ミネラル・ 電解質・ イオン問題再び ファラデーはどうしてこのように命名したんだろうか?
イギリスの化学者・物理学者であるマイケル・ファラデー(Michael Faraday、1791-1867年)の主な功績は、以下のとおりです。
1823年 塩素ガスの液化
1825年 ベンゼンの発見
1831年 電磁誘導の法則の発見
1833年 白金族の触媒作用の発見
1833~1834年 電気分解の法則の発表
1836 年 ファラデーケージ(導体でできた器やかごのことで、外部の電界を遮蔽する働きがあるもの)の発明
1845 年 反磁性(近づけた磁石の磁界と反対の向きに磁化が起きる現象)の発見(反磁性体には水・グラファイト・ビスマスなどがある)
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| 1855年12月27日に講演中のファラデー(Wikipediaより) |
electrolyte(電解質)やion(イオン)と命名したのも、ファラデーとされています。
どういった経緯で命名したのかを調べたところ、「ファラデーの電気分解の法則—原論文を読み解く—(後編)」がヒットしました。一部を引用します。ただし改行と太字は、『クラナリ』編集人によるものです。
彼は,電気分解は pole(極)に物質が引き付けられることによるという引力説に反論し,「決定力は pole のところにあるのではなく,分解する物体内部にある」と述べた.このことについてはシリーズ [5] の論文で論考していて,強いこだわりがあった.pole と称するものは電流の出入り口であり,仮説である引力説を想起させる pole は用語として不適切であるとみなした.そこで,それまで使われてきたpole のかわりに,分解する物質と接して電気の流れの方向に関与するものとして,electrode(電極)と名付けた.-ode はギリシャ語で道の意味であると注釈しているから,電気の道の起点の意味で命名した.電流の入口をanode(アノード),電流の出口を cathode(カソード)と呼んだ.ano は上方に,cath は下方に,の意味である.電気分解では,アノードを正極(陽極),カソードを負極(陰極)とした.アノードでは酸素,塩素,酸などが生成し,カソードでは可燃物,金属,アルカリ,塩基が生成すると説明した.彼は電池の場合については述べていないが,これで,電気分解,電池,どちらにおいてもアノードを酸化反応の起こる電極,カソードを還元反応の起こる電極と定義できた.いずれの電極を正とするか負にするかは人為的な約束事であり,科学現象に基づいてアノード,カソードを命名したのは彼の卓見である.なお,現在の電極電位の定義によれば,電池ではアノードが負極,カソードが正極になるが,当時は極性を逆に取り扱っていた.電気分解される媒体を electrolyte(電解質),また,analysis,analyze の類語として,electrolysis(電気分解),electrolyze(電解する)を用いた.anode(アノード) に 向 か う 物 体 を anion (アニオン, 陰 イオン),cathode(カソード)に向かう物体を cation(カチオン,陽イオン),それらを合わせて ion(イオン)と名付けた.ion はギリシャ語の語源では動くものの意味である.
