ライフサイクルが尊重され、自立した生活を営める働き方

 資本主義の今の世の中では、私たち人間の仕事だけでなく、娯楽や感情でさえ商品扱いされている気もします。
 例えば親が子を思う気持ちも、「子どもが心配なら〇〇円で保険に入れます」などと保険商品化されるような。

 商品化される過程で起こるのが数値化。
 数値に置き換えないと、価値が測れず、値段がつけられないからです。
 「この子の偏差値は〇〇で、あと〇〇ぐらい伸ばせば志望校に入れるから、ウチの塾のクラスに入るといいですね。月〇〇円です」という具合に。

 しかし、やっぱり人間は数値で測れないと思うのです。
 端的なのは健康診断での検査値。
 すべて正常でも具合が悪く、毎日がつらそうな人もいれば、少々検査値に問題があっても気持ちよく日々を過ごしている人もいるわけです。

 もっと言えば、銀行口座の残高がけた外れに多くても不安を抱える人もいれば、残高をさほど気にせず大らかに暮らす人もいます。

 子どもの学力は偏差値で測れても、どんな大人に成長するのかはわかりません。

 枚挙にいとまありませんが、商品化するために暮らしの数値化に励むのは、むなしい作業ではありませんか。

 そんな資本主義を否定する社会主義ではどうでしょうか。
 例えば北朝鮮の正式名称が「朝鮮民主主義人民共和国」で、「中国」が「中華人民共和国」であるように、「人民」「共和」という言葉ばかりで、体制を維持するために思想家や辺境の人々などを弾圧しているのが現実。

理念ばかりが高尚。
論理ばかりが達者。
閉鎖的で没個性。
排他的で攻撃的。

 なんだか社会主義は、オウム真理教などの新宗教との共通点が多いですよね。

 主義や制度によって個々人のライフサイクルを無視し、生活を踏みにじるのは、新宗教と同じく不健康だと考えます。

 多くの人が一緒に暮らす社会において、争い事を腕力ではなく話し合いで収めるために、制度は必要です。
 人間関係を円滑に進める手段として制度が出来上がるわけですが、最初の目的が忘れられると独り歩きして生活を束縛し、不都合をもたらすようになります。
 がんじがらめの不健康な人間関係ですよね。
 私はPTAでそんな経験をしました(笑)。
 非営利をうたいながら、硬直的な理念と私利私欲でゆがめられている組織。気持ち悪い思いをしています。

 ですから、資本主義を否定する方向性は違うかな、と。
 自分自身の生活やライフサイクルと、今の社会の在り方を照らし合わせながら、自分なりに幸せに暮らす方法を模索しようと思っています。


 そんなささやかな取り組みが、『クラナリ』。
 ときどき「何のためにやっているの?」「利益を出せるようにきちんと考えたほうがいいよ」と言われますが、模索するための手段が『クラナリ』の編集作業なのです。利益を出す仕事は、ほかでやっていますので(笑)。

出入り自由で、開放的なコミュニティ。
ライフサイクルが尊重され、自立した生活を営める働き方。

 こうしたことに興味がある人とも、意見を交わせたらいいなあと思っています。『クラナリ』がそのきっかけになればという期待も抱いて、作業をしているところです。
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