4-3 死に至る傷病から命を守ってきた透析療法

 4-3 死に至る傷病から命を守ってきた透析療法


 ヨーロッパではルネサンス以降、医学だけでなく多方面で技術が進歩してきました。その中で、透析療法が発展し、末期腎不全などから多くの患者が命を救われました。さらに、制度の充実を働きかけてきた人々がいたからこそ、現在の日本では広く透析療法が可能になっているのです。

 ここでは、透析療法の歴史を追っていきましょう。


1748年 フランスの修道士で物理学者のジャン・アントワーヌ・ノレが浸透圧で起こる現象を報告
 酒を入れた小瓶を、ブタの膀胱でしっかりと栓をしてから水に沈めていました。その6時間後、ブタの膀胱が膨らんでいました。この現象から、水がブタの膀胱を通り抜けて小瓶のほうへと移動したのだと考えたようです。

1854年 スコットランドの物理学者・化学者であるトーマス・グラハム(グレハム)が拡散の原理を発見
 後の透析療法につながる拡散の研究などを行ったグラハムは「透析の父」と呼ばれています。
 拡散とは、液体に溶けている物質が均等に散らばる現象で、時間がたつと均一になります。
 1861年には、ウシの膀胱で覆った硫酸紙を半透膜として使って、 膜を通らないものをコロイド(colloid)と名付けました。
  例として、半透膜で区切られた容器があるとします。左側に半透膜を通過できないコロイドの溶液、右側に水を入れると、水が半透膜を通り抜けて左側へと移動します。この現象を透析(dialysis)とグラハムは呼びました。

1884年 イギリスの生理学者ジョン・ベリー・ヘイクラフトがヒルジンを特定
 ヒルの唾液に血液凝固作用を妨げる物質が含まれていることは古くから知られていましたが、その物質が特定され、ヒルジンと名付けられました。ヒルジンはアレルギーなどの副作用を数多く引き起こしました。

1913年 アメリカの医学者であるジョン・ジェイコブ・エイベル(アベル、エーベル)が血液浄化の概念を発表
 ジョンズ・ホプキンス大学医学部薬理学科のジョン・ジェイコブ・エイベルらは、1912年に犬とウサギを使って動物実験を行いました。サリチル酸ナトリウムを体内に注入した後、動物の血液を半透膜を通して体外に除去することに成功し、これを生体拡散(vividiffusion)と名付けました。世界で初めての、体外循環血液透析となります。
 血液は体外で酸素に触れると固まります。それを防ぐために、実験にはヒルジンが使われました。

1916年 アメリカの医学生のジェイ・マクリーンがヘパリンを発見
 犬の肝臓から、強力な抗凝固作用を持つ物質であるヘパリンを分離しました。

1920年 アメリカのラブ(Love GR)が腸管漿膜を用いて生態拡散の実験を実施

1923年 アメリカの医師であるハインリッヒ・ネチェレス(ネヘレス)が動物の腹膜を用いた血液浄化器を開発
 人体内の腹膜を直接的に利用した透析治療が有効であると考えて、腹膜透析の概念を提案しました。

1923年 ドイツ人医師であるゲオルク・ガンターが、生理食塩水を注入すると尿毒症が改善すると実証
 モルモットとウサギを使った実験で、生理食塩水を1回または反復して注入すると、尿毒症の症状と血中尿素窒素レベルの両方が改善されることを実証しました。

1925年 ドイツ人医師であるゲオルク・ハースが人間に対して初の透析療法を実施
 1914年に、第一次世界大戦中に、ハースは軍医になりました。当時は、多くの若い兵士がクラッシュ症候群(挫滅症候群、crush syndrome)で死んでいました。
 クラッシュ症候群とは、がれきに埋まるなどで筋肉が長時間圧迫され後に、筋肉から血液中に大量のカリウムやミオグロビンなどが漏れ出し、カリウムが不整脈や心停止、そしてミオグロビンが尿細管に詰まって急性腎不全を起こす状態です。圧迫から解放された直後は意識があるため軽症と見なされましたが、時間がたつにつれ重篤な状態になり、死に至る場合も多々ありました。
 1925年にハースが行ったのは、少量の血液を腎不全患者から採取し、その血液にヒルジンを入れて、コロジオンという液体を塗った膜で透析してから患者に戻すという手法でした。残念ながら患者は亡くなりました。
 1927年にはヘパリンを用いて透析を行っています。

1937年 クラフォード(Crafood)らがヘパリンを血栓予防に応用

1938年 タルハイマー(Thalhimer W)が、透析療法を実施
 透析膜としてセロハンチューブ(幅2cm、長さ30 cm)、抗凝固薬として精製されたヘパリンを用いた透析療法を実施しました、臨床的には成功していません。「未だ実験段階なので、人間に対して透析治療を行わないようにして欲しい」と論 文で警告していました。 

1943年 オランダの医師であるウィレム・コルフが回転ドラム型透析器を開発・製作して腎不全患者の治療に着手
 オランダの小さな町カンペンで、人間の治療に使う目的で回転ドラム型透析器を開発・製作して腎不全患者の治療に着手しました。
 1945年に腎不全患者の救命に成功(臨床17例目)。腎不全患者の血液25mlを充填した長さ45 cmのセロハンチューブを木の板に固定し、これを生理食塩水中で上下させて透析を行いました。

1947年 スウェーデンの医師であるニルス・アルヴァル(アルウォール)が、改良型ダイアライザーに関する科学論文を発表
 限外濾過(圧力で膜の小さな穴から水やナトリウムといった小さな分子を濾し出す方法)で、血液から水分を効果的に除去できるダイアライザーです。

1950年 アメリカオハイオ州クリーブランドクリニックに移ったウィレム・コルフらが、コルフ・ブリガム回転ドラム型透析器を開発
 セロファンチューブ(幅15 cm、長さ約4 m)を樹脂製網の上に置き、これをコイル状に巻いて樹脂製円筒に収めました。
 1950年に始まった朝鮮戦争で、コルフ・ブリガム回転ドラム型透析器がクラッシュ症候群の治療に効果があったことから、世界から脚光を浴び、1956 年にアメリカのTravenol社(現Baxter社)から量産されるようになりました。 
 また、朝鮮戦争の戦場から近い日本に、透析装置と米軍兵士が運ばれて治療が行われました。こうして日本人医師も同治療に協力することで技術を習得してきました。

1955年 アメリカアリゾナ大学のポール・テシャンが急性腎不全の治療における予防的血液透析を発表

1960年 アメリカワシントン州立大学のベルディング・スクリブナーらが外シャントを発明
 外シャントは、腕にある動脈と静脈を、体外に用意したチューブを介してつなぎ合わせるものです。外シャントの発明で、透析療法で血管があまり傷まなくなり、急性腎不全患者だけにでなく慢性腎不全患者にも透析療法が行われるようになりました。しかし、外シャントは皮膚の上に設置されてい るため、事故がよく起こりました。
 透析装置の技術が不十分であるため、数年で関節痛が現れ始める患者は少なくありませんでした。手足のしびれや歩行障害など、日常生活に支障をきたす人も多かったといいます。
 透析療法は、腎移植までの時間稼ぎでした。

1960年 ノルウェーの医師であるフレドリック・キールらがキール型透析装置(スタンダードキール型透析器)を開発
 この装置は多層平板型で、長時間透析を可能にしました。 

1966年 中空糸型のダイアライザ(透析器)の発明

1966年 アメリカニューヨーク大学のジェームズ・チミノとマイケル・ブレシアらが内シャント(皮下動静脈瘻)を考案
 内シャントで感染リスクが低減し、長年にわたる透析治療が可能になりました。

1967年 日本で透析療法が医療保険の適用
 全国的に透析装置が不足していたため、糖尿病性腎症などの予後不良な疾患や、年齢45歳以上、導入後社会復帰が不能な症例は適応外でした。治療を受けられずに亡くなったり、治療費が続かなくなったりした腎不全患者は、必ずしも少なくなかったのです。

1968年 中空糸型血液浄化器の量産開始

1969年 合成系ハイフラックス膜の発明

1971年 使い捨ての中空糸型透析器が世界で初めて発売

1972年 日本で透析療法が身体障害者福祉法の対象となり、自己負担額に自立支援医療(更生医療)が適用
 患者の経済的負担が大幅に軽減されました。

1980年 日本に腹膜透析が導入
 保険適用となっています。

1983年 ポリスルホン膜の発明

1983年12月 日本で健康保険法の改正により、長期高額疾病患者に対する高額療養費の支給に透析療法が選定
 患者負担の上限は月1万円に設定(現在は一部で2万円)されました。


■主な参考資料
身体をめぐる断章 その15 血液の神秘

ジョン・ジェイコブ・エイベル

フレゼニウス・メディカル・ケア

腹膜透析の先駆者ゲオルク・ガンターとナチス政権の手による悲劇的な学問的終焉

急性腎不全の治療における予防的血液透析 Annals of Internal Medicine, 53:992-1016, 1960

東岡山ながけクリニック ながけたより6月号





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