1ミリも心が動かなくなったときに決めた、「仕事はお金のために」という選択
「心が渇き、ワクワクして追いかけていた街の情報に1ミリも心が動かなくなったんです」
2022年5/2号の『オレンジページ』 の連載「えがおのストーリー」#92に掲載されていた細淵幸子さんの一言です。
細淵さんは、地域のニュースを発信するウェブメディアの編集長でした。やりがいはあったそうですが、やがて、悩みを抱えるようになりました。
結果、冒頭のように、心が動かなくなるという状態に。
背景には、地元ならではのしがらみ、そしてメディアにありがちな「都合のいいときにだけなれなれしく近寄ってくる」という人間関係があったという印象です。
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photo/David Selbert |
そんな細淵さんのインタビュー記事に、共感してしまいました。
私が運営している『クラナリ』は無償の「ひとりメディア」なので、「発信しなければならない」という責任感は薄かったものの、ムラ社会的な独特の面倒くささを感じていたのです。
「あの人の顔も立てなきゃダメ」「私が言ったということになると困るから、全部書き直して」「自分たちの活動のために、ちょっと文章を書いて」など、さまざまな要望が届くたびに、地域ならではの人間関係の難しさを感じました。
さらに、ビジネスではない、つまりお金のやり取りが生じないという点も、面倒さを生み出していたのです。
「地域のため」。
そんなぼんやりしたテーマで、それぞれ頭に描くイメージは異なるものの、複数の人間が動くので、衝突することもあります。
そして、「地域のため」であるがゆえ、仕事とプライベートの区別をつけにくくなります。
その一方で、「地域のため」を謳いながらも、自分やその家族、特定の仲良しグループにだけ利益が行くようにしている活動も散見しました。
また、発信数を増やしたいのか、裏を取らずに情報を流す例も多々ありました。素人だから裏を取らないのは仕方がないのかもしれませんが、「そこまでして地域のインフルエンサーになりたいのかな」と。
結果、「もう私は関わらなくてよい」という気持ちになりました。
それに、地域情報に限定すると、それほどイベントも事件も存在しないので、メディアとしてはネタに困るのです。ほかの地域メディアでも取り上げていることを、私が運営する『クラナリ』にも載せるという意義を感じられず、ワクワク感がしぼんでいきました。
「街の情報に1ミリも心が動かなくなったんです」という、細淵さんの言葉どおりの心境です。
現在、細淵さんはご夫婦でクラフト作家として活動しています。「ようやくライフワークといえるものに出会えました」とコメントしていました。
私はというと、今のライフワークは老前整理。
今朝も義理の母の大量の肌着を仕分けしながら、「私は、自分の手が届く範囲の、小さな暮らしをしよう」としみじみ思いました(義理の母の大量の持ち物が自宅にある理由については、「身の丈に合った老前整理 『58歳から日々を大切に小さく暮らす』」を参照)。
そして、書く・編集するという仕事は「お金のため」に行うと目的を限定しました。
不思議なもので、お金のためのほうが、人と人の間で礼儀が成立したり遠慮が働いたりするのです。あくまでも私の場合ですが。
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