「自己肯定感」って何でしょうね 2

  「『自己肯定感』って何でしょうね」という疑問が、そのままタイトルになった本がありました。立命館大学名誉教授で臨床心理学者の高垣忠一郎氏が著者の『自己肯定感って、なんやろう?』


 自己肯定感については、1994年に高垣氏が「不登校・ひきこもりの子どものカウンセリングから辿り着いた言葉」とのこと。〔退職記念最終講義〕私の心理臨床実践と「自己肯定感」に以下の記述がありました。

たとえば,ある若い女性は次のように自分の体験世界を語る。
「暗がりで後ろから足音が聞こえてくると自分に危害が加えられるのではないかと命の危険を感じて脅える。あの心理状態に近いのが日常の私の心理状態でないか」
「私は人に合わせることしかできない。人に合わせなくても受け容れてもらえることがあるというのは私にとっては推測でしかなく,私の体験している世界は,合わせないと拒否されて自分がなくなるという恐怖の世界だ」
「なぜそういう風に感じるのですかと問われると,すぐに攻撃されているようで不安になる。何か批判されると自分が全部否定されているように感じてしまう」

 筆者がカウンセラーとして出会ってきた人々の中には,この女性のような感じ方をしながら「安心できない脅威の世界」を生きている人々がたくさんいた。不登校の子どもや社会的ひきこもりの若者のなかにも似たような感じ方をし,似たような世界に生きている人々が少なくなかった。この人たちの表現するこういう「感じ」を言葉にすれば「自分が自分であって大丈夫」という安心感を欠く世界のように筆者には感じられ,その「自分が自分であって大丈夫」という感覚のことを筆者は「自己肯定感」と呼んできたのである。

 今日の子どもや若者の主体形成の問題とかかわって,しばしば「自己肯定感」という言葉がキーワードとして用いられる。それはセルフ・エスティームの訳語として用いられる場合も少なくないが,概ね自己を価値ある存在として評価し尊重する感情として理解され,人権教育などの領域ではとくに重視されている。
 しかし,「自己肯定感」という概念は必ずしも明確に規定されておらず,その言葉を使用する諸家によって込められる意味やニュアンスに違いがある。詳しくは別のところで検討しているのでそれを参照して欲しいが(高垣1999,2004,2008),自己肯定感を自分の「いいところ」を評価して,自己を肯定するような意味で用いられていることもあるし,筆者のように,存在レベルで自己を肯定する意味で用いている場合もある。ここで指摘したいことはどれが正しい定義かということではない。この言葉にどのような意味を含ませることが,今日の子どもや若者の問題と深く切り結ぶうえで有効であるのかという問題である。

筆者が問題にしたかったことは,自分が有能さを示したり誰かの役に立ったりしなければ自分の存在価値がないかのように思い込み,存在レベルの自己否定にまで自分を追い込むような子どもや若者の内面のありようであり,そうした内面を構築している価値観や文化,またその背景にある社会構造なのである。

筆者の言う「自分が自分であって大丈夫」の自己肯定感の「肯定」はこの理解と赦しの「よし,よし」であって,評価の「よし」ではない。
 高垣氏については、「自分の強みや長所を挙げて、自分で褒めよう」などとは、自己肯定感は違う意味で使っていることがわかります。どちらかというと相田みつをに近いという印象。

人の為
と書いて
いつわり
と読むんだ
ねえ


つまづいたって
いいじゃ
ないか
にんげんだ
もの

なやみは
つきねんだ
なあ
生きているん
だもの


 また、淑徳大学人文学部歴史学科助教の吉森丹衣子氏の論文「大学生の自己肯定感における対人関係の影響」では、さまざまな研究者による「自己肯定感」の定義がまとめられています。

 自己肯定感に関連して以下のようなワードが出てきました。

安心感
大丈夫
受け入れられている

平気
満足

肯定
好き
尊重


 「満足」と「安心」、「好き」では、かなりニュアンスが違います。高垣氏が述べているように、自己肯定感は使う人によって意味づけが異なる言葉だとわかります。
 「自己肯定感」って何でしょうね 1で紹介した「ウチの子は、忘れ物があっても平気な子どもに育っているし、『忘れ物があっても平気』が自己肯定感を育てる」というコメントについて、『自己肯定感って、なんやろう?』で取り上げられている「借金」というテーマに沿って考えてみましょう。

わたしらはみんな生きてます。
いろんな「弱点」「ダメなところ」を背負って生きてます。
いうたら、
いろんな「借金」背負って生きているようなもんですわ。
だからって「ダメ」なのではありません。
「借金」背負いながら
一生懸命、がんばって生きてます。
「借金」返そうとして生きてまんねん。
「そういうあんたでエエねんで」というきもち。
それが「自分が自分であって大丈夫」という
自己肯定感なんですな。とりあえず。

 ポイントは、「借金」返そうとして生きてまんねん。のところです。借金返さんでもエエねんでではなく、借金を抱えているあんたでもエエねんでということではないかと。
 これを忘れ物に当てはめると、忘れ物をしちゃうあんたでもエエねん、でも次は忘れ物はせんように工夫しような、ということになりそうです。
 「忘れ物をしても平気」という開き直りは、自己肯定感とは別物なのです。
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