「親を思いのままに操る子ども」 ~我が子が人生に寄生してきたら、どうする?~

親の心の弱みを知る子どもは、自分のわがままを押し通すためなら、親の心の急所のボタンをためらうことなく押しつづける。

『あなたの心を操る隣人たち』(ジョージ サイモン 草思社)より

 「まさか自分の子が私を操っているなんて!」と油断してはいけないようですね。我が子が他人の人生に寄生する「パラサイト人間」の可能性もあるわけです。

※『あなたの心を操る隣人たち』では「攻撃性パーソナリティー」の中の一種として「サイコパス」「ソシオパス」(略奪的攻撃性パーソナリティー)とされています(57ページ)。しかし分類が増えると混乱するので、この本で「マニピュレーター(操作する人)」などと表現されている人物像を、ここではすべて「パラサイト人間」と表記します。

 過去の話題になりますが、女優の三田佳子さんのケース。
三田佳子「もうお金ないの…」高橋祐也容疑者のタカリ地獄https://jisin.jp/entertainment/entertainment-news/1665586/

 マスコミでは三田さんの過保護な母親ぶりがクローズアップされていました。
 しかし、過保護な子どもが必ずしも犯罪を犯すわけではありません。
 「忙しさにかまけて、母親らしいことをしてあげられなかった」という三田さんの負い目を利用して、高橋容疑者は高齢の母親をコントロールしていたとも考えられます。

 子どもが犯罪を犯せば「親が過保護」「親が責任を放棄して放任」「虐待やネグレクトがあった」などと親の責任にされがちです。
 世間の人々は専門家気取りで、「幼い頃の心の傷が原因だろう」といった分析をしたがります。
 しかし、こうした思い込みは捨ててしまったほうがいいでしょう。

治療者の場合、従来の学説に固執し、症状を分類したうえで治療を試みるあまり、犠牲者をかならず求めつづけようとするマニピュレーターの性格と挙動に関し、いつまでもその誤りを訂正できないばかりか、うかつにもこうした誤解を強化している場合がある。

これまで防衛機制だと思われてきた反応の多くは、責任を回避するための行動であり、他者との関係を操作して支配する意図的な行為だと考えるべきなのです。

 パラサイト人間(マニピュレーター)には心の傷も葛藤も、不安も悩み事も罪悪感も心配事も羞恥心もありません。

 フロイト派の理論が誕生した19世紀は、きわめて抑圧的な時代だったようです。そのため人々は過剰な羞恥心と罪の意識で、精神を病み、神経症を患っていたようです。

 ところが現代は、ある意味、なんでもアリの時代。その結果、自制心を失ったために症状が現れているパーソナリティ障害の患者が増えているとのこと。


 つまりは、周囲の人間を思いどおりにコントロールしようとしたり、攻撃的になったり(目立つ・目立たないの両方の形で)するために問題が引き起こされているわけです。
 目立たない形で攻撃する人物は、「ヒツジの皮をまとうオオカミ」とこの本では表現されています。


 そして第8章のテーマが「親を思いのままに操る子ども」。
 「家族に対して並外れた影響を与え、親との関係を操作する手口にあまりにも長じた子どもに遭遇するケースが増えている」と著者は語ります。
 この本では母(ジェニー)と娘(アマンダ)の例が紹介されているので、一読するといいでしょう。精神的に不安定で、周囲の子どもへの暴力や母親への暴言が続くアマンダ。彼女について「生活上のフラストレーションが原因で攻撃行為を引き起こしているのではなかった。問題を引き起こしているのはアマンダ本人のパーソナリティーにあった」と明言されていました。

パーソナリティー障害の理解と対応について、これまでの人間行動の見地に従ってしまうと散々な失敗をくりかえしてしまうという事実は声を大にして言っておく必要があるだろう。アマンダは自己洞察などを必要としておらず、治療さえ求めていなかった。無意識のうちに抱えている恐れや不安を明るみに出すことも、低い自己評価を克服することも不要だった。

 アマンダという娘は、「なんでも思いどおりにできる才能を自分は持っている」という誤った自己評価を抱いているようですね。
 実は親をはじめ大人たちが不注意によって、子どもに過剰な自己評価を抱かせているのです。アドラーが言うところの、「子どもを褒めて育ててはいけない」という考え方とも一致しますね。

成果の面から子どもを褒めすぎる傾向が強すぎるのだ。(中略)
 残念なことに、子どもが本人の力で本当にやりとげたと手放しで称賛できる唯一の偉業について、親がきちんと評価する機会を見逃している場合が少なくない。子どもが抱いている勤労への意欲である。「額に汗する」ことこそまぎれもなく褒めるに値するものであり、健全な自己評価をはぐくんでいくためにはどうしても欠かせないものなのである。ぜひともこれは忘れずにいてほしい。

