「羊飼いが夜空の星をつなげて星座を作った」というロマンチックな物語が否定されている件について

「羊飼いたちが、夜空の星を見上げながら、星と星をつなげて星座を作った」

 そんなロマンチックな物語が、遠い遠い記憶の片隅にありました。

写真/ぱくたそ

 学習用資料などにも多数、そんな物語が掲載されています。

 しかし、残念ながら違っていたのです。

 冒頭の「羊飼いが星座を作った」説は、具体的には「紀元前3000年にカルデア人の羊飼いが、夜に羊の番をしながら、星座を作った」というもののようです。

 この説の間違っている点は、次のとおり。
○カルデア人は紀元前1100年にメソポタミア(チグリス川とユーフラテス川の周辺の地域)南部のバビロニアに定着したセム系民族で、新バビロニア(カルデア)帝国(紀元前625~539年)を建設→時代がずれている!
○紀元前3000年の古代メソポタミアではすでに農耕が始まっている→「羊飼いが」という点に無理がある


 では、どうして「羊飼いが星座を作った」説は生まれたのでしょうか。

 どうやら次の2点がまぜこぜになったものだと考えられます。
○古代ギリシア・ローマの文献では、古代メソポタミアの天文学者が「カルデア人」と表記されていた
○本当のカルデア人が、もともとは遊牧生活を送っていた

後世ギリシア人の間で〈カルデア人〉の呼称が占星術師の代名詞のようになるが,これは前400年ころまでにバビロニア(ギリシア人はカルデアとも呼んだ)において,誕生時の太陽,月,惑星などの位置に基づき人の運勢を判断する新しい占星術が成立し,これが後のヘレニズム世界に絶大な影響を与えたことによるものと思われる。

ギリシア人やローマ人は「カルデア人」という言葉をメソポタミアの神官占星術家だけでなく、バビロニア人の間で学んだ同国人の専門家を指す場合にも用いていた。しかし、今日に至るまでこの言葉の意味は依然として明確ではない


 古代メソポタミアには、アッシュルバニパルの図書館がありました。アッシリア帝国の王であるアッシュルバニパル(在位は紀元前668年〜627年)にちなんで、後にこの名がつけられたとのこと。
 アッシュルバニパルの図書館には、『ギルガメシュ叙事詩』を含む、さまざまな種類の粘土板が保管されていて、その数は3万点以上に及ぶのだとか。
 ここに、紀元前7世紀の粘土板(星座早見盤)が保管されていたのだそうです。この粘土板(K8538)は大英博物館で保存されています。


大英博物館楔形文字早見盤 K8538(Wikipediaより)


 そんな古代メソポタミアでは、月の満ち欠けをもとにした太陰暦、そして60を一つの単位にする六十進法、週7日制が誕生したとされています。
 地上で起こる自然現象を、天体と関連付けて、やがて「天体を観測して地上で起こる現象を予測する」という占星術が生まれたと考えられています。
 占星術は神官が行い、政治とも密接に結びついていたともいいます。

 また、そもそも羊飼いはヒツジを追うのに大変で、夜空の星をゆっくりと眺めながら、星と星を結んで星座を作るような余裕はなかったようにも思えます。
羊飼い(写真/Hasan İNCE

 
 メソポタミアの地形は、チグリス・ユーフラテス川の流域を除くと、高原になっています。上の写真のように、羊飼いはヒツジを連れて傾斜地の草原を移動したのでしょう。
メソポタミアの地形(国土地理院地図より)


 私たちは、ややもするとロマンチックな物語に心を動かされ、それを事実と思い込みたがるので、気を付けたほうがよさそうです。

 ちなみに、古代エジプトでは太陽暦が採用されたと参考書その他に書かれていますが、「おおいぬ座のシリウスが夜明け前に見え始める時期にナイル川の氾濫が起こる」という現象を重視するなど、さまざまな天体の動きを暦として用いていたようです。

紀元前4000年前頃に、エジプト人は恒星シリウスの観測から、増水の始まる日から翌年の増水開始の日までの日数を数え上げ、1年が365日であることを知っていたと考えられています。
 3種類の異なる年の暦が徐々にエジプトで発達し、そのすべてが同時に用いられていた。月の層に基づく太陰暦、後の太陽太陰暦、そして1年を1カ月30日の12カ月に区分し、月末に5日の閏日付け加えて季節的な出来事を一定にした暦である。この最後のシステムは、単純さと規則性から後に西洋世界全域を通じて用いられるようになった。


 節分の話題から、暦と方位学を調べ始めたら、「羊飼いが夜空の星をつなげて星座を作った」というロマンチックな物語が否定されていたという結末に至りました。

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■主な参考資料
迷信「星座の起源・カルデア人羊飼い説」の成立と伝承
昭和5年(1930)頃を境に古代カルデア王国は学術書から消えた。
   そしてギリシャ人が元々呼んでいたBC7世紀に新バビロニア王国(カルデア王国)を建国した人々のみがカルデア人となった。

 O.Neugebauerの「The exact sciences in Antiqyity」(1969,1957初版)p.101-102などによるとバビロニアで数理天文学が発達したのはBC2,3千年の古代では無く,ギリシャ人がカルデア人と呼んでいた新バビロニア王朝(カルデア王国)より新しいBC5世紀頃(19年7回の閏月の発見)からで,さらに発達したのがアレキサンダーのメソポタミア征服後のセレウコス朝時代(BC306~)であったことが1957年(昭和32年)には判明していたのは皮肉である。

国立科学博物館
 星座は紀元前3000年ころにこの地方に住んでいた、シュメール人やアッカド人が神話や伝説の英雄や神様、生き物にみたてたことから始まりました。この星座は、その後メソポタミア地方に住んだバビロニア人にうけつがれました。紀元前8世紀ころの粘土板などから、36個もの星座があったことがわかります。


世界大百科事典(旧版)
最古の占星術文献といわれる《エヌマ・アヌ・エンリル》はシン(月神)とシャマシュ(太陽神),アダド(天候神),イシュタル(金星神)の凶兆を記しているが,その成立はバビロン第1王朝(最盛期前18世紀)の頃と考えられている。この伝統はアッシリア,ペルシア帝国に及び,バビロニアがギリシア人によってカルデアとも呼ばれたことから,この神聖科学は〈カルデア人の術〉と,これを独占する司祭階級は〈カルデア人〉と称された。ギリシアには前ソクラテス期の哲学者に見られる宇宙論的関心とともに導入されたと思われる
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