リアル陰陽師を調べようとしたら、3000年前までさかのぼっちゃった&最も活動的だったのは江戸時代だった問題

 「“ラスト陰陽師”が脱税行為を告発された? っていうか、“ラスト陰陽師”って何??」で紹介した“ラスト陰陽師”は、占い、除霊、占い商材販売、YouTubeなどを行っていたようです。

 では、リアル陰陽師って何なのでしょうか?

 調べてみると、古代中国の殷の時代までさかのぼることになってしまいました。
1190年頃に中国の宋代で作成されたとされる「黄裳天文図」(京都府城陽市サイトより抜粋)



 古代の中国では、最高神の天帝 (てんてい)の意志に従って政治を行うことが重要視されたようです。
殷代の甲骨資料では天帝が雨神や風神に”令”して雨を降らせ風を吹かせるかどうかが占われており、そうした考え方を基礎に、其の政治的な側面を強調して、西周時代に確立したのが天命の観念であった。
『岩波哲学・思想事典』

 天帝の意志は、天体現象に示されると考えられていました。そのため、太陽や月、その他の惑星を観察して、その動きをもとに政治的な判断が行われていました。天体の動きを記した「暦法」は、天帝への強い信仰、そして政治と結びついていたのです。

 暦法の改正は国家の重要問題です。同時に、暦法が王朝の象徴と見なされることもありました。

 中国の暦法は、黄河流域で紀元前17世紀頃に始まった最古の王朝である殷の時代に、既に存在していました。
 殷の都だった安陽から、甲骨文が刻まれた動物の骨やカメの甲羅が発掘されました。その研究で、紀元前1300年から太陰太陽暦が使用されていたことがわかっています。
甲骨文字(Wikipediaより)


 中国の王朝は、殷・周・春秋・戦国・秦・前漢と変わっていきます。

 前漢の第7代皇帝である武帝の元光元年、紀元前134年の暦が載っているのが、竹簡暦書です。竹簡暦書には「十二直」による暦注(日時の吉凶・禁忌など)が記載されていました。
 十二直とは、たつ(建)、のぞく(除)、みつ(満)、たいら(平)、さだん(定)、とる(執)、やぶる(破)、あやふ(危)、なる(成)、おさん(納/収)、ひらく(開)、とづ(閉)です。国立天文台のサイトに、十二支との対応についての詳しい説明があります。

 暦とは関係ありませんが、紀元前139年に、武帝は張騫 (ちょうけん)を大月氏(アーリア系)に派遣しました。匈奴(諸説あるがテュルク系が有力)を挟撃することが目的です。
 これがきっかけで、長安(現在の西安)から西アジアやインドに達する交易路が開け、学問、芸術、宗教などが東西に伝播しました。 この交易路は、中国特産の絹がローマ帝国にまで運ばれたことから、後に「シルクロード」と呼ばれます。

 同じく武帝の太初元年、つまり紀元前104年に太初(たいしょ)暦が施行されたようです。この暦は、月の満ち欠けで1カ月を定め、1年は29.5日×12=354日で、3年に1回の1カ月をうるう月にする太陰太陽暦だったとのこと。

 後漢(25~220年)に編纂されたとされる『周髀算経(しゅうひさんけい)』には、日時計(「髀」「表」)の使い方なども書かれていたのだとか。

 中国の暦法が日本に伝えられたのは、6世紀と考えられています。553年に、朝鮮半島の王朝である百済に暦博士や暦本を送るように要請して、翌年2月に暦博士たちがやって来たと、『日本書紀』には記述があります。
 当時の暦は、元嘉(げんか)暦と推測されています。元嘉暦は、中国の南北朝時代(420~589年)の南朝である宋で、445年から65年にわたって使われていたとのこと。
 690年に元嘉暦と儀鳳(ぎほう)暦の2つが採用され、697年には儀鳳暦に絞られたとのこと。儀鳳暦は、中国の王朝の唐(618~907年)での麟徳(りんとく)暦で、「定朔(ていさく)」を採用していました。

〇定朔:太陽や月の運動の遅速を計算し、朔(新月)の時刻を実際に近づける補正を行うもので、儀鳳暦以後の暦法はすべて定朔を採用
〇平朔:毎月の朔日を決めるのに平均朔望月を順次加える暦法で、元嘉暦はこちらを採用
朔・弦・望(国立天文台サイトより)



 奈良時代中期には、暦を作るなどの役所「陰陽寮」ができました。成立時期ははっきりしませんが、古い資料だと675年に陰陽寮という名前が出てくるとのこと。陰陽寮のトップが陰陽頭で、その下に、陰陽師、陰陽博士、陰陽生、暦博士、暦生、天文博士、天文生、漏刻博士、守辰丁などが置かれました。

 以上のことから、陰陽師は奈良時代中期に誕生したと考えられます。

 唐では宣明(せんみょう)暦が822年に作られ、日本でも862年から使われたとのこと。宣明暦は徳川幕府の5代将軍の頃まで、823年にわたって使われてきました。
 ですから、平安時代の陰陽師である安倍晴明(921-1005年)は、宣明暦を使っていたのでしょうか。

