「絶望って、安易じゃないですか?」 『楽観論』
ゼロ成長の社会とは、今、すでにある資本だけで暮らしのニーズを十分に満たすことができる「ほどほどに満足した社会」を指しています。社会に資本があり余っているため、資本を新たに投下しても利潤を生むのが非常に難しいのです。
そんなゼロ成長の社会で、企業が成長を追求すると、巨大な損失を被る可能性が高くなります。
太平洋戦争(1941年〈昭和16年〉12月~1945年〈昭和20年〉8月)後の経済の急成長、人口増のほうが異常だといえます。
総務省の資料「我が国における総人口の長期的推移」には「千年単位でみても類を見ない、極めて急激な減少」と書かれています。しかし、明治維新から2004年までの人口増加も、「千年単位でみても類を見ない、極めて急激な」変化に見えますね。
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| 国土交通省「国土の長期展望」 |
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| 平成15年人口動態統計月報年計(概数)の概況 |
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| https://www.populationpyramid.net/ja/%E6%97%A5%E6%9C%AC/2030/ |
例えば、不要なのについ買ってしまった100円グッズ、頼んだら翌日配送されるネット注文品などが、減っていくでしょう。
必要なものを、必要なだけ消費し、注文したものは確実に届くけれども、宅配便だと1週間ぐらい待たされる生活様式に戻るのです。
少子高齢化には、必ず、「労働力が不足して社会が貧しくなる」という議論が伴います。65歳以上の高齢者比率が増加し、15~64歳の生産年齢人口比率が下がり続けるからです。
しかし、現在では65歳以上で働いている人は少なくありません(有業数が増えている)。ですから、単純に「少子高齢化で労働力が不足する」と言い切れないのです。もしかすると、全人口における労働力(≠生産年齢人口)が今までも、これからも、さほど変わらないのかもしれません。
おそらく、多くの人が不幸になってしまう社会構造は、長続きしないのでしょう。革命というドラスティックな形ではなく、「少子化が進む」などジワジワと社会構造が変わっていくのです。
少子化が進んだら、「保育園に入れない」という問題は解消。地価も減少して、切り売り・極小住宅から、庭のある戸建てに住み替えられる。
こうして、子育てしやすい環境が整ってくると、「子どもを育てたい」と思う人が増える可能性も高まるわけです。
もしも、少子高齢化で本当に社会全体が不幸になってしまったら、それを是正する、言い換えると正常化へと動いていくでしょう。
経済や人口の波が上下する中で、「あなたがたの仕事は、この社会でもう足りています」と淘汰される職業なども発生します。
そうした職種では、低賃金・新規採用なし・リストラが当たり前。ただ、ある程度の貯金が築けている高齢者ならば、こうした職種を存続させていくために一仕事できるかもしれません。
……こんなことを考えるきっかけになったのが、『楽観論』(著/古市憲寿)の「はじめに」でした。ときどき、「自分が生きている意味なんて、ないんじゃないかな」という感覚にふわっと取りつかれていたのですが、なるほど、安易だったのだと思い至ったわけです。
「絶望って、安易じゃないですか?」
そうですね。





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