超文系人間がちょっと細かく調べてみた その8 体液の捉え方の変遷
「医学の父」と呼ばれるヒポクラテス(紀元前460 - 前370年)などのギリシャ医学を集大成したのは、ローマ時代のギリシャの医師であるガレノス(129 - 218年)です。医学の基礎として解剖学を重視し、サルやブタ、イヌを解剖して研究をしました。
ヒポクラテスは、血液、黄胆汁、黒胆汁、粘液という4つの体液のバランスが乱れて病気が起こると考えました。この「四体液説」に基づいて、血液を抜く「瀉血」という治療法が行われていました。余った血液を体外に排出することで、体液のバランスが改善するという考え方です。
そんな瀉血をガレノスは治療法としてかなり重視し、加えて薬草治療や下剤、手術など、数々の治療法をまとめ上げました。
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| 中世ヨーロッパでの瀉血の様子(Wikipediaより) |
ガレノスの学説がヨーロッパでは長く信じられていて、血液循環には次の2つの系統があるとされていました。
〇通気系:空気由来の動脈血を全身に運ぶ血管系
〇栄養配分系:栄養を運ぶ血管系
肝臓でできた血液が体の隅々まで移動し、そこで消費(破壊)され、体内を循環するとは考えられていなかったのです。
1600年代初頭になると、ガレノスの学説を覆す発見が少しずつ現れます。
1622年には、イタリアの解剖学者のガスパロ・アセッリ(Gaspar Aselli)が乳糜管(にゅうびかん、小腸の絨毛にあって食物中の脂肪を吸収するリンパ管)を確認します。これが科学としては最初のリンパ管の発見とされています(ヒポクラテスの時代に、リンパ管の存在は知られていた)。
1628年、イギリスの解剖学者で医師のウイリアム・ハーベー(Willium Harvey)が『動物における血液と心臓の運動について』で、血液循環説(theory of the circulation of the blood)を唱えます。これは「血液は心臓から出て、動脈経由で体の各部を経て、静脈経由で再び心臓へ戻る」という説で、中国で考えられていた「血液は循環する」という考え方がアラビア医学を経て、ヨーロッパに伝わったものがベースになっています。
血液循環説は、ガレノスの学説をひっくり返す上で大きな役割を果たしました。
動脈と静脈の間にある毛細血管は、ハーベーは証明できませんでしたが、1661年にイタリアの医師のマルチェロ・マルピーギ(Marcello Malpighi)が顕微鏡で動脈と静脈を毛細血管がつないでいることを発見しました。
毛細血管が発見される3年前のことです。ゴシック建築で有名なだけでなく、マルチな才能を持つイギリスの建築家・天文学者のクリストファー・レン(Christopher Wren)が、1658年にガチョウの羽軸とブタの膀胱を用いて、イヌの静脈内に溶液を投与しました。これが注射の始まりとされています。また、人間の脳をスケッチしたり、犬同士で輸血を行う装置を発明して実演を行ったりもしたとのこと。
そして輸血の始まりが、1667年、フランスの医師のジャン=バティスト・デニ (JB. Denis) による、貧血と高熱の患者への子羊の血液の投与です。この輸血で患者は顕著な回復を見せたため、その後もデニは子羊の輸血を行いました。 しかし、4人目の患者が激烈な副作用で死亡し、以後輸血は禁止されました。
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| 『輸血医ドニの人体実験』 |
1832年には、イギリスの医師であるトーマス・ラッタ(Thomas Latta)が、塩化ナトリウム0.5%と重曹0.2%の混合溶液の点滴を、コレラの治療に使いました。これが電解質輸液の始まりです。
electrolyte(電解質)については、イギリスの化学者・物理学者であるマイケル・ファラデーによる命名で、電気分解の法則の発表は1833~1834年です。そのため、ラッタは「電解質」ということは意識せずに、塩化ナトリウムと重曹の混合溶液を使ったのだと考えられます。
1882年、イギリスの薬理学者・医師のシドニー・リンガー(Ringer)が、最初の生理食塩水であるリンガー液(リンゲル液)を開発します。
そして、イギリスの生理学者のアーネスト・ヘンリー・スターリング(Ernest H. スターリング)の登場です。
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| アーネスト・ヘンリー・スターリング(Wikipediaより) |
スターリングは次の発見をしました。
1 スターリングの法則
1896年に提唱されたスターリングの法則は、毛細血管と間質での体液の移動に関するもので、毛細血管内外の静水圧と浸透圧の差が体液の移動量を決定する要因であると述べました。
静水圧とは、静止している流体(液体と気体)に作用する圧力を指し、次のような特徴があります。
〇全方向から同じ圧力がかかる
〇深さ・密度・重力加速度の積に等しい
〇方向を持たないスカラーである
※スカラー量:一つの量だけで示すことができる量 (例)長さ、速さ、温度、エネルギー
※ベクトル量:「大きさと向き」など複数の属性(要素)を一度に示し、必ず向きを伴う (例)位置、速度、力
スターリングの時代には、「皮下や腹腔内に輸液を投与したとしても、血管内に吸収される」という現象の解明が課題でした。
当初、「輸液はリンパ系から吸収されて胸管(胸の中央を通る、人体最大のリンパ管)を通じて血管内に戻る」という説が唱えられていました。
スターリングが行ったのは、イヌの後肢に血液を灌流させる実験です。右脚は結合組織中に生理食塩水を注入した上で灌流し、左脚は対照群としてそのまま灌流を行しました。結果、右脚を灌流した血液のほうが血液量の増加してヘモグロビンが薄まり、輸液は直接血管壁を通過することが明らかとなりました。
その後、スターリングは半透膜として腹膜を用いた実験も行い、晶質浸透圧と膠質浸透圧についての洞察を深めました。
古典的スターリングの法則
Jv/A = Lp{(Pc – Pi) – δ(Πc – Πi)}
Jv:濾過流束 ※正味の体液の移動
A:毛細血管濾過面積
Lp:毛細血管の透過性係数
δ:毛細血管の反発係数(0~1)
Pc:毛細血管の静水圧 ※心臓からの血液の駆出により生じる圧、水を毛細血管外へ移動させる力
Pi:間質の静水圧 ※水を毛細血管内に移動させる力
Πc:毛細血管内の膠質浸透圧 ※多くがアルブミンによる膠質浸透圧、水を毛細血管内に移動させる力
Πi:間質液の膠質浸透圧 ※多くがアルブミンによる膠質浸透圧、水を毛細血管外へ移動させる力
Pcは心臓からの血液の駆出により生じる圧である.Πc,Πiは多くがアルブミンによる膠質浸透圧である.Pc,Πiは水を毛細血管外へ移動させる力,Pi,Πcは水を毛細血管内に移動させる力となる.
2 セクレチンというホルモン
1902年、ウィリアム・ベイリス(William Maddock Bayliss)とともに、ホルモンであるセクレチンを発見。1905年の講演で、初めて「ホルモン」という言葉を導入しました。
3 フランク・スターリングの心臓の法則
オットー・フランク(Otto Frank)の研究をもとに、ポンプとしての心臓の働きを分析し、「心筋の収縮エネルギー(仕事)は心筋線維の初期長に比例する」という法則を見出しました。そして微小循環の分野でも成果を残しています。
また、腎臓の働きを研究し、抗利尿ホルモンであるバソプレシンの存在を証明しました。
■主な参考資料
ロンドン復興に生涯を捧げた、超人クリストファー・レン
Latta: “A Physician Worth His Salt”—An Eclectic View of Thomas Aitchison Latta’s True Contribution to Modern Medicine
1 西洋の体液病理学
Wikipedia




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