知らなかったら、どうでしょうか?
「えっ、すごい! 手のひらから金粉が出るんだ!」「全部私のことを言い当てている」など、驚きの連続かもしれません。
ですから、子どもがまだ小さい頃に「スピリチュアル」的なこと、あるいはファンタジーをひととおり経験させて、免疫をつけておくのです。
また、私が知っている範囲内の「スピリチュアル」では、すべて、仏教やキリスト教、神道などの教えや心理学、哲学から、適当に孫引き、つぎはぎだらけの理屈を並べています。
「あの占い師はとてもいいことを言っている!」と思うかもしれませんが、それはもともとお釈迦様の言葉だったりするのです。
ですから、受験とはほとんど関係なくても、仏教やキリスト教などについて、子どもたちは学んでおくといいでしょう。
最後に、「なんでも簡潔に、声高に決めつける人は怪しい」と親から子に教えること。
世の中には多種多様な人が生きているので、複雑です。
「『ありがとう』と言っていれば、すべてうまくいくのです!」「前向きに考えれば、すべてうまくいくのです!」などということはありません。
さまざまな条件を無視して物事を決めつけようとする人は決して信用しないようにと、子どもに伝えることがとても大事です。

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