 極端な話、私たち親は子どもがカンニングをして取った100点を手放しで褒め、50点しか取れなくても地道に勉強している努力を評価していないということでしょうね。

 パラサイト人間が他人だったら縁を切ればいいだけですが、親子だとそうはいきません。どのように対応すればいいのでしょうか。

 本書では、まずは自分自身の性格を知ることが大事だと書かれています。

【自分の性格チェック】(表現は私のほうで変えているので本とは違います)
□「狡猾で悪質、冷酷な人間が実在する」という考え方を拒んでしまいますか
□自分が傷つけられたときに「原因は私にある」と自分を責めていませんか
□いつも不安がつきまとっていませんか
□周囲の人間の言動に対して、「どうしてなのだろうか」と理由を細かく分析していませんか
□他人の言いなりになりやすいのではありませんか

 上記のような自分の性格をじっくりと把握したうえで、対応策を考えます。

【対応策】(表現は私のほうで変えているので本とは違います)
●言い訳(合理化)に耳を貸さない
 彼らが並べ立てる理屈ではなく、不適切な行動に注目します。そして「問題になっている行為を私は認めません」とはっきりと伝えましょう。

●意図ではなく行動パターンで判断する
 彼らがどうしてこんなことをするのか、その理由を深読みしても無駄です。むしろ真の問題から自分の注意が離れていく危険性もあります。「相手の行いがなんらかの意味で有害なら、注意を向けるのはその行為であり、対処するのもその行為に対してなのである」と本著では書かれています。

●一線を設けておく
 自分と彼らとの境界線を引いて、相手の言動に対して、どの程度までなら許容できるのかを具体的に決めましょう。限度を越えたら、関係を清算するなどの対応もあらかじめ決めておくのです。

●はっきりと相手に伝える
 必ず「私は」という主語を使って、自分が嫌いなこと、望んでいることを具体的に伝えましょう。ほかの人間の気持ちや意見を代弁しません。あいまいな言い方はやめて、正々堂々と立ち向かいます。

●相手からの具体的な返事だけを受け入れる
 単刀直入な質問には、シンプルな返事が返ってくるもの。返答が極端に長かったり、逆に短すぎたり、まったく無関係な内容だったりする場合は、彼らは駆け引きをしていると考えられます。

●問題を絞り込む
 彼らは話題転換やはぐらかしで駆け引きを行うので、こちらは目の前の問題に集中する必要があります。過去の問題を引き合いに出したり、将来を想定したりするのではなく、今、ここに集中しましょう。

●責任をはっきりさせる
 彼らはこちらを非難したり責任転嫁をしたりします。ですから、自分の責任と彼らの責任とをはっきりと分けて、彼らには彼らの責任を突きつけましょう。

●ペースを合わせて攻撃的にならない
 彼らが攻撃的だからといって、こちらも攻撃的になったり、露骨に非難したり、あざけったりするのはやめます。淡々としたペースで話し合ったほうがスムーズに進みます。

●脅さない
 こちらが脅すような態度を取れば、彼らも脅しで応じます。彼らのほうが脅しの手口において勝っています。攻撃に攻撃で、あるいは脅しに脅しで応じるのではなく、自分のペースで進めましょう。

●ウィンーウィンの条件を提示をする
 彼らが負けて、こちらが勝ちそうになると、彼らは死に物狂いで攻撃したり、道連れにするために必死に足を引っ張ったりします。

●素早く行動する
 彼らは言動をエスカレートさせるので、おかしいと気づいたら素早く行動を起こします。

●反撃に備える

●相手を変えようとはしない
 自分を操作しようとする彼らを何とかして変えようとするのは、勝ち目のない戦い。

●自分の得意分野だけにエネルギーを注ぐ

 最後に、パラサイト人間には自制心がありません。子どもの自制心をはぐくむには、人と争うという行為の意味を、親がきちんと子どもに教えることが大事だと筆者は語ります。

①どのような場合に人と戦い、どのような場合に不適切な争いになるのかを教える。そして戦っても無意味な場合があることも子どもに学ばせる。
②子どもが欲しがるものについて、どうすれば他者と戦わずに得られるか、その方法を教えるだけでなく手本も示す。
③「強引に自分の考えを押し通す」ことと、「明確に自己主張をする」ことの違いを、理解させる。


 自制心も責任も持たずに生きていくことが果たして「自由」で幸せなのか。モラルが持つことは損なのか。
 競争が激しく、なんでもアリの時代に、親である私たちが突き詰めて考えておくことも大事なのかもしれません。


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