『宗教の起源』ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード その7(ラスト) 個人の幸福と健康を増進して、絆を感じさせる宗教ってそもそも何?
「宗教」と検索ボックスに入力すると、「怖い」「事件」などがアンド検索の候補として出てきます。
今の日本で「宗教かよ!」というワードは、「ヤバイ」「怪しい」「洗脳」といった意味を持っています。まあ、悪い意味でしか使いませんよね。
「学術用語としての宗教の定義は学者の数だけあるといわれ、統一した見解があるわけではない」と、『知恵蔵』には書かれています。
そんな「宗教」という言葉は、religionを翻訳した言葉で、明治初期に成立したそうです。明治政府といえば、神道国教化政策を推進していましたね。
religionの起源は、ラテン語の relegere (再読する) やreligare (つなぐ)、religio(つながり)とのこと。
『宗教の起源』(著/ロビン・ダンバー 白揚社)では、宗教を以下のように説明していました。
ここでいう宗教とは、私たち人間を見守ってくれている高みの霊的世界を信じることを指し、私たちもある程度その利益にかなう行動をとらねばならない。
p2
宗教は、突きつめれば知性ではなく感情の現象
p262
主要な宗教は例外なく、神秘体験が重要な構成要素になっている。(中略)もちろん誰もが同じ感覚を経験するわけでなく、その意味では恋に似ているかもしれない。
p47
私たちはこうした迷信を本気で信じているわけではないが、万が一本当だった場合に備えて、完全にやめるつもりもない。星占いに頼る人が多いのもうなずける。
p29
そして宗教の"効用"については、以下の説明がありました。
私たちが宗教を信じるかどうかはともかく、宗教が共同体意識を醸成するのに重要な役割を果たしてきたことはまちがいない。信仰に積極的な人は満足感と幸福感が強く、健康であることも事実だ。宗教に所属することで共同体の一員という感覚が得られ、困難に直面した際に、それが心の支えになるのだろう。同じ村の仲間ということだ。この帰属意識があるからこそ、膨大な数の人が巨大な世界宗教に参加するのだ。いま出あったばかりで名前も知らないけれど、同じ宗教を信じているのだから、あなたは私の兄弟姉妹。同じ教えを信じ、同じ聖典の文句を知っていて、儀式や祈祷でどうふるまえばいいかわかっている。その知識は、あなたが何者かを伝える合図にもなる。同じ村の人間であることを示せば、信頼してもらえるというわけだ。困っているときにも助けてもらえるだろう。実際、世界宗教の多くは、貧しき者に心を寄せて施しを行ない、身近な社会の役に立つ善行を積むように説いている。
p6
宗教を通じて世界を理解することで、その不安定さを制御でき、私たちはうまく暮らしていくことができる。
p73
宗教を信仰する人は幸福で、人生に満足していることがわかっている。
p76
宗教に積極的な人(ただ礼拝に顔を出す程度ではなく)ほど、多くの人とのつながりを感じ、自分を支えてくれると思えるようだ。その結果、幸福感が増して人生への満足度も高くなる。(中略)支配層の介入とは無関係に、宗教に積極的に関われば幸福感が高まるし、生活のなかで経済的、社会的な浮き沈みがあっても支援が得られる。
p93
ともかく宗教に関連して得られる利益は、個人にも共同体にもあるようだ。それらの利益がジグソーパズルのように組みあわさり、相互に作用して、それぞれの影響を強めたり、弱めたりする。
p97
宗教の"効用"をまとめておきましょう。
〇幸福で、人生に満足できる
〇健康
〇共同体の一員という感覚(帰属意識)が得られる
〇多くの人とのつながりが感じられる
〇信頼が得られやすく、いざというときに助けてもらえる可能性が高い
〇団結を強まる
〇うまく暮らしていける
ある地域で人口密度が高まって、社会が複雑になり、トラブルが増えると、その解決策として宗教も発展していきました。
1500~3000年前、北半球の亜熱帯地方で、キリスト教や仏教など現代の世界宗教が出現したのですが、理由は人口増加でした。当時のその地域は、感染症が蔓延せず、食料も必要な分だけは困らずに得られるという状況にあったようです。
正しい因果関係は、社会が複雑になった結果、安定を得るために、高みから道徳を説く神の信仰を進化させたのであり、高みから道徳を説く神の信仰が、ある種の必然の結果として、社会を複雑に進化させたわけではない。実生活と同じく、進化においても解決策は問題のあとにやってくる。問題になりそうなことを先どりはしないのだ。
p215
現代の世界宗教──仏教、神道、ヒンドゥー教、キリスト教、ゾロアスター教──が、特定の時期(一五〇〇~三〇〇〇年前、枢軸時代とも)に、非常に限られた範囲(北半球の亜熱帯地方)で集中して出現したのはなぜか。