 安倍晴明の師とされる賀茂保憲(917-977年)が暦道を賀茂光栄に、天文道を安倍晴明に伝えたことで、陰陽道に2つの派閥ができた模様。

 江戸時代に学問が盛んになって、日本にも天文暦学者が現れたとのこと。中国の王朝の元(1271~1368年)の授時(じゅじ)暦が研究されて、清代初期の1675年に成立した『天経或問(てんけいわくもん)』という本も入ってきました。

 そして渋川春海(1639-1715年、別名「安井算哲」)が、日本初の暦、貞享(じようきよう)暦を作り、幕府初の天文方になりました。ストーリーは時代小説『天地明察』(著/冲方 丁 角川書店)で描かれています。
 この「貞享の改暦」を経て、天文方を中心とした編暦体制が確立します。天文方が暦を編纂して、賀茂家(幸徳井家)が暦注をつけ、天文方が確認するというような流れができたようです。
 安倍家(土御門家)には全国の陰陽師を統括する権利を与えられ、朝廷側の公卿である陰陽頭の土御門泰福を尊重したのだそうです。
 なお、日本の歴史の中で、陰陽師が最も活動的だったのは江戸時代でした。各地に陰陽師がいて、人数も多かったのでしょうね。

 陰陽師と暦の資料館である暦会館のX(旧Twitter)で「悪夢を祓う蒙符護符」が紹介されていました。
悪夢を祓う蒙符護符(暦会館のXより)

 『福壽大雑書三世相』とは、江戸時代後期に当たる17世紀の初め頃にできた本のようで、暦や占いをはじめとする日用知識がまとめられました。1840(天保11)年に復刻されたようです。
 護符に描かれているのが、なんだか象形文字のように見えなくもありません。
インダス文字(Wikipediaより)

トンパ文字(『アジアの古代文字の解読』

金文(東京大学総合研究博物館より)




 しかし1870(明治3)年に「天社神道廃止令」に発布され、陰陽寮が廃止されるとともに、陰陽師たちはその身分と権利を失いました。
 天文学・暦学は、大学校(東京帝国大学の前身)下の天文暦道局が管轄することになりました。

 1942(昭和17)年、藤田義男さんが復興を目指し、京都市で「土御門神道同門会」を結成。安倍家の知行地だった名田庄(なたしょう)(おおい町)に本庁を移転。藤田義男さんの息子である義仁さんが、現在の天社土御門神道(てんしゃつちみかどしんとう)の庁長です。
 土御門家は、土御門神道同門会の継承の意思を示さず、義仁さんの息子も愛知県で生活しているために、一時は後継者問題に悩まされていたと、2020年2月29日付東京新聞で報じられていました。
 平安時代の陰陽師(おんみょうじ)・安倍晴明(あべのせいめい)を祖とし、1000年以上の歴史を誇る陰陽道(おんみょうどう)「天社土御門神道(てんしゃつちみかどしんとう)」(本庁・福井県おおい町)が存続の危機にひんしている。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/17679

 ただ、状況は変わってきていると、Wikipediaには書かれていました。
土御門神道の”今後の運営”についても、以前のような絶望的状況は脱しつつあり、上記の支援・協力を受けて新しい展開を迎えている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%A4%BE%E5%9C%9F%E5%BE%A1%E9%96%80%E7%A5%9E%E9%81%93

 ネットニュースでは、冒頭で紹介したほかにも陰陽師が話題になりました。
社長から「メンタルが落ちているのは呪われているのだろう。知り合いに陰陽師がいるから、おはらいをしてもらった方がいい」と言われた
無理やり陰陽師を紹介され、実際におはらいを受けたAさん。その後も過酷な状況が続いたため、再度「退職したい」と社長に伝えた。だが、「もし退職するなら陰陽師代120万円を払わないと辞められない」と、拒否されたという。

 仕事で酷使したため、過労で体調を崩した社員に「呪われている」とのたまう社長。また陰陽師に120万円も払っちゃった社長。
 陰陽師の歴史について知っていたら、こんなゴタゴタは起こらなかっただろうと思った次第です。

■参考資料
暦Wiki
https://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/wiki/BDBDC6F3C4BE.html
https://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/wiki/CEF2BBCB2FC6FCCBDCA4CECEF12F1.CEF1A4CEC5C1CDE8A4ABA4E9C0EBCCC0CEF1A4DEA4C7.html
コトバンク 暦
https://kotobank.jp/word/%E6%9A%A6-66418
【日本書紀】知ってた?「立春」「春分」などは「24節気」の1つ!
https://renaissance-media.jp/articles/-/13627?page=1
東京新聞 晴明直系 陰陽道 途絶の危機 平安から1000年後継なく
https://www.tokyo-np.co.jp/article/17679
陰陽道宗家土御門文書編纂所
https://onmyodo.jp/about/
おおい町暦会館
https://ooi-koyomi.info/
国立天文台 暦と陰陽師
https://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/exhibition/044/ 
大雑書考
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