electrolyteの語源は以下のとおりです。
electrolyte(n.)"電気分解によって分解される物質" 1834年、electro- とギリシャ語の lytos "解放された" から、PIE 語根の *leu- "緩める、分割する、切り離す" から派生した lyein "解き放つ、緩める、解く" に由来する。
electro-母音の前では electr-、電気に関するもの、または電気そのものを意味する語を形成する要素です。これは、ギリシャ語の ēlektro-(電気を意味する接頭辞)に由来し、それ自体は ēlektron「琥珀」(electric を参照)のラテン語形です。単独で使われることもあり、かつては electrotype(電気凸版)、electroplate(電気めっき)の略としてよく使われました。
ファラデーについては、『クラナリ』編集人については、「右ねじの法則」を中学理科で習ったなあという程度の知識でした。
ところが実際は、物理から化学まで数多くの業績を残していました。 ただ、ファラデーだけの力ではなく、それ以前の時代にさまざまな実験方法の発明や、物質の発見があった上での業績という印象です。
今回は、電解質・イオンに関係すると思われる、ファラデー以前の研究についてまとめました。
水上置換法。からの、さまざまな気体の発見
スティーヴン・ヘールズ(Stephen Hales)は、イギリスの学者で発明家です。植物やら血圧やら、さまざまな研究を行っていますが、本職は牧師とのこと。ちなみに、1706年にイヌ、1711年にウマの血圧を測定し、これが世界初の血圧測定とのこと。
1727年にヘールズは『植物静力学(Vegetable Staticks)』の中で気体を集める方法として水上置換法(Pneumatic trough)を発表しました。
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| 水上置換法(画像/Wikipedia すじにくシチュー) |
水上置換法を使って、スコットランドの物理学者・化学者であるジョセフ・ブラック(Joseph Black)は、二酸化炭素(ブラックの表現では「固定空気」)を発見しました。この研究が多くの学者に影響を与え、気体の発見が続きます。
ヘンリー・キャヴェンディッシュ(Henry Cavendish)という、風変わりでありながら膨大な功績を残したイギリスの化学者・物理学者がいました。
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| ジョージ・ウィルソンがスケッチしたキャヴェンディッシュ(Wikipediaより) |
キャヴェンディッシュは、金属片と硫酸や塩酸などを反応させることで水素(「燃える空気、inflammable air」)を発見しました。そして、1766年に「人工的空気に関する実験についての3つの論文(Three Papers, containing Experiments on Factitious Airs)」という初めての論文を出しました。その中で、水素(「燃える空気」)やブラックの発見した二酸化炭素(「固定空気」)を集め、燃焼性、水への溶解性、比重を測った結果、水素の比重は空気の11分の1、二酸化炭素の比重は空気の1.57倍であることを報告しました。
フランスの化学者で「近代化学の父」と呼ばれているアントワーヌ・ラヴォアジエ(Antoine-Laurent de Lavoisier)は、1777年に燃焼とは空気の一成分と物質の結合であることを発見し、空気が酸素と窒素で構成されていることを明らかにしました。
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| アントワーヌ・ラヴォアジエ(Wikipediaより) |
1781年に、キャヴェンディッシュの「燃える空気」を空気中で燃焼すれば水ができることから、「水をつくる」というギリシャ語にちなんで水素(Hydrogen)とラヴォアジエは名づけました。
1784年には、高温の炉中に少し傾けて通した銃身の中に水滴を少しずつ垂らし、残った気体を水上置換法で集めました。熱によって水が分解されて、酸素は銃身の鉄と結合し、水素が気体となって現れるというもの。この水の分解実験に成功。
1789年に発表した『化学原論(Traité élémentaire de chimie、英訳するとElements of Chemistry)』では、物質の究極的な構成要素を元素(élément)と名付け、水素、酸素、窒素など33種類の元素のリストを掲載したとのこと。
電池の発明。からの、電気分解による単離
1800年にイタリアの物理学者であるアレッサンドロ・ボルタ(Alessandro Volta)が電池を発明して間もなく、偶然、電気分解が発見されます。電気分解とは、外部から電気エネルギーを与えて、自然には起こらない反応を引き起こすものです。
イギリスの技師であるウィリアム・ニコルソン (William Nicholson) と医師のアンソニー・カーライル (Anthony Carlisle) は、ボルタの電池を作ろうとしていました。
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| Electrochemical contributions: William Nicholson (1753–1815)より |
針金と金属板との電気的接触をよくするために、接触点に水を垂らしたとき、針金の周囲に小さな泡が発生することに気づきました。