p6
病気の負荷が大きくなるにつれて、(中略)よそ者との交流を最小限に減らして、社会生活を部族を中心とした小さな共同体に限定するのだ。熱帯地方には、それでもやっていける条件が整っている。(中略)年に何回も収穫があるので、よその集団と交易しなくても自給自足できる。交易には共通の言語が必要なので、交易がさかんかどうかは言語ごとの話者数を見ればわかる。(中略)高緯度地方のように栽培期間が短いところは、広く話される言語がわずかしかない(すなわち非常に広範囲で同じ言語を使っている)。しかし赤道に近づき栽培期間が長くなるにつれて、言語の数が増える。狭い地域でわずかな人しか使わない言葉ばかりになるのだ。
p222
高緯度地方も極地附近になると、自然条件が厳しすぎて歴史的に見てもこれまで狩猟採取経済しか成立せず、人口密度はつねに低かった。熱帯、それも赤道に近いところでは、人口を制約するのは食料ではなく病気だ。感染症の負荷と、それを軽減するための社会的な分断が合わさって、人口密度が抑制されてきた。この両極端のあいだのどこかに、望ましい均衡状態が存在するはずだ。(中略)栽培期間が充分に長く、感染症の負荷が小さい──人口急増の条件が完璧に整っていた。
p226
私たち人類の祖先は、さらに大きな社会集団をめざした。そのために必要だった新たな結束強化の手段が、歌や踊りや宴会であり、言語ができてからは宗教も加わった。ただ、それではせいぜい一〇〇~二〇〇人のまとまりのゆるい共同体しかつくれない。この壁を越えて共同体の規模を大きくするには、社会の構造化と、組織的で形式の確立した宗教の導入が不可欠だ。つまり教義宗教は、おたがいが顔を突きあわせる小さな社会を脱却して、私たちがいま暮らしているような巨大国家を実現する最終段階だったのである。
p229
世界の人間が増えていき、できるだけトラブルを回避しながら現代の巨大国家を作る過程で、教義宗教は生まれ、現在も残っているということです。
日本人は無宗教といわれますが、地域のあちこちに大小の神社があり、冠婚葬祭の場は基本的に神社やチャペル、寺ですよね。
どんな社会にも、なんらかの宗教が存在する。これは普遍的な真実だ。
p2
ただ教義宗教にはカルトやセクトが出現して、分裂します。
その理由として、ダンバー数が浮かび上がってきます。1人の人間が親密な関係を築けるのは150人程度。人間の脳のレベルではこのくらいの集団が居心地がよいわけで、大人数はストレスなのです。
カリスマ指導者の魅力がカルト形成に大きな役割を果たすということだ。教祖と弟子の関係は非常に個人的なものとなる。次に、教義宗教でも啓示宗教でも、カルトの形成をつうじて組織が分裂する危険をつねに抱えている。どちらもヒトの心が本来はごく小さな社会しか扱えないことに起因するようだ。
p261
緻密に築かれた神学という殿堂にも、その土台を掘れば遠い過去に祖先が進行したシャーマニズム宗教が埋まっているということだ。この古い信仰形式は、私たちに宗教心をもたらす心理的基盤の中心的な役割を果たす。なぜなら宗教は、突きつめれば知性ではなく感情の現象だからだ。教義宗教では草の根からたえずカルトやセクトが出現するが、それはなぜなのかという疑問もここから説明できるはずだ。
p262
カリスマ指導者の地位はとりわけ親密な人間関係の影響を受けやすく、良くも悪くもすぐに性的関係へと流れてしまう。(中略)よく考えてみれば、セックスが宗教に入りこんでいても驚く必要はないのかもしれない。
p258
私たちにとってほんとうに意味があるのはこのひと握りの人間関係で、そこでは社会集団が効果的に機能するために必要な信頼と責務を実感し、参加意識を持てるのだ。そんな小さな集団は居心地がいいし、そこから多くのものを得ることができる。
p261
『クラナリ』では以前にインドのヒンドゥー至上主義を紹介しましたが、宗教間で弾圧などが生じやるいものです。
一つはエンドルフィンなども絡む「知性ではなく感情の現象」であること。「恋に似ている」のであれば、なかなか厄介。
それから、そもそも侵略の脅威を避けるために人口を増やしてきた共同体と、宗教の発展は関係しているため、敵味方(「私たちVS.あの人たち」)で対決(対立)させる構造を宗教は含んでいるのかもしれません。「慈悲」「汝の隣人を愛せよ」などの教えはさておき。
宗教は小さな共同体を取りこむ形で進化してきたので、友情の七つの柱から派生した「私たちVS.あの人たち」というヒトの自然な心理を巧みに利用する。(中略)どれだけ個人レベルで恩恵をもたらそうと、宗教は異教の信者に対する集団的暴力性を呼びおこし、その力はほかの世俗の思想をはるかに凌ぐ。
p283
最近までの日本のように富の格差が小さい状況では、宗教への関心も低かったわけですが、少子高齢化が進むこれからはどうなるのでしょうか?
