5-5 精神的苦痛、社会的苦痛、スピリチュアルペインは医療で癒せるのか

5-5 精神的苦痛、社会的苦痛、スピリチュアルペインは医療で癒せるのか

 生きている以上、死はいつでも、どこでも、誰にでも訪れるものです。ただ私たちは、死について意識したくない、さらには永遠に生きていけるような気になっているのではないでしょうか。
 また、自分に対してだけでなく家族にも、永遠に生きてほしいと望んでいるのかもしれません。
 そのため、いざ自分や家族の病気と死に直面したときに、驚き、焦り、嘆き、苦しみがちです。

 こうした苦しみに、古い時代は宗教的なアプローチがされてきました。ホスピスのルーツはキリスト教修道院の巡礼者向け慈善施設でしたが、仏教でのビハーラ、イスラム教でのワクフなど、ほかの宗教でも同じように、病気や死の苦しみから人々を救うという概念と組織などの枠組みが発展してきました。

 無宗教といわれている、今の日本ではどうでしょうか。病気や死の苦しみも「自己責任」で、個人の問題として捉えられているという印象があります。
 ただ、病気や死については、患者さんと家族だけで受け止められる問題ではありません。逆説的ですが、多くの人の助けが必要だからこそ、古い時代から宗教が発達して、教徒や信徒といった共同体で支えていたのだと考えられます。
 そのため、精神的苦痛、社会的苦痛、スピリチュアルペインを、医師をはじめとする医療スタッフに任せてしまうのではなく、もっと多くの人たちにつながって頼る、言い換えると意味のある人間関係を築く姿勢が必要ではないのでしょうか。

 「宗教」「スピリチュアル」といった言葉からは「怪しい」という印象を抱きがちですが、人間の長い歴史の中で淘汰されずに残ってきたのは必要性があったからだと考えられます。
 原初の宗教は、人間だけでなく、動物や植物、山、川など、自分を取り巻くすべてのものに霊魂や精霊が宿っているというアニミズムでした。その後、死後世界への信仰、祖先崇拝、そして霊的世界と現実世界をつなぐシャーマニズムが生まれてきました。こうした歴史を見ると、精神的苦痛、社会的苦痛、スピリチュアルペインは、身近な動物や植物、山や川などで癒される可能性もありそうです。


 医療スタッフが、365日、24時間、私たちに寄り添うというのは不可能です。それぞれの暮らしがあり、仕事があり、人生があります。患者さんや家族についても「何とかしてほしい」と医療スタッフにだけ頼るのではなく、身近な自然も含めて、よりどころを増やすのもいいのではないでしょうか。

■主な参考資料
高齢腎不全患者のための保存的腎臓療法


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