神話を人間の歴史としてとらえ直す 『古代日本正史』

  日本の歴史について、旧石器、縄文、弥生、古墳、飛鳥と続いていきます。

日本の時代の年表(ウィキメディア・コモンズより)


 古代の史実を記録した文書は日本には残っておらず、歴史の教科書などでは、中国で5世紀に成立した『後漢書』や、 280年以降に成立した『三国志』の「魏志倭人伝」を参照しているようです。

 日本には、712年に成立した『古事記』と720年に成立した『日本書紀』があるものの、神様が混沌をかき混ぜて島を作るといった、ファンタジーというかオカルトというか、まるでスーパーミステリー・マガジン『ムー』の世界。


 正直なところ、「こんな内容の本が『日本最古の歴史書』だなんて……。日本はとても遅れていた国だったんだろうな」と子どもの頃は思っていました。

 しかし、そんな思いを拭い去ってくれたのが『古代日本正史』(著/原田常治 同志社)です。
 著者の原田常治氏は、『古事記』『日本書紀』を批判的に見つめながら、人間の歴史してとらえ直す試みを行っています。





 当たり前のことですが、人間には父親と母親がいます。顔を洗ったときに、目や鼻から子どもが生まれることなどありません。
 天皇も人間。生きるし、病気になるし、死にます。

 では、『古事記』『日本書紀』ではなぜ天皇の祖先(アマテラスオオミカミ)が親(イザナキ)の目から生まれたとされたのでしょうか。

 原田氏は、『古事記』『日本書紀』が成立した当時の権力者である天皇が、歴史上で自分たちにとって都合の悪いことを捻じ曲げ、古い記録を抹消させたからだと考えていました。

 『後漢書』 に記されているように、57年に倭の奴国王が後漢に使いを送っていたのなら、日本でも当然論理的な文書を作成する技術はすでに確立されていたはずです。
 きっと交渉や交易の記録は残っていたでしょう。そうしたものに、権力者には都合の悪い内容が記載されていたために、破棄されてしまったと原田氏は断言しています。「古事記は半分が嘘、日本書紀は2/3が嘘」と主張したのです。

ポスター 世界地図 GN-0214

 地図を見れば、日本は四方を海に囲まれた島国。東側は太平洋で、古い時代に船で移動するのは困難です。

 ですから、ユーラシア大陸やフィリピンなどから渡ってきた人々が、日本に居ついたと考えるのが自然。天皇の家系もその中の一つに過ぎないでしょう。
 「万世一系」や「現人神」「神国日本」とは、はなはだ無理があります。しつこく繰り返しますが、天皇は親から生まれ、病気になるし、死ぬからです。
 人間性を肯定したほうが、自然ではありませんか。

 そうなると、建国神話については、先に日本に住み始めた「国津神」を追いやって、後で流れ着いた「天津神」が権力を握り、その天津神が天皇の家系と読み解くこともできます。

 映画『もののけ姫』に描かれていたように、平らで水が得られて住みやすい土地に人間は集まって暮らし、日本のあちこちには集落があったのでしょうね。
 生活スタイルや文化などは集落ごとに異なり、ときには集落同士の戦いもあったのかもしれません。その中で上手に勝ち上がってきて、支配範囲を広げていったのが天皇の家系という可能性があります。

 天皇の人間性だなんて戦前の不敬罪に当たるでしょうが、それを正しい・間違い、よい・悪いで解釈することは、とても危険です。ヒステリックな反感や絶望を生み出すきっかけになるからです。

 原田氏についても、著書の中であれこれ断言はしていますが、「あくまでも伝説を追っていった上での、個人的な解釈」という立場を取っています。

 言い換えると、わからなくて当たり前という立場。
 わからないけれど、いや、わからないからこそ知りたくなるのが、歴史であり、自分たちのルーツではないでしょうか。

 原田氏については、多大なる費用と時間を費やして、古代の神社のフィールドワークを行っています。自分の足で歩いて、自分の頭で考えた文章をまとめたのが『古代日本正史』。頭の中だけでこねくり回したり、学会の権威などに遠慮したりしていないため、文体も生き生きして、非常におもしろいのです。
 また、調査には奥さんも同行していて、神社の前に奥さんが立っている写真が掲載されていることもあり、本を読みながらほほえましく思ってしまいました。

 原田氏が『古代日本正史』をまとめたときには70代だったそうなので、まあ、お元気というか、とてつもない情熱だと驚きました。
 自分も、このような年の取り方をしたいものです。
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