経済は停滞し、所得格差は緩やかに広がっていくと考えられます。
富の格差が大きくなると、宗教の出番となるのでしょうか? あるいは、宗教に変わる何かが現れるのでしょうか?
経済状態が良好で、富の格差が小さいと、宗教への関心が低下することはすでに指摘されている。貧困と抑圧の苦しみから逃れるのに、宗教に癒やしを求める必要がないからだ。
p283
世俗宗教、つまり人智を超えた世界を信じなくても同じように高揚させてくれる代替宗教は、可能だろうか?
p285
ロビン・ダンバーは次のように締めくくっていました。
要するに、人間の営みにおいて宗教に取ってかわる何かが存在すると証明するのは、難しいということだ。宗教は人間に深く根ざした特性である。中身は時代とともに変わるだろうが、良くも悪くも私たちは離れることはけっしてないのである。
p286
---
『宗教の起源』では、冒頭で宗教の"効用"がズラリと紹介されていました。その部分だけを読んだときに、『クラナリ』編集人は違和感を覚えたのです。
全然、違うんだけど……
自分が知るかぎりでは、信仰に積極的な人は、周りを勧誘しようと執心し過ぎて、満たされている感じはまったくしませんでした。
よって幸福そうにも見えません。
だいたい、心身がちょっと病んだときに勧誘しようとしてくるので、健康的でもないわけです。
信仰の集団内部のことは知りませんが、外部の人間は、彼らを信頼しません。
あくまでも個人的な体験ですが、職場のパワハラに近い形で宗教の勧誘を受けた経験があるので、心底、言動を疑っています。
さらに、あくまで自分の周囲の印象ですが、だいたい、同じような態度を信仰に積極的な人に対しては取っていました。
宗教を持つというのは、マイナスなんじゃないのかな。
そんな宗教はなぜ今も残ってきたのかな。
そんな思いを抱きつつ、本書を読み進めてきました。
結果としては、マイナスの面を強く感じてしまった「信仰に積極的な人」というのは、本書ではカルトやセクトと呼ばれているもので、現代の世界宗教の成り立ちとは分けて考えたほうがよさそうということでした(もちろん、元をたどれば一緒のものではありますが)。
本書の最後の「宗教は人間に深く根ざした特性である。中身は時代とともに変わるだろうが、良くも悪くも私たちは離れることはけっしてないのである」というロビン・ダンバーの言葉を自分なりに考えると、大きな社会の一員として生きていくのであれば、離れられない宗教というものについて、無駄に嫌悪感を抱かず、向き合っておく必要があるということ。
社会と宗教とは切っても切れない関係だからです。ここが大事なのですが、社会の存続よりも、社会の中で生きる個々人が生き延びる上での関係性です。言い換えると、ストレスの多い社会の中では、宗教を持つほうが自分の遺伝子を残せる可能性が高いということ。
なお、ロビン・ダンバーは日本の宗教事情にも詳しく、いわゆる新興宗教のさまざまな事例も本書では紹介されていました。
■参考資料
『神・儒・仏の時代』第八章宗教概念と日本
宗教学術用語としての宗教の定義は学者の数だけあるといわれ、統一した見解があるわけではない。事典類によると、神仏などの超自然的存在に対する信仰、教義、儀礼、組織などをもって宗教と定義している。しかし、宗教と呼ばれる現象が多様化し、しかも宗教と宗教でないものとの境界線があいまいになってきた現在、改めて定義し直す必要がある。最も包括的には「宗教とは、本来自明ではない超自然的な存在に関わる事柄を、自明なものに変換し、人々をそのように振る舞わせる社会的装置である」と定義できよう。神仏を始めとする超自然的存在は、本来自明(当たり前)ではない。しかし信者はそれを自明のものと考え、改めて疑うこともせず、また時として、その存在について問わないことを強いられる。さらに信者は日々の生活や儀礼を通して、超自然的存在が自明のものであるかのように振る舞う。このように、人々の信念や振る舞いを方向づけるものとして、人間が作った仕組みが宗教である。(岩井洋 関西国際大学教授 / 2007年)
『知恵蔵』
しゅうきょうreligionラテン語の relegere (再読する) ,または religare (つなぐ) に由来するとされている。日本語の「宗教」は古くから漢訳仏典にあったものを,明治に religionの公式訳語として採用して以来広まったもの。一般的にいえば,宗教とは,人と自分の神聖とみなすものとの関係をさし,神 godはその人格的または超人間的な象徴にすぎない。
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
宗教【しゅうきょう】一般に宗教とは,超自然的な力や存在に対する信仰と,それに伴う儀礼や制度をいう。英語religionなどの語源はラテン語religioで,〈神への崇敬・畏怖〉が原義であり,religare(強く結びつける)に由来すると考えられる。宗教は,神霊などの崇拝対象と人間の宗教体験から,また個人的・心理的側面と集団的・社会的側面からみることができる
株式会社平凡社百科事典マイペディア

Leave a Comment