そこで、ボルタの電池の両端につないだ針金を水の中に浸してみました。すると、一方の針金から気泡が発生し、もう一方の針金は黒ずみました。
気泡の気体は水素で、針金が黒ずむのは酸素が発生したためとわかり、電流によって水が酸素と水素に分解されたのだと2人は結論を下しました。
水の電気分解に刺激されたのが、イギリスの化学者であるハンフリー・デービー(Humphry Davy)です。
電気分解で化合物が離れるのであれば、結合させている力も電気的であるとする「結合の電気化学的仮説」を、1806年に発表します。そして、身近な化合物の電気分解を行って、元素を発見しました。
18世紀になるまで、ナトリウムとカリウムは区別されていませんでしたが、デービーは1807年に水酸化カリウムの電気分解を行って、カリウムを得ることに成功しました。カリウムは電気分解で単離された、最初の金属です。同じ年に、デービーは溶融した水酸化ナトリウムを電気分解して、ナトリウムを単離させました。
また、スウェーデン出身の化学者、医師のイェンス・ヤコブ・ベルセリウス(Jöns Jacob Berzelius)は、石灰と水銀の混合物の電気分解からカルシウムのアマルガム(合金)を得ました。
手紙でこの連絡を受けたデービーは、1808年に水銀を使った電気分解を行い、カルシウム・ストロンチウム・ホウ素・バリウム・マグネシウムを発見しました。
デービーの研究を引き継いだのは、イギリスの化学者・物理学者であるマイケル・ファラデー(Michael Faraday)でした。
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| ジョン・フレデリック・ダニエル(左)とマイケル・ファラデー(右)(Linda Hall Libraryより) |
1833~1834年に発表された「電気分解の法則」の内容は以下のとおりです(なお、法則の文言は後世のものとのこと)。
第1法則:電極で反応したり生成したりする、イオンや物質の質量(物質量)は、流れた電気量に比例する
第2法則:同じ電気量によって反応したり生成したりするイオンの物質量は、そのイオンの価数に反比例する
電気分解の法則において、アノード (anode) は電流の向きの区別に用いられる用語で、対極はカソード(cathode)と呼ばれます。一般的に電位(電圧)の高低の違いを正極・負極というのに対し、アノード(電子を放出する反応が起こる)は陽極、カソード(電子を受け取る反応が起こる)は陰極と呼ばれます。
ファラデーは、水溶液中には陽極と陰極に向かって移動する物質があり、こうした物質が電流を運ぶと考えました。陰極へ移動するものを陽イオン(cation)、陽極へ移動するものを陰イオン(anion)としました。
また、電気分解(electrolysis)や電解質(electrolyte)、電極(electrode)という言葉も広めました。
ファラデーと同時代に活躍したウィリアム・ヒューウェル(William Whewell)は、1834年にサイエンスに携わる人々を「サイエンティスト」と呼ぶことを提案するなど、ネーミングで当時は有名でした。「マイブーム」の生みの親である、みうらじゅん氏のような存在だったと思われます。
アノード、カソード、電極 、イオンといった呼び名の多くは、ファラデーがウィリアム・ヒューウェルに実験結果を伝えて、ヒューウェルが考案したものという説があります。
ファラデーは、電流を流したときに、物質は電気的エネルギーによって分解して、イオンという、電荷を持つ粒子が電気を運ぶものになると考えました。
これとはまったく違う立場を取ったのが、スウェーデンの物理化学者であるスヴァンテ・アレニウス(Svante August Arrhenius)です。電気など外からエネルギーを加えなくても、電解質は自然に陽イオンと陰イオンに分離すると考えたのです。1884年に博士論文でこのことを書いたところ、教授陣からの評価は非常に低いものでした。
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| スヴァンテ・アレニウス(Wikipediaより) |
また、「酸は、水に溶けると水素イオンH+を生じる物質であり、塩基は、水に溶けると水酸化物イオンOH-を生じる物質である」としました。これが「酸と塩基の定義」で、またの名を「アレニウスの定義」ともいいます。
電気分解,あるいは電解(electrolysis)は電気的な外力によって物質を分解することであるが,電離(electro・1yticdissociation)は物質が自発的にイオンに解離することであるから,“電解する”は他動詞,“電離する”は自動詞として使うのが原則的に正しい。水に溶かしたとき,その水溶液が電気伝導性を示す物質を電解質(elect・rolyte)という。電気伝導性はその物質が電離していることに原因しているのであるから,電解質というよりも“電離質”というよび方のほうが合理的のようにおもわれるけれども,習慣上,電離の現象を知らなかったファラデーが考え出した英語の直訳語として“電解質”という言葉がいまも通用している。
■主な参考資料
Menon Network
科学の歩みところどころ第25回電気分解とイオン
834.アルベゾン閃石 Arfvedsonite (マラウィー産)
研究者&技術者のためのセラミックと科学 電気化学の歴史
ラヴォワジエ:燃焼現象の解明と酸素の本質
歴史で学ぶケミストリー
溶液化学のあけぼの一ArrheniusとOstwald一










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