発達障害だからといって、「できない」と決めつけてはいけないと実感
この春、子どもAが希望する高校に合格しました。
黒板の文字をノートに書き写すことが困難で、句点を打てない、九九を覚えられない、筆算ができなかった子どもA。小学3年生の始めに市の施設でスクリーニングテストを受けて、「この結果だったら、精神科では発達障害と診断されるでしょう」と職員から言われていました。
学校生活の中で、学習面だけでなくコミュニケーションでも困難さを抱えていたのも事実です。
そんな子どもAに、なんとか作文だけはできるようにと、小学校低学年の頃から文章の書き方を教え始めたのです。
子どもAは中学校に進むと、「発達障害とは、ほとんどわからない」レベルになっていたようです。教師との面談で、学習障害(発達障害の一つ)について説明しても、「そんなふうには見えないのですが」という反応がありました。ただ、教師の指示が入りにくい、英語の成績が絶望的という傾向はありました。
そして高校受験の前、子どもAがボソッと話したのです。「国語の偏差値が75」「作文で点数を稼いでいる」と。
うそでしょ?
信じられない思いでした。
中学生になってからは、うるさがるようになったため、作文は教えていませんでした。どこかで悪文を目にしたときには、「この文章は、どうして悪文なのか」を説明していた程度。まあ、くどい親子の会話だったとは思います。
そして、高校受験のシーズンを迎えたのでした。
結果は、冒頭のとおり、合格。
親として、うれしい気持ちはもちろんあるのですが、子どもAが小学生の頃に私が抱いていた、あの焦燥感や絶望的な気持ちは何だったのかと、茫然としてしまいました。
幸い、子どもAが心を開ける教師と出会え、仲のよい友人に恵まれ、学校生活を送っているうちに、彼なりに処世術と学習術を身に着けていったようです。
『子どもの発達障害 誤診の危機』(著/榊原洋一 ポプラ新書)には、次のように書かれています。
障害には早期発見・早期療育が有効である、という誰でも納得できそうな言葉を信じて、約40年前私たち小児科医は間違いを犯しました。
私は、自閉症スペクトラム障害(発達障害の一つ)は治らない、という常識が必ずしも正しくないと考えます。
子どもの発達は、個人差が大きいものです。それなのに、小学校低学年など幼いうちに「この子は発達障害だから」と決めつけてしまったら、子どもなりに発達するペースを、大人が乱してしまうかもしれません。勝手に焦ったり、絶望したりした昔の自分を、反省しているところです。
そして、同じ高校に合格しなかった子どもAの友人たちもいるという現実を踏まえて、学校などで「発達障害ですから、配慮が必要なのです」「理解してください」と訴えるのはやめることにしました。

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