バーナード・マドフはどうしてポンジ・スキームをやめなかったのか 1 自由の国アメリカの格差社会。特にユダヤ人社会 『バーナード マドフ事件 アメリカ巨大金融詐欺の全容』

 バーナード・マドフはどうしてポンジ・スキームをやめなかったのでしょうか。
 結論からいうと、「わからない」。
 ですが、3つの背景だけは追っておこうと思います。

■ポンジ・スキームをやめなかった背景

1 自由の国アメリカの格差社会。特にユダヤ人社会において
2 拡大再生産が"やめられない、止まらない"資本主義
3 結局、学んでなかった 

イメージ(パブリックドメインQ)



自由の国アメリカの格差社会。特にユダヤ人社会において


 1492年10月12日、クリストファー・コロンブスがヨーロッパから大西洋を横断し、アメリカ大陸周辺の島であるサン・サルバドル島(ドミニカ共和国)に到達しました。
 コロンブスは、雇い主だったスペインのイザベル女王から先住民を奴隷にする許可を得ていました。そのため、先住民を弾圧し、奴隷としてスペイン本国に連行し、人身売買を行っていました。
 アメリカ大陸からはヨーロッパにトウモロコシやジャガイモが、サトウキビや家畜として馬、牛はヨーロッパからアメリカ大陸へもたらされました。

 また、ヨーロッパなどから、多くの人々がアメリカ大陸に移り住みました。事情はさまざまですが、その中の一つが宗教的な事情でした。

 有名なのが、ピルグリム・ファーザーズ(Pilgrim Fathers)。1620年に、イギリスのピューリタンが、イングランド王兼スコットランド王ジェームズ1世による弾圧を恐れて、メイフラワー号でニューイングランドに渡ってきました。

 実はこのときに、スペインやポルトガルでのキリスト教の異端審問から逃れるために、セファルディム(スファラディ)系のユダヤ人も渡ってきていたと『バーナード・マドフ事件』に書かれています。

ディアスポラ(ユダヤ人社会)の分類

アシュケナジム(アシュケナージ、Ashkenazim [ˌaʃkəˈnazim], אשכנזים) ドイツ語圏や東欧諸国などに定住した人々およびその子孫。アシュケナージは、ヘブライ語でドイツ。イェッケ (Jecke) は、ドイツ語を話すユダヤ人。
セファルディム(スファラディ、Sephardim, ספרדים) アシュケナジム以外のユダヤ人の総称。基本的にアラブ・アフリカ・アジアに住んでいたユダヤ人の子孫。主にスペイン語等を話す。
ミズラヒム(Mizrachim, ‎) 主に中東・コーカサスより東に住むユダヤ人。伝統的なアラブ世界やイスラム教が多数派の社会のユダヤ人。


 15世紀末にスペインのフェルナンド2世が、コンベルソ(カトリックに改宗したユダヤ教徒)が起こした民衆暴動を抑え、多民族国家であるスペインのカトリック的統一を目的にローマ教皇に特別な許可を願ってスペイン異端審問が設置されました。
 ポルトガル異端審問は、ジョン3世の要請により、1536年にポルトガルで正式に設立されました。

 1654年、ブラジルからのセファルディ系ユダヤ人難民23人を乗せた船が、当時のニューアムステルダム(現在のニューヨーク)に向けて出航しました。
 このユダヤ人難民はオランダの植民地であるニューアムステルダム(現在のニューヨーク)に定住しました。これが、北米におけるユダヤ人コミュニティの最初の事例です。

 1776年のアメリカ独立革命の年に、アメリカには1万人のユダヤ人がいました。
 その後、ドイツとオーストリアからの移民ブームが起こりました。

 ドイツ系のユダヤ人はイェッケと呼ばれました。かつてアメリカのニューヨークに本社を置いていた大手投資銀行グループのリーマン・ブラザーズも、創業者はイェッケです。
 
 1870年から1924年に、東欧系ユダヤ人が渡ってきました。その中には、旧ロシア帝国出身のユダヤ人も含まれていました。ロシアの多くの地域から締め出され、現在のウクライナ、ベラルーシ、リトアニア、ラトビア、モルドバ、ポーランドの大部分を含むロシア支配の「入植地」で暮らすよう制限する法律から逃れてきた人々です。

 1920年代、アメリカ社会の中心階層となった人々をワスプ (WASP) といいます。 ワスプはホワイト・アングロ・サクソン・プロテスタントの略称で、中・上層階級を形成しています。
 ワスプの先祖は、イギリスやオランダからの移民ですが、彼らはユダヤ人を差別していました。金融業などで成功していたイェッケも、ユダヤ人として差別の対象です。

 そんなイェッケは、東欧系ユダヤ人を見下していました。東欧系ユダヤ人は貧しい地域(シュテッテル)の出身で、なまりのひどい英語を話し、粗野でマナーも知りません。そのため、イェッケは東欧系ユダヤ人を「オストジューデン」「カイク」などと呼んで蔑んだのです。

 アメリカのユダヤ人社会では、地位を築き上げてきたイェッケが、新参の東欧系ユダヤ人によって、「これだからユダヤ人は……」などと十把一絡にワスプからくくられ、差別を受けたくなかったために、イェッケが東欧系ユダヤ人を差別するという構造になっていたようです。
 ただ、ワスプについてもイギリスの貴族の生活様式をマネしていたとのこと。
 そんなワスプにイェッケが憧れ、イェッケでないユダヤ人はイェッケに憧れ……憧れと模倣の連鎖です。



 1933年に、ユダヤ人の人口が最も多かったのは、ポーランド、ソ連(1922ー1991年)、ハンガリー、ルーマニアを含む東欧でした。第二次世界大戦(1939年9月1日 – 1945年9月2日)が始まる前、ポーランドには300万人のユダヤ人が住み、人口の13.5%を占めていました。
 東欧に住むユダヤ人の大部分が、ドイツ語とヘブライ語の要素を混ぜ合わせたイディッシュ語という独自の言語を話し、イディッシュ語の本を読み、イディッシュ語の劇場や映画館に足を運んでいました。東欧のユダヤ人は、多数派の文化の中で少数派として独特の生活を営んでいました。

 1933年にはドイツでナチスが政権を取ったたため、アメリカへのユダヤ人の流入が続きました。第2次世界大戦後には、ホロコーストの生存者による移民の波が続きます。

 バーナード・マドフの祖父母は、1938年に東欧からアメリカへと移り住みました。東欧系ユダヤ人が住んだのが、ニューヨークのローワー・イーストサイドです。ここにはユダヤ人ギャングが勢力を拡大していました。
ユダヤ人ギャングを描いた「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」


 バーナード・マドフは、少年時代をローワー・イーストサイドで過ごしました。1950年代に、ニューヨーク郊外のローレルトンという中流階級が住む地域に引っ越しました。高校時代に、バーナード・マドフはスプリンクラーを売り歩いたとのこと。高校生ながらに何千ドルも稼いだようです。バーナード・マドフの父親については、税金の滞納など、社会性には欠けていました。
 高校卒業後、アラバマ大学に進学した者の、ホフストラ大学に転学。当時のホフストラ大学は平均レベルの大学だったとのこと。在学中に、ルースと結婚。
 1960年にホフストラ大学を卒業し、ブルックリン法科大学院に進学。
 バーナード・マドフは、大学院に通いながら株式取引の仕事をクイーンズ地区で始めていました。大学院は、1年目で退学。

 ライフガードやスプリンクラー販売でためた5000ドルを運用して、増やしたのだと、顧客には説明していました。

 金融の中心地であるウォール街は、ワスプとイェッケで占められて、排他的でした。そして、当時、ウォール街のエリートは株式の相対取引を取り扱っていませんでした。
 バーナード・マドフは株式の相対取引の仲介業者として、妻と一緒に仕事をしました。1960年にペニー証券会社を設立し、それがやがてマドフ証券、バーナード・L・マドフ・インベストメント・セキュリティーズ(Bernard L. Madoff Investment Securities、BMIS)に発展します。

 バーナード・マドフは株取引ビジネスのほかに、投資顧問としての活動も行っていました。義理の父で公認会計士のサウル・アルパーンが「バーナード・マドフなら、年率20%の利益を出せる」と親戚や友人などに請け合ったこともあり、顧客が増えて、マドフ投資の会ができました。
 バーナード・L・マドフ・インベストメント・セキュリティーズには、証券取引業務を行うマドフ証券と、投資顧問業を行うマドフ投資の会がありました。マドフ証券が光としたら、マドフ投資の会は影です。

 フィーダーファンド(Feeder Fund)は、ほかの投資ファンドに資金を投じる投資ファンドです。マドフ投資の会には、さまざまなフィーダーファンドがありました。マドフ投資の会は、投資家と直接接点を持たず、フィーダーファンドを経由して資金を集めていました。
 フィーダーファンドは、投資家からの資金を集め、運用報酬を得ていました。
 フィーダーファンドを通じて集めた資金を使って、バーナード・L・マドフ・インベストメント・セキュリティーズは関連会社のブローカー・ディーラーで一任売買を行い、この売買手数料を報酬として受け取っていました。

 話を戻すと、バーナード・マドフのルーツは東欧からの移民であるユダヤ人で、ユダヤ人として差別を受けるだけでなく、ユダヤ人同士でも差別を受けていました。
 女流作家のデイフーン・マーキンは次のように書いています。
 マドフがユダヤ人のエリートたちを騙したのは、彼の中の憤怒、対抗意識、優越感が混在していたからだ。マドフが詐欺の対象にしたのはユダヤ人のセレブたちだった。
■参考資料

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