量子論を超文系人間が歴史からアプローチしてみた

 エセスピリチュアルな人々は、平気で「量子力学」などの用語を使います。彼らが本当に量子力学を理解しているかどうかを確かめたくて、量子力学が含まれる量子論(物質を作っている小さな電子や陽子、光を作る光子〈フォトン〉などミクロの世界の物理法則)に関する本などを読んだのですが、すべて挫折。

 そこで、超文系は文系らしく、歴史からアプローチしてみました。
 余談ですが、漫画にも量子論的な要素を取り入れているような技がよく登場します。
出典:『転生したらスライムだった件』(大好き)


 
 量子論が生まれたのは「光とは何か」を探る研究で、歴史をたどるとガラスも関係しているような印象を抱きました。

ガラスの定義 
化学的な定義:非晶質物質の中でガラス転移を示す物質を ガラスと呼ぶ(ガラス状態)。 
一般的な定義:ケイ酸塩ガラスを指す。 
ガラス転移とは、温度を変えたときに、アモルファス固体相が示す、比熱や熱膨張係数のような熱力学的微分量が結晶的な値から液体的な値へと多少急激に変化する現象である。 

※「非晶質物」とは、結晶していない(規則的な構造を持たない)固体で、アモルファスとも



 世界最古のガラスとされているのは紀元前2350~前2100年のもので、メソポタミアのテル・ブラク遺跡から発見されました。ガラスの歴史は思いのほか古く、古代メソポタミア・エジプト文明から始まっていました。
サルゴン2世(紀元前720~前710年)のガラス(出典:大英博物館



 なお、世界最古の光学レンズ(光を集束したり発散させたりする部品)では、ガラスではなく水晶ですが、紀元前7世紀の古代アッシリアの墓からは、レンズ(ニムルドのレンズ)が1853年に発見されました。細い楔形文字を彫るための拡大鏡、太陽熱を集める点火用など、使い方に関しては多くの説が唱えられています。
Geni - Photo by user:geni, CC 表示-継承 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=13302965による



 一方の光については、古代文明の宗教で神聖視されてきました。

光,輝き,まばゆさ,純粋さ,清らかさは神性の特質である41。


 古代ギリシャの学者たちは、光に大きな関心を寄せていました。
 アリストテレス(起源前384–前322年)、色は光と闇が混ざり合うことで生まれると考え、「白(純粋な光)と黒(純粋な闇)が両極端であり、その中間に赤や青といった色が位置する」という色彩論を展開しました。

 紀元前3世紀の古代ギリシャの数学者であるエウクレイデス(ユークリッド、紀元前330–前275年)は、『光学』や『反射視学』などの著書を残しました。彼は「目は光線(視線)を発し、それが対象物に触れることで物が見える」という視線外発説を提唱しました。
 また、光が直進することや、鏡による反射の法則(入射角と反射角は等しい)を幾何学的に証明しました。


 イスラム圏のイラクの都市バスラ出身の科学者であるイブン・アル=ハイサム(965-1040年頃)は、レンズや鏡を使った反射や屈折の実験・観察を扱った『視覚論』『光学の書』を残し、、「光学の父」と呼ばれています。

 光の屈折はユークリッドやイブン・アル=ハイサムなど、さまざまな科学者が研究してきました。しかし、光が水面に差し込むときの入射角と差し込んだ後の屈折角がどれだけになるのか、正確に計算する方法は見つかりませんでした。
 この光の屈折角を求める方法を発見したのが、オランダの天文学者・数学者ヴィレブロルト・スネル(1580–1626年)です。

スネルの法則とは、光線 が平面(屈折率の異なる媒質の境界)に入射した場合の入射角と出射角(屈折角)、さらに媒質の屈折率 の関係を表す法則のこと。屈折 の法則とも言う。




 「我思う、故に我あり」で有名なフランスの哲学者・数学者ルネ・デカルト(1596-1650年)は、1637年に発行した著書『方法序説』の中の「屈折光学」で、光の屈折の法則(「正弦の法則」)を独自に定式化し、自然現象を機械論的に説明しました。




 ガラスを使用した眼鏡は、13世紀後半にイタリアで発明されたとされています。
 望遠鏡は、1608年にオランダの眼鏡職であるハンス・リッペルスハイが発明したのが最初だとされています。2枚のレンズを筒に組み合わせることで「遠くのものが近くに見える」仕組みを発見しました。

 また、錬金術が盛んだった中世(5〜15世紀)には、実験道具がガラスや陶器、金属で作られていました。

 錬金術に傾倒していたことでも知られるイギリスの物理学者アイザック・ニュートン(1643-1727年)は、プリズム実験を行いました。
 太陽光を三角プリズム(三稜鏡、三角柱のガラス)に通すと、赤・橙・黄・緑・青・藍・紫といった色の帯(スペクトル)が現れる現象を観察しました。この結果から「白色光は、さまざまな色の光が混ざり合ってできている」とニュートンは結論づけます。

三角プリズム(画像出典:Amazon

 ニュートンは、ほかにもガラスを使った実験を行っています。
平面ガラス板の上に曲率半径の 単色光 大きな平凸レンズをのせ、真上か
ら単色光を入射させ上ると、同心円状の干渉縞が生じる。この縞はニュートン・リングと呼ばれる。
これは、 ガラス板と凸レンズの下面の間にわずかな隙間が生じ、レンズの下面で反射した光とガラス表面で反射した光とが干渉するためである。

 ニュートンは光を粒子(コーパスキュル)の集まりとして捉え、光の反射・屈折・干渉などを体系的にまとめた著書『Opticks(光学)』を発表しました。

 ニュートンの力学に基づいて、フランスの数学者であるピエール=シモン・ラプラス(1749-1827年)は、宇宙のすべての物質の現在の状態と働く力を完全に把握できる知性があれば、物理法則に従って未来や過去をすべて計算できると主張しました。この考えは「ラプラスの悪魔」と呼ばれ、「すべての出来事は原因と結果の連鎖によって必然的に決まる」という決定論の象徴とされました。
 「ラプラスの悪魔」は、後に量子論で否定されました。


 話を光に戻すと、 「光の粒子説」を提唱したニュートンと同じ時代には、「光は波である」という波動説も存在していました。
 イタリアの物理学者であるフランチェスコ・マリア・グリマルディ(1618-1663年)は、1665年に光の回折現象、つまり光が波の動きと似ていることを発見しました。

 イタリアの物理学者フランチェスコ・マリア・グリマルディは細い棒に光を当てると棒の影ができる部分に光が回り込む現象を発見し光の研究を重ねました。その研究成果はグリマルディの死後の1665 年に論文「光、色、虹に関する物理・数学的論考」として発表されました。


 オランダの物理学者のクリスティアーン・ホイヘンス(1629-1695年)は、光の波動説をたてて、ホイヘンスの原理を発表しました。
彼の中心的な理論である「ホイヘンスの原理(Huygens’ Principle)」は、次のように説明されます。
「波面上のすべての点は、次の瞬間に小さな波(波面)を生じる点波源となる。そして、それらの波の包絡面が次の波面を形成する。」
ホイヘンスの理論は、当時の科学界では必ずしも受け入れられませんでした。ニュートンは圧倒的な権威を持ち、「光は粒子である」と断言していたためです。ホイヘンスは科学的な議論で正しさを主張し続けましたが、その理論が完全に評価されるには100年以上を要しました。

 フランスの物理学者のオーギュスタン・ジャン・フレネル(1788-1827年)は、「光の波は波長が極めて短い波」という考えをもとに、光の干渉を数学的に証明しました。1815年には、光の反射と屈折についての物理法則を打ち出し、「宇宙には光を伝えるエーテルという媒質が充満している」という仮説を唱えました。

波の伝播の様子を説明する原理。波の位相の一定面、すなわち波面の各点から球面波(素元波あるいは2次波という)が放出され、それらが重ね合わされて、素元波の包絡面が新たな波面を作り、波が伝播するという説明。
この原理はオランダの物理学者ホイヘンス(C. Huygens)が1678年に発見したが、1836年、フランスの物理学者フレネル(O. J. Fresnel)が素元波の重ね合わせの重要性を指摘したことで、ホイヘンス-フレネルの原理とも呼ばれる。


 イギリスの物理学者のトーマス・ヤング(1773-1829年)は、1801年に「二重スリット実験」で、光が波であることを証明しました。

 イギリスの物理学者のジェームズ・マクスウェル(1831-1879年)は、1864年に電磁波の存在を予言しました。
 それまで、磁石や電流が作り出す磁場と、充電したコンデンサーにつないだ2枚の平行金属板の間などに発生する電場は、それぞれ別のものと考えられていました。
 マクスウェルは、磁場と電場は表裏一体のものとするマクスウェルの方程式を1861年に発表します。そして、電気・磁気・光を、電磁気学として統合しました。

 マクスウェルの電磁気学を発展させたドイツの物理学者ハインリヒ・ヘルツ(1857 - 1894年)が、光電効果を1887年に偶然発見。光電効果は、金属などの物質に光(特に紫外線)を照射すると電子(マイナスの電荷)が飛び出す現象です。

 1888年に、スウェーデンの物理学者のヨハネス・リュードベリ(リドベルグ、1854 - 1919年)は、原子から放出される光(電磁波)の波長を、簡単な整数を用いて計算できる「リュードベリの公式」を発見。

 ドイツの物理学者のマックス・プランク(1858 – 1947年)は、1900年に、光や熱のエネルギーが連続的な波ではなく、量子(quantum)と呼ばれる「飛び飛びの粒」として放出・吸収されることを提唱。量子力学の基礎を築き「量子力学の父」と呼ばれています。

 1905年、スイスの首都ベルンにあるスイス連邦特許局の技師として働いていたアルベルト・アインシュタイン(1879-1955年)が、ヘルツの光電効果を説明するために「光は粒(光子)でもある」という光量子仮説を提唱しました。
 同じ年に、アインシュタインは特殊相対性理論を提唱します。「光の速さは誰から見ても常に一定である」という原理に基づき、時間と空間は絶対的なものではなく、観測者の状態によって相対的に変化することを示した物理理論です。

 デンマークの物理学者のニールス・ボーア (1885–1962年)は、1913年に原子核の周りを電子が回る「ボーアの原子模型」を発表しました。
 電子が原子内の特定の軌道(エネルギー準位)間を移動(遷移)する際、その軌道間のエネルギー差に等しいエネルギーを持つ光子(光や電磁波を構成する最小単位の素粒子)を吸収または放出します。この過程は「ボーアの振動数条件」として知られています。

 フランスの理論物理学者ルイ・ド・ブロイ(1892-1987)が、1924年に物質波(ド・ブロイ波)を提唱。「光が波と粒子の両方の性質を持つなら、電子などの物質も波の性質を持つはずだ」と考え、すべての粒子が運動量に反比例する波長を持つことを示しました。

 オーストリアの理論物理学者のエルヴィン・シュレディンガー(1887~1961年)は、ド・ブロイの「電子は波である」というアイデアに感銘を受け、その波が空間をどう伝わるかを数式化したシュレディンガー方程式を1926年に発表しました。シュレーディンガー 方程式が決定するのは、電子や原子などのミクロな粒子の状態を表す波動関数です。
 シュレディンガーは、ふたを開けると毒ガスが出る箱の中の猫の生死が、ふたを開けて観測するまで確定しないという「シュレディンガーの猫」の思考実験でも有名です。この現象のように、2つ以上の粒子が互いに強い相関を持ち、一方を観測すると他方の状態が瞬時に決まることを「量子もつれ」といいます。

 ドイツの物理学者のマックス・ボルン(1882 - 1970年)が、1926年に確率解釈(ボルンの規則)を発表。電子などが存在する位置を「波動関数の振幅の二乗に比例する確率」として、量子は観測するまでその位置は定まらず、確率の波として空間に広がっていることを示しました。

 1927年に、後に呼ばれる「コペンハーゲン解釈」(命名は1955年)で、量子の測定値(電子の位置など)が確率的に変動することはある種の“原理”で、その確率は計算が可能だと理解されるようになりました。

 これに異を唱えたのがアインシュタイン、ボリス・ポドルスキー、ネイサン・ローゼンです。1935年に、「もしコペンハーゲン解釈が正しければ、量子には非局所相関があることになる」と指摘し、古典的物理学ではあり得ないとしました(非局所相関とは、空間的に遠く離れた2つの粒子が強く結びつき、一方への観測や操作が瞬時にもう一方に影響を与える現象や性質)。後に、3人の名前から「EPRパラドックス」と呼ばれています。

EPRパラドックスに対するボーアの反論の内容を紹介します。
彼は、位置と運動量の測定が別々にできたとしても、それらの測定が両⽴することはあり得ず、したがって位置と運動量が同時に実在するとは⾔えないと考えました。(このような考え⽅をボーアの相補性原理と⾔います。)
アインシュタインとボーアの論争はアインシュタインが亡くなるまで続きました。アインシュタインの「神はサイコロを振らない」という⾔葉に対し、ボーアが「神が何をするか、あなたが語るなかれ」と返したのは有名なエピソードです。


 1964年、北アイルランドの物理学者ジであるョン・スチュワート・ベルは、アインシュタインの主張が正しいかどうかを数学的に検証する方法を発案しました。「ベルの不等式」と呼ばれるもので、「もしアインシュタインが正しければ、この不等式は必ず成り立つ」としました。

 「ベルの不等式の破れ」の実験実証を行ったのが、アメリカの物理学者であるジョン・クラウザー(1942-)です。1972年にカルシウム原子から発生する量子もつれ状態の光子を使いました。
 この実験の穴を防ぐ実験を、1982年に、フランスの物理学者のアラン・アスペ(1947-)が行い、量子もつれの実在性を証明しました。
 オーストリアの物理学者のアントン・ツァイリンガー(1945-)は「遠くの銀河からの信号を使って乱数を発生させてフィルターを選択することによって,フィルターどうしが互いに影響し合わないような実験を行い」、「量子もつれの存在は完全に実証された」とのこと。


 超文系の頭では追いつけない話なので、冒頭の「エセスピリチュアルな人々が本当に量子力学を理解しているかどうか」に戻ると、この人たちのことはもうどうでもよくなってきました。

 今回取り上げたガラスについても、ガラスは光を通すことから、液体ではないかという説があったとのこと。
 身の回りにある、ありふれたものでも、わかった気になってはいけないことを再確認しました。

■主な参考資料
Wikipedia

ガラスは固体と液体の中間状態-ガラスでは分子の再配置が絶えず起こっている-

光の性質について論争・実験をしてきた